第39話 観察という狂気

 やっと見つけた。


 わたしの邪魔をする、わるーい女神を。


 今回もわたしの用意した分身が倒されちゃったけど、次は絶対にあなたを殺してあげるの。


 そのために今、すっごいたくさんの魂を使って、つよーい兵士を作ってるんだから。


 もう少しで繭から出られるからね。それまでの辛抱だよ、ヘカトロン。


 あれ?


 あの悪い女神の隣にいるのは誰?


 もしかして……レイグ君?


 どうして?


 どうして君が、女神の隣にいるの?


 教えてよ。


 ねぇ……。












     * * *


「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 蝿の王ベルゼブブ女王クイーンが沈黙し、静寂が訪れるはずだった荒野。

 しかし、そこへ突如カミリヤの絶叫が響き渡る。


「ど、どうしたんだよ、カミリヤ!」

「嫌、来ないで!」


 彼女の顔は真っ青になり、目の焦点が定まっていない。全身が冷や汗で濡れ、激しく震えていた。

 その様子に驚いたのか、デリシラとユーリッドも彼女に唖然とする。


「いやああああっ!」

「お、おい!」


 彼女は蝿の王ベルゼブブの死体から逃げるように、その反対方向へよろめきながら走り出した。

 僕は彼女の肩を掴み、抱き寄せた。それでもカミリヤは強い力で僕から離れようと暴れる。彼女にここまで筋力があったのかと驚いたほどだ。彼女の爪が僕の肌に当たり、傷を作る。


「落ち着け、蝿の王ベルゼブブは死んだんだぞ?」

「ダメ、何かが見てる! あんなの……きゃああああああ!」


 カミリヤも、憑依するロゼッタも、魔蟲種に対して拒否反応を示す性格だが、今回は特に異常だった。どうしてここまで恐がるのか。

 僕は彼女を抱き押さえ続けた。彼女の呼吸が荒い。やがて彼女はスタミナがなくなってきたのか、徐々に暴れる力が弱くなっていく。


「うぼぇ……! がはっ……ぅげっ!」

「どうしたんだよ、本当に……」


 カミリヤを抱き締める僕の手は、彼女の涙と吐瀉物でベトベトになる。下半身も失禁でびちゃびちゃに汚れていた。


「落ち着いてくれ……!」

「離してぇ! いやああああああ!」


 彼女は完全に正気を失っている。僕の発した声も、彼女には届いていない。

 言葉で沈静化させるのは無理だ。そう判断した僕は、杖を彼女へと向けた。


「眠れ……!」


 カミリヤが胃の内容物を全て吐き出したところで、僕は睡眠導入魔術で強引に彼女を落ち着かせた。カミリヤは苦しそうに呻き声を上げながら、地面へ膝から崩れ落ちる。薄く開いていた瞼も閉まり、彼女は徐々に深い呼吸を取り戻した。

 こうして、ようやく荒野に静寂が訪れたのだ。


「眠ったのか?」

「ああ、僕が睡眠魔術を使った」


 デリシラが心配そうにカミリヤを覗き込む。カミリヤの顔は鼻水やら胃液やらで、目も当てられないほどぐちゃぐちゃになっていた。


「なあ、どうしてカミリヤは蝿の王ベルゼブブの死体から逃げてたんだ?」

「分からない……が、心当たりはある」


 女神ロゼッタがカミリヤに憑依することで、彼女は魔蟲種の甲殻に隠された本当の姿を見ることができる。

 おそらくその能力で、彼女は何かを見てしまった。











     * * *



 結局、カミリヤは深夜になるまで目を覚ますことはなかった。


 その間、荒野の前線基地では生き残った兵士が蝿の王ベルゼブブの襲撃で破壊された拠点の立て直しを進めており、僕もその活動に加わる。

 死傷者が多く、帝国軍は今後この場所から魔蟲種討伐を撤退するらしい。僕らが次にどこへ派遣されるかも検討中だという。


 一方、デリシラとユーリッドは釈放に必要な討伐ポイントを集め終え、釈放手続きのために帝都へ戻るらしい。

 キャンプ地が夕焼けに照らされるなか、囚人用テントで僕らは別れの挨拶を交わした。


「いやー、アンタのおかげで達成できたよ」

「そうだな。僕も助かった」


 もしデリシラたちがいなければ、僕とカミリヤは蝿の王ベルゼブブ女王クイーンによる挟み撃ちで死んでいただろう。蚯蚓災蛇ワームヒュドラなどの巨大な群れの殲滅といい、ここでの戦闘を乗り越えられたのは彼女たちのおかげだ。


「なぁ、最後に握手しよーぜ」

「あ、ああ」


 デリシラはニコニコしながら、僕へ手を伸ばした。筋肉質でガチガチな彼女の手が、僕の手を握る。


「もしアンタも釈放されたら、ウチの村に飲みに来いよ……って言いたいところだけどさ、残念ながらウチの国じゃ帝国民は嫌われてるんだよな」

「まあ、そうだろうな」

「植民地政策なんて、とっとと止めてくれねぇかな? アタシたちは好きなように商売したいだけなんだからさ」


 デリシラは困った顔をしながら笑って見せた。

 そして、今度はテントの隅で移動の準備をするユーリッドへ顔を向ける。


「ユーリッド、アンタもレイグに挨拶したらどうなんだ?」

「俺は……別にいい」

「何だよ、冷てぇなぁ」


 ユーリッドは依然僕らとあまり関わり合いを持ちたくないのか、こちらに視線すら向けない。

 そんな彼の様子に、デリシラは僕の傍に寄り、耳打ちをする。


「あいつ、あんな態度してるけど、ホントはアンタに一目置いていると思うぜ」

「そうか?」

「ほぼ一人で蝿の王ベルゼブブを倒せるヤツなんて、なかなかいねーぞ? だから、あいつはアンタに目をつけてるんだ。味方としても、敵としても、な」


 デリシラとユーリッド、そして僕とカミリヤが釈放されれば『囚人部隊』という枠から離れ、僕らは再び『敵国の人間』という立場に戻る。

 そうなれば彼らは帝国との戦いに戻るだろうし、僕も政府職員として戦闘に必要な予算決定やらを手伝うことになる。ユーリッドが僕に目をつけているのも、今日の友が明日の強敵になることを恐れているからだ。


 それが、すごく寂しいものに感じた。

 この魔蟲種との戦いが終われば、僕は彼らと剣を交えなければならないのだろうか。


「ここでお別れだ。じゃーなー」

「ああ」

「そんな暗い顔すんなよ。明日にはアタシたち敵同士になってるかもしれねーけどさ、今はカミリヤのために明るい顔で待っとけって」


 テント内の簡易ベッドに寝かせたカミリヤは、今のところ穏やかな寝息を立てている。深い呼吸で胸は規則的に上下し、再び暴れそうな気配は見られない。

 デリシラは彼女へと歩み寄り、息がかかるほど顔同士を近づけた。


「こいつ、明るいヤツだと思ってたんだけどなぁ。どうしてあんなことに……」

「カミリヤは世間知らずで、子どもみたいで、手間のかかるヤツだが……常人には耐え難いものを色々抱え込んで生きてる。今回はそれが少し出たんだ」

「そっか……お前も大変なんだな」


 デリシラはカミリヤの金髪をそっと撫でる。


「でもよかったな。自分の苦しみを理解してくれる他人が、すぐ傍にいてくれてさ」

「……」

「幸せなことなんだぞぉ? なぁ?」


 デリシラは眠るカミリヤに話しかけ続ける。彼女の言葉に、カミリヤは何も応えない。


 それでも一瞬だけ、カミリヤは微笑んだような気がした。

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