第30話 依頼という条件

「やっほ、レイグ」

「またここか」


 僕が眠りに落ちてしばらく経つ。気がつけば、昨夜と同じ真っ白な夢の中にいた。

 そこに佇むのは全裸のカミリヤと僕、それからモヤモヤとした幽霊みたいな姿のロゼッタ。

 再びこの空間に僕が呼び出されたということは、約束どおり僕に憑依するのを止めてくれるということだろうか。


「これからカミリヤの体に戻るんだな、お前は」

「そうねぇ、男の体って色々と不便だもんね。股間に何かぶら下がってて変な感覚するもん」


 ロゼッタの幽霊はいやいやと手を振りながら、ポカンとした様子で座り込むカミリヤの元へ歩いていく。ロゼッタはそのままカミリヤの裸体へと抱きつき、憑依する対象を彼女へ移す準備に入った。

 やっと離れてくれたか。僕は安堵し、深いため息を吐いた。どうやら、これで僕への憑依が解けるようだ。


「じゃあ、早くカミリヤの体に戻っ――」

「ただし、条件があるわ」


 は? 条件だと?


 カミリヤに憑依しかかっていた彼女はその動きを止め、僕を刺すような視線で見つめていた。先程まで分からなかったが、今は白いモヤモヤの中に浮かぶ碧眼が彼女の顔の部分に確認できる。あれが彼女本来の姿が持つ瞳なのだろう。

 突然出された提案に僕は動揺した。ようやく解放された安堵が一転し、不安が心の中をぐるぐると渦巻く。


「い、一日経ったらカミリヤに戻ってくれる約束だっただろ!」

「あら、別にいいのよ? このままあなたに憑依し続けても」

「うぐっ……」


 逐一面倒な女神だ。

 僕は早く彼女から解放されたいのに、どうしてこうもスムーズにいかないのか。完全に僕のペースを彼女に握られてしまっている。女神という特殊な存在に、僕はどう対処していいのか蒙昧をしていたのだ。

 残念ながら、ここは条件を呑むしかない。その内容が僕の力で達成できそうな限りは。


「……分かった、条件を聞こう。僕が実行可能なものなら呑んでやる」

「やったぁ、ありがとうね、レイグ! 大丈夫よ、必ずやろうと思えばできる条件だからぁ!」


 一体、どんな条件を出してくるのやら。

 僕の返答に先程の目つきとは打って変わって、ロゼッタの瞳は喜びに満ち溢れていた。


「あのね――」

「あぁ」


 僕は固唾を飲み、ロゼッタの口の動きに注目する。


「――もし私がいなくなったら、カミリヤのことを頼みたいの」


 それが、ロゼッタの出した条件だった。


「は?」


 その言葉に、僕はしばらく固まっていた。

 カミリヤのこと?

 僕は隣に座り込むカミリヤに目を向けた。

 彼女を頼む? その言葉は何を意味しているのか、まだ自分にはよく分からなかった。


「それはどういう意味だ、ロゼッタ?」

「もし私が魔蟲種を作り出している術者を突き止めて魂の輪廻を元に戻せたとする。そしたら、私はこの世界での役目を終え、天界に帰還しなくてはならないの」


 魂の輪廻?

 この世界での役目?

 天界への帰還?


 何を言っているんだ、こいつは?


「待ってくれ、順を追って説明してくれないか?」

「そうね、話が唐突すぎたのかも。まずは、私がカミリヤに憑依した経緯を説明しなくちゃね」


 ロゼッタは僕の前に立ち、深く息を吸った。呼吸を整え、互いの視線を重ねる。


「私はね、元々『天界』という場所で人間の輪廻転生を司る仕事をしていたの」

「天界?」

「あぁ、神々の暮らす世界のことよ。人間は『天国』とか『死後の世界』とか、そういう言葉で表現しているけど」


 信じがたい話だが、今は彼女の話を受け入れるしかないだろう。


「あるとき天界に暮らす神々は、魂の輪廻転生が正常に行われていない世界を発見したの」

「つまり、それはどういう世界なんだ?」

「死者は新しい体を授かることができず、新たな命が誕生できない世界よ」


 妙に胸がざわつく。ロゼッタが口にした「新たな命が誕生できない」という言葉に、僕は思い当たる節があった。


「まさか、その世界って――」

「それがこの世界なの」


 大臣の秘書を務めていた頃、僕は仕事で国に関する様々な文書に目を通していた。

 その中に『大幅な出生率低下』に関する書類があったのを思い出す。数年前まで右肩上がりだった帝国内の人口が、ここ最近急激に低下を始めているらしい。そういう感染症の可能性も疑われたが、理由は未だに明らかにされていない。

 その現象は帝国だけでなく、他の地域でも確認されていた。人口の少ない小さな集落は壊滅の危機に晒されているという。


「どうしてこの世界にそんな現象が起きているんだ?」

「原因は何者かが魂を魔術で兵士としていることだった。その兵士こそが『魔蟲種』と呼ばれているものよ。兵士にされた魂はこの世界に固定され、永遠に術者に従い続ける。兵士としてのボディーを破壊されない限りはね」


 昨夜、風呂場で僕が見た人間の頭部みたいな粘体蛞蝓スライム・スラッグ

 あれがその術者によって兵士とされた人間の魂なのだろう。その蛞蝓スラッグは始末したし、閉じ込められていた魂は解放されたはずだ。


「この世界の人間も魔蟲種に対して討伐活動を展開しているけど、それでも魔蟲種が作られるペースの方が格段に上だったわ。このままでは、人間が全て魔蟲種に置き換えられてしまうの」

「それは……一大事だな」


 人間が皆、あんな化け物に換えられるだと?

 事態はかなり深刻な方向へ進んでいるらしい。このまま状況が悪化すれば、自分も魔蟲種に殺され、あの黒い甲殻の中に閉じ込められるのだろうか。あまり考えたくはないが、最悪そうなるかもしれない。


「私はそれを止めるため、天界から派遣されてこの世界にやってきた。でもさすがに自分専用の新たな肉体までは作れないから、こうやってカミリヤの体を借りて使命を果たそうとしている。カミリヤが使える『勇者召喚』の術も、私が使命達成のために授けた戦闘能力なの」


 これが、ロゼッタがこの世界に来た経緯であり、カミリヤが勇者召喚をできるとされる理由でもある。

 勇者召喚はただの優れた魔術ではなく、魔蟲種を殺すためカミリヤだけに与えられた特殊な力だったのだ。


「それで、その魔蟲種への置き換えを食い止めるにはどうすればいい?」

「魔蟲種を作り出す術者を突き止めて、殺すしかないわ」

「その魔術師の目星はついているのか?」

「魔神ヘレス。おそらく、彼女がこの世界に転生した存在だと思われているわ。この世界での名前は不明だけど」

「転生って……つまり、そいつは元々この世界の住人じゃないわけだな?」

「ええ。彼女は天界の住人だったんだけど、魔蟲種を作り出す兵士召喚の技術をそこから盗み出したの。乱用すればあらゆる世界を滅ぼしかねないから、それも回収しなければならないわ」


 この事態を引き起こした張本人が、その魔神ヘレスという人物らしい。

 ヘレスという名前自体には僕も聞いたことがある。女神教団の聖典に登場する悪の化身だ。災いをいくつも引き起こし、女神と従者によって地獄へ追放されたとされている。


 ここまでロゼッタがした説明で、僕が納得できる部分はあった。出生率の低下や、兵士とされた魂など、実際に問題となっていることや体験したことだ。

 だが、少しだけ気になる箇所があった。


「一つ、質問をいいか?」

「何?」

「どうして神々は人間をそんなに守ろうとする? 僕から見れば、この事態は神にとって対岸の火事のようにしか思えないが?」


 住む世界も違う僕らを、なぜ神々は助けようとするのか。そこが疑問だった。この事態を放置していても、神々自身には影響がなさそうだが……。


「それは……彼女が……魔神ヘレスが、最終的に私たち神々を滅ぼそうと考えているからよ。魔蟲種を使って、神殺しの軍勢を組織しようとしている」

「なるほど、人間よりは自分たちの保身のため、ということか」

「言い方は悪いけど、そういうことね……」


 ロゼッタは気まずそうに僕から目を逸らした。

 実際のところ、彼女が人間のことをどう思っているかは知らないが、守りたいのは本当だろう。そうでなければ魔蟲種に襲われる危険を冒してまでこの世界に降臨などしないはずだ。


「それで近い将来、私が魔蟲種を生み出す元凶、魔神ヘレスを倒したとする。そこで私の役目は終わり、天界に帰還しなければならないの」

「いつまでもこの世界にはいられない、ということか」

「そしたら私はカミリヤから離れ、勇者召喚もできないことになる。そうしたらこの子はまた一人になってしまうの」


 女神も消える。

 勇者召喚という特技もなくなる。


 そんなカミリヤを、教団も帝国も欲しがらないだろう。両親を亡くし、生まれ故郷も地図から消えている。カミリヤは完全に行き場をなくすのだ。


「だからね、もし私が魔神ヘレスを倒せたら、あなたにカミリヤを幸せにしてほしいの」

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