第46話 【過去編】レイグという少年

 僕は帝都のスラム街で生まれ育った。

 両親の顔も知らない。兄弟がいるのかすら分からない。

 気がつけば、金と暴力にまみれた世界に放り込まれていた。


 スラムでは力のあるヤツが街を支配している。

 盗み、脅し、殺し……そうした手段で金を集めて支配者に献上するのが、そこに暮らす子どもたちの仕事だ。ただ、当時の僕にはほとんど力がなく、富裕層から隙を突いて金品を盗むことしかできなかったが。




     * * *


 あるとき僕は通行人から財布を掏るため、帝都の大通りに出向いた。


 だが、街の様子がおかしい。

 普段から騒がしい大通りだが、その日はさらに人が集まっている。

 自分にとって好都合な状況ではあるが、大衆は何に誘き寄せられているのだろうか。好奇心に惹かれ、僕はそっと人混みへと近づいた。


「帝国、万歳!」

「皇帝陛下、万歳!」


 道の中央を見つめながら通行人が叫ぶ。


 人の壁の向こうに見えたのは、黒を基調とした豪華な部屋馬車。馬車を動かす白馬も、絹のような毛並みを持つ。

 そして僕の視線は馬車の中に座る、金色の装飾が施されたローブを纏う老人に移った。彼がこの国の絶対的な権力者である、皇族のトップらしい。

 馬車は多くの兵士が警備する通りの中央を走り、皇帝は威厳に満ちた笑顔を振り撒いていた。


「あの人が……皇帝」

 

 そんな彼に、僕は激しく嫉妬した。

 裕福と貧乏。自分とは正反対の立場にいる皇帝という男。


 僕は彼のようになりたいと思った。



     * * *


 それから僕は少しでも彼に近い立場を手に入れるため、力を蓄えていくことに決めた。


 まず、自分に必要なものは知識だ。物事を正しく理解できなければ、自分が望む場所への近道を発見することはできない。

 文字の読めなかった僕は、貧困層の子ども向けに開かれている学び舎へ顔を出すようになった。そこで教えられている文字は、労働者になったときに困らない最低限の知識を与えるものでしかない。僕はそこに置かれている書物から知識を手に入れると、さっさと別の場所へ移った。


 次に僕が必要になったものは武力だ。

 スラム街では限りある資源やチャンスを巡って子ども同士の対立が繰り広げられている。他の連中に負けるようでは、貧困から這い上がる機会をものにできない。


 僕は魔術を使えるようになりたかった。魔術さえあれば、腕力で敵わない人間を蹴散らすことができる。スラムに暮らすほとんどの連中は魔術に関する知識がないヤツばかりだったし、自分がそれを使えるようになれば勝負で大きく有利になれるはずだ。


 ただ、魔法陣を使わずに魔術を使える人間――魔術師になるのは簡単ではない。

 魔術師は幼い頃から『魔導書』と呼ばれる魔術の使い方について記載されている書物を読み、何度も訓練を重ねなければ魔術を使うことができないからだ。

 しかも、魔導書は高価だ。そこら辺にいる通行人の財布から盗んだ金程度では、購入するのに何年もかかる。それを待っている間に、僕の体は魔術の高い適性を失ってしまう。


 僕は焦った。

 早く魔導書を入手しなければ。

 一番手っ取り早いのは、どこかから魔導書を盗む方法だ。だが、そんな希少なものはそこらの民家には置かれていない。貧困層向けの学び舎だって同じだ。

 魔導書があるとすれば、富裕層の豪邸。そこの書斎だろう。

 しかし、富裕層の住宅街は憲兵隊の警備が厳しい。僕のような汚い格好の子どもが入れば、すぐにつまみ出されてしまう。


 それでも僕は、魔術を諦めなかった。

 魔術さえ使えるようになれば、僕は暴力に支配された生活から脱出できる。

 自分の望むものが、全て手に入るんだ……!




     * * *


 数日後、僕は盗みを決行した。

 何度も住宅街の下見を繰り返し、憲兵の巡回パターンを把握する。侵入経路や逃走経路を頭に叩き込み、夜の街を誰にも気づかれぬよう走った。


 侵入する家は、クアマイア邸。

 ここら辺では有名な貴族の家らしい。家の主が政治家で、皇帝陛下の傍で仕えているという。

 そして『彼の一人娘が魔術の練習をしている』という噂を何度か耳にした。この家に魔導書があるのは間違いない。


 後にその一人娘こそが、僕の上司になるマグリナ・クアマイアだと知る。


 僕はバラの庭園を姿勢を低くして駆け抜け、書斎らしき部屋の窓を割った。なるべく音を立てずにガラスを割る練習はしておいた。僕はこっそり書斎へと入り、魔導書を持ち去るために本棚を漁る。


「あった、これだ」


 手元の小さな蝋燭の灯りに照らされた背表紙。

 そこに書かれている文字は、それが魔導書であることを示していた。

 僕はその本を棚から抜き取ると、脇に抱えて逃走する準備に移った。


 そのとき――


「そこにいるのは、マグリナお姉様ですか?」


 突然、書斎の扉が開き、ランプから放たれるオレンジ色の光が僕の顔を照らした。


 まずい!

 バレた!


 僕は急いで窓から飛び降り、庭園を駆けた。柵をよじ登り、高級住宅街を走る。

 気がついたときには自分の暮らすスラム街の隅に立っていた。


 盗んだ魔導書は手元にある。

 僕は喜びに震えた。

 クアマイア邸の人間に見つかるというアクシデントはあったものの、大まかな目的は達成している。


 これで、自分の望む未来へ近づける。

 僕は魔導書のページをめくり、そこに書かれている技術を自分の体に刻んでいった。





 だがこのとき、僕は大きな失敗をしていることに気づくことができなかった。

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