第38話 歓声という悲鳴

 小鬼蟲女王ゴブリン・セクト・クイーンが倒れた頃。

 僕らと蠅の王ベルゼブブ刈者リーパーの戦闘も終盤に差しかかっていた。


「キュオオオオオン!」

「もうカミリヤこいつに纏わり付くな、蠅の王ベルゼブブ


 羽を失い、地上での戦闘を強いられる黒い人型。

 不利な状況に持ち込まれても殺気は揺らぎを見せず、ひたすらカミリヤを睨む。何がそんなに彼女の殺害を駆り立てるのか。


 ヤツはダガーのような鋭い爪に自分の魔力を込め始める。飛行に使うはずだった魔力を、爪への補助魔法バフに転換しているのだろう。

 そして、カミリヤに向かって真っ直ぐに走り出した。


「攻撃が直線的すぎるんだよ!」


 カミリヤを集中的に狙っているため、こいつの軌道を見極めるのは簡単だ。自身を守る術を持たないカミリヤを攻撃されるのが辛いところではあるが、逆にそこが弱点として僕らへ有利にはたらく。


 僕は仕込み杖の魔力増幅器を、こちらへ飛びかかる敵に向けた。

 自分が作り出せる最大火力の雷魔術。僕らを青白い稲妻が取り囲み、魔力を充填する。


「消えろ、蝿の王ベルゼブブ


 魔術の発動と同時に、電撃が放たれる。ビーム状に発射されたそれは、大地を削りながら敵を飲み込んだ。生身の人間が食らえば、肉が一瞬で蒸発する威力だ。


 しかし――


「キュオオオオン!」


 蝿の王は止まることなく、こちらへ走り続けていた。先程の魔術で甲殻が多少焦げているものの、致命傷になるようなダメージは与えられていない。


 あの青白い電撃が当たる直前、僕は見ていた。

 蝿の王ベルゼブブの魔力を帯びた爪が、稲妻を弾いているところを。

 魔術同士をぶつけて威力を相殺したのだろう。


「ひえええ、あの攻撃を受けても生きてますよおおお!?」

「チッ、しぶといな」


 ヤツに魔術でのダメージを与えられないのなら、剣で仕留めるしかない。

 僕は仕込み杖から刃を出し、迫り来る蝿の王ベルゼブブに構える。

 おそらく、反撃のチャンスは一度だけ。それを逃せば、ヤツはカミリヤに接触するだろう。


 振り下ろされる爪。

 その横を、通り過ぎる刃。


 一瞬のことだった。

 刃が甲殻を裂く感触がする。


「キュオオッ……グギュ」

「僕の勝ちだ、蝿の王ベルゼブブ


 ドサリ、と音を立てて倒れる敵。

 その首は大きく裂かれており、破壊された体組織から体液がドクドクと噴出していた。


「や……やりましたね、レイグさん!」

「ああ」


 カミリヤが僕の手をそっと握る。やわらかく、あたたかい手だった。僕も彼女の手を握り返し、力を強く込める。

 激しい戦闘を終え、互いが生きている喜びを静かに噛み締めた。


「うお、すげえ! あいつ、蝿の王ベルゼブブを倒しやがったぞ!」


 小鬼蟲女王ゴブリン・セクト・クイーンと戦っていたデリシラとユーリッドもこちらへ戻ってくる。デリシラは歩きながら嬉しそうにブンブンと手を振っていた。彼らに目立つような外傷は見当たらず、巧く敵を倒せたらしい。


「お前は……本当に魔術師か?」

「え?」

「魔術ではなく剣術で敵を仕留める魔術師など、聞いたことがないのだがな」


 ユーリッドが死体の切り口を見て呟く。

 カミリヤは武器も魔術も使えないのだから、魔術が効かない敵が出た場合、こうなるのは仕方ない。事実、僕は前衛と後衛の二役をしている。カミリヤもデリシラくらいに強ければ、僕の仕事も楽になるのだが……。


「あ、レイグさん! 蟲魂が出てきましたよ!」


 ビクンビクンと痙攣していた敵の死体だが、それも徐々に治まってくる。

 やがて、大きな蟲魂が現れた。球状の白いモヤモヤが死体から次々と昇り、天に向かって消えていく。


「レイグさん、これで多くの人間の魂が解放されました」

「もしかして、蟲魂の正体って……」

「はい。魔蟲種に閉じ込められていた魂です」


 魔蟲種の体には、多くの人間の魂が使われている。兵士としてのボディが破壊されたことで、魂が解放されているのだ。


「子どもから老人まで、色々な人が蝿の王ベルゼブブの体に閉じ込められていたみたいです」

「そうか……」

「みんな、解放されて喜んでます。こちらへ手を振ってますよ」


 カミリヤはニコニコしながら蟲魂を眺めていた。彼女には魂の形がハッキリと人のように見えるのだろう。

 今回で多くの魂を魔蟲種から解放できたし、蝿の王ベルゼブブという敵側の頭脳を潰すことができた。しばらくは周辺で魔蟲種の活動も静かになるはずだ。

 これで少しでも魔神ヘレスの企みを遅らせることができればいいのだが……。


 そんなことを考えながら、消えていく蟲魂をぼんやりと眺めていたときだった。


「ぁ……っ!」


 突然、カミリヤが変な声をあげ始める。


「どうした、カミリヤ?」

「そんな……そんな!」


 僕が彼女へ振り向くと、その顔は豹変していた。先程までの喜びの表情が完全に消え去り、驚きと戸惑いに満ちている。冷や汗が垂れ、体全体が震えていた。

 僕はその変化に心配し、彼女へ駆け寄った。ぐったりとして倒れそうになる彼女を支え、必死に名前を呼びかける。しかし、彼女は僕の声が聞こえていないのか、ひたすら目を見開きどこかへ視線を向けていた。


 彼女の視線の先には、蝿の王ベルゼブブの頭部。

 ギョロリとした赤い目玉が、まだ生きているかのようにこちらを捉えている。

 ヤツは確実に死んでいるはずだが、カミリヤには何か見えるのだろうか。


 そして――


「いやあああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 カミリヤの悲鳴が、荒野に響く。


 このとき、カミリヤには蝿の王ベルゼブブの瞳の向こう側に、狂気に満ち溢れてたが見えていた。憤怒・憎悪・殺意……あらゆるネガティブな感情が混ざり合った深淵がこちらを覗いていたことに、僕は気づけなかった。

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