第36話 蝿の王・刈者という魔蟲種

 青空を放出する粒子で黒く変えた魔蟲種、蝿の王ベルゼブブ刈者リーパー

 漆黒の甲殻に覆われた人型魔蟲種である。身長は2メートルほど。成人男性くらいのサイズしかない。

 しかし魔蟲種としてのサイズこそ小さいながら、背中の虫羽からは僕らが想像もできないような速度を生み出す。保有する魔力量も、他の魔蟲種と比べて桁違いだ。

 手の先端には鋭利な爪。それは赤黒く汚れていた。おそらく先程、基地を襲撃したのはこいつだろう。


「やっぱり、蝿の王ベルゼブブ型が潜んでいたかぁ!」

「アイツ……さっきから何であそこに止まってるんだ?」


 ヤツはいきなり僕らに襲いかかることもなく上空に停滞する。ヤツの赤い瞳から放たれる視線は僕らに向けられていた。

 いや、『僕ら』というよりは、カミリヤに向けられている気がする。僕の背後に隠れる彼女を観察しているのか、ヤツの目玉が微かにキョロキョロと動いていた。


「おい、カミリヤ?」

「な、何でしょう?」

「アイツ、お前を見てないか?」

「そ、そうですか?」


 先程から、ヤツは僕の横にいるデリシラやユーリッドへ視線を向けていない。まるで何かに惹かれるように、ひたすらカミリヤだけを見ている。


 もしかすると、蝿の王ベルゼブブはカミリヤに宿る女神の存在を本能的に察知しているのかもしれない。魔蟲種を作り出した魔神ヘレスを追うために派遣された女神ロゼッタが、脅威として認識されている可能性がある。


「キュオオオッ!」


 蝿の王ベルゼブブが吼える。

 赤い瞳の輝きはさらに増し、波動のように空全体へ広がった。まるで、何かに向けて信号を送るように。


 そのとき――


「キュイイイッ!」


 轟音とともに高く吹き上がる砂埃。

 その咆哮に応えたのか、突如地中から巨大な人型の影が出現する。エメラルド色に光る複眼は殺気に満ち溢れていた。


「……小鬼蟲女王ゴブリン・セクト・クイーンだと!」


 小鬼蟲ゴブリン・セクト系魔蟲種の最高峰、小鬼蟲女王ゴブリン・セクト・クイーン

 頭部の盛り上がった甲殻が女王のティアラのように見えることから『女王クイーン』の名が付いた。ヤツは騎士ナイト戦車ルークと比較にならないほどの怪力を持ち、圧倒的な破壊力を誇る。確認された個体数こそ少ないが、その凶暴さから都市を壊滅させるなど甚大な被害を出す。


「随分と厄介なヤツを連れてきたものだ」

「ひえっ、こんなの勝てるんですか、レイグさん!」


 蝿の王ベルゼブブが他個体を操る能力を使い、ここに誘導したのだろう。

 先の巨大な群れは、僕らの強さを確認するための斥候せっこうだったのかもしれない。蚯蚓災蛇ワームヒュドラ戦車ルークでは僕らを倒せないと判断した蝿の王ベルゼブブは、彼らよりも格段に強さが上の女王クイーンを召喚した。女神の息の根を、確実に止めるために。


「来るぞぉぉ!」


 蠅の王ベルゼブブの羽の動きが変わる。停滞から、素早く飛行するための形態へ。


 ギュオオオオオン!


 紫の粒子を撒き散らしながら、ヤツがこちらへ急速接近する。羽が生み出す風が空気を裂き、荒野の砂埃を舞い上げた。

 ヤツが捉えている相手は、もちろんカミリヤだ。爪を構え、彼女に飛びかかる。


「きゃあああ!」

「させるかよ!」


 僕はカミリヤを抱え込み、仕込み杖で爪をガードした。爪と刃が激しくぶつかり、互いの体に衝撃が走る。火花が乱れる刃の向こう側に、刈者の目がギラギラと輝いていた。


「キュオオオン!」

「魔術師学校首席卒業を舐めるな!」


 自分が使える補助魔術バフを最大限に施した肉体と仕込み杖だ。簡単に押し負けるわけがない。


 そのとき――


「キュイイイッ!」


 蝿の王ベルゼブブからの信号を受けたのか、待機していた女王クイーンがズシズシと地響きを轟かせながら走り出す。ヤツが向かう先にはカミリヤ。僕ごと彼女を挟み撃ちにして殺す算段らしい。


 ヤツの爪が当たる直前――


「アタシらを無視すんじゃねぇ!」


 デリシラの投げた巨大な斧が、女王クイーンの冠を砕く。その威力で巨躯はよろめき、後方へ仰け反る。


「こいつはさぁ、討伐ポイントがすっげぇ高いんだろ?」

「そうでちゅ。女王クイーンは3000ポイント。蝿の王ベルゼブブ刈者リーパーは5000ポイントでちゅね」

「それだけもらえれば、アタシたちの討伐刑は終わりじゃね?」


 58号の言葉に、ニヤリと笑うデリシラ。

 今そこにいる2体を倒せば、彼らの釈放に必要な討伐ポイントが満たされるということだろう。

 デリシラとユーリッドは何度もこの区域での戦闘を生き残ってきたと聞いている。すでに大量の討伐ポイントを保有していてもおかしくはない。


「レッツ討伐! 囚人部隊のみんな、がんばるのでちゅ!」

「おっしゃ! さっさと済ませて家に帰るぞ!」


 随分と簡単に言ってくれるな、58号。

 デリシラも乗り気だ。彼女は地面に落ちた斧を拾い上げると、体勢を立て直した女王クイーンに向けて構えた。


蝿の王ベルゼブブはカミリヤに夢中みたいだな! そっちはレイグに任せるからさ、ユーリッドはアタシを援護しろよ!」

「また勝手なことを……」


 デリシラの言葉に、ユーリッドがやれやれと首を振る。血気盛んな彼女の性格に、彼も振り回されてきたのだろう。

 ユーリッドもまた自分の得物である長弓を女王クイーンへ向けた。

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