第41話 魔神ヘレスという知り合い
「僕の名前を呼んでいた……だと?」
「ええ。あなたのことを『レイグ君』って。まるで親しい友人みたいにね」
『レイグ君』……か。
随分懐かしい呼び名だ。最後に聞いたのは魔術師養成学校での、あの日以来だろうか。僕を『君』付けで呼ぶような人間は、僕の知る限りでは彼女しかいない。
まさか、本当にそんなことがありえるのだろうか?
「ねぇ、あなたは本当に知らないの?」
「……分からない」
「あなたと交友関係のある女性で、魔術に詳しくて、現在の動向を掴めない人とか」
「それは……」
自分と親しい関係を持っている。
魔術に関して深い知識を持っている。
現在、行方不明状態にある。
その全てに該当する人物を、僕は知っている。
「……エルシィ」
僕は呟いた。
思い当たる女性の名前を。
「そのエルシィっていう人が、魔神ヘレスかもしれないってこと?」
「ああ……確証はないが」
「今、確証なんてなくてもいい。今はどんな些細な情報でもいいから欲しいの。エルシィのことを知る限り全て話して」
正直、あまり話したくなかった。
現在のところ関係はほとんどないが、エルシィは自分と親しかった女性だ。大切な人の情報を簡単に他人へ渡していいものか。それに、彼女と関係を築いていく過程には僕の汚点も含まれている。これまで行動を共にしてきたカミリヤとはいえ、他人にエルシィの過去やら秘密やらをベラベラ話すのは気が引ける。
僕は視線を彼女から逸らし、テントの天井へ向けた。それでもロゼッタは僕の瞳をひたすら見つめ、エルシィの情報を引き出そうと無言で圧力をかけてくる。
「……そんなに見つめるな」
「……」
「……ここだけの秘密にしろよ」
「ありがとう、レイグ! これで魔神ヘレスを探す手がかりを掴めるかもしれないわ!」
背に腹は代えられない。
一応、この事態には世界の命運がかかっている。世界中にいる人間を犠牲にしてしまう可能性があるくらいなら、エルシィのことを素直に話した方がいいだろう。
だがエルシィのことを疑う前に、僕もロゼッタに聞いておかなければならないことがあった。
「その前に、お前からも聞かせてくれないか?」
「何よ、こんなときに?」
「魔神ヘレスはどうして魔蟲種を作っている?」
「それは、最終的に天界の神々を滅ぼすため……」
「違う、そうじゃない」
「えっ?」
「どうして神々を滅ぼそうとするのか。僕はそれが知りたいんだ」
「それは……」
先程の僕と同様、ロゼッタも視線を逸らした。ベッドの中で触れている彼女の手から血の気が引いていく。まるで嘘がバレた詐欺師のように。
分かりやすいヤツだ。これは確実に彼女も何か秘密を抱えている。魔神ヘレスが神々を滅ぼす理由に、自分が不利になる情報でも含まれるのだろう。
「情報交換だ。僕は友人だったエルシィのことを魔神ヘレスだと疑いたくない。だから彼女を疑うに値するか、魔神ヘレスに関する情報を聞いて判断したい」
「それは……疑いたくないかもしれないけどぉ」
「魔神ヘレスにはそれなりの理由があって行動に移しているんじゃないのか?」
「……」
「それとも、崇高な女神様も
「うぐっ……」
僕はロゼッタを挑発した。弱いところを突かれたからだろうか、彼女の眼球が落ち着きなくキョロキョロと動く。
「ち、ちょっと待ってて。この話は……」
「ダメだ。今から話せ」
同じベッドから離れようとする彼女を、僕は力を込めて抱き寄せた。彼女の背中と腰に手を回し、一気に僕の胸元へ。胸同士がぶつかる。
彼女が逃げられぬよう、さらに僕は彼女の上に乗った。体重を彼女にかけ、ジタバタと暴れる彼女を無理矢理に全身で押さえつける。
「お、重いよ、レイグぅ!」
「ヘレスについて聞かれた途端、急に態度が変わったな、お前」
「そ、そんなことないわよ!」
「さっきから目が泳いでいるぞ」
互いの息がかかるほどに顔が近い。彼女の荒い呼吸音がテントの中を静けさを断ち切り、激しく胸が上下する。
すると、ようやく彼女と視線が合った。
「……分かったわよ! 話せばいいんでしょ!」
「そうだ」
彼女は深いため息を吐き、目を閉じた。
そして、やや荒い呼吸が治まらぬまま、彼女は魔神ヘレスの過去について話し始めた。
「魔神ヘレスが私たち神々を滅ぼそうとする理由は……復讐よ」
復讐。
その重々しい言葉に、僕は息を呑んだ。
「神々がヘレスに報復されるようなことでもしたのか?」
「ヘレスは優秀な女神だった。あらゆる世界を管理し、人々から信仰心を集め、人間同士の争いが起きぬよう自分の教えを説いて回っていた」
「いいヤツじゃないか」
「でも、その優秀さから他の神々に妬まれたの」
ロゼッタの唇が徐々に震えていった。
その口から発する言葉には小さな嗚咽も混じっている。
「ヘレスを妬んだ神々は彼女の管理する世界で天災を起こし、彼女の信者から信仰心を奪っていった。そのせいで彼女は災いを呼び込む魔神として恐れられ、彼女を慕う者はいなくなった」
「それが、復讐の理由ってことか」
「ヘレスは他の神々から罠に嵌められたのよ」
嫉妬が仕掛けさせた罠。
政府内でも聞く話だ。こういうことはどこにでもあるようだ。
出過ぎた杭は打たれる。
ヘレスというヤツも苦労人なのだろう。彼女の過去に、同情している自分がいた。
「酷い仕打ちを受けたら、そうなるのは当然じゃないのか?」
「そうね……あなたの言うことは
やがて彼女の目に涙が溜まり始めた。大粒の雫が、目尻から耳へと流れていく。
「どうしてお前が泣く?」
「私は……ヘレスを止めることができなかった。ずっと傍観していた。ヘレスが私に助けを求めていることを知っていたのに、何もしてあげられなかったの」
「……それがお前の失敗、ということか」
「あの子はきっと、私を恨んでる。
さっき、ヘレスが神々に復讐する理由を隠そうとしたのは、ロゼッタにそうした後悔の念があったからなのか。
「私がこの世界に派遣されたのはね、私がヘレスの師匠だからでもあるの」
「そうか」
「だからね、謝りたいの。あのときは、ごめんなさいって……」
それからしばらく、彼女は泣いていた。
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