第32話 マグリナという化け物
「レイグ様とカミリヤ様を乗せた牢馬車が予定時刻を大幅に過ぎても到着していないようです、マグリナ様」
「ふん、原因は?」
――フルディア地区・帝国軍前線基地・対魔蟲種防衛ライン
ピチャピチャ……!
武具を身に纏う兵士だらけの荒野に、豪華な装飾が施された政府公用馬車が停まっていた。
座席に足を伸ばしてくつろぐ女性はマグリナである。彼女の横に私兵のアルビナスも並び、その靴をむらなく舐め尽していた。
「現在、調査部隊を編成中でございます」
「まあ、理由がどうあれ、ヤツさえ苦しめばそれでいいのだがな」
マグリナはニヤニヤと満足げな表情をアルビナスに見せた。相手を苦しめる喜びに笑みがこぼれる。
「ワタクシから一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「なぜ、マグリナ様はレイグ様に拘るのです?」
アルビナスからの質問に、マグリナは彼へムッとした視線を送った。
マグリナへレイグに関する質問をぶつけると彼女は必ず不機嫌になる。そんなこと、アルビナスには分かっていた。
しかし、マグリナの性奴隷であるアルビナスにとって、屈辱や苦痛を与えられるレイグは非常に妬ましい存在であった。なぜ彼ばかりマグリナに注目され、酷い目に遭うよう仕組まれるのか。そこが彼にとって不思議でならなかったのだ。
「それはな、ヤツに私の恋人を奪われたからだよ」
「恋人……ですか」
「エルシィという名の娘でな、なかなか可愛いヤツだったのだがね」
自分専用の元メイドだったエルシィという少女が姿を消した。それはレイグという男と接してからのことだった。
マグリナは自分の気に入っていた玩具を失い、彼への憎悪に囚われている。今、エルシィはどこにいるかすら分からない。
「しかし、あの男のことを語っていたら、だんだん腹が立ってきたな」
「でしたら、ワタクシを思う存分痛めつけてください!」
「貴様は最高に気持ち悪いな、アルビナス」
ドガッ!
彼女はアルビナスを「フッ」と鼻で笑い、彼を硬い革靴で思い切り蹴飛ばした。アルビナスは部屋馬車の扉へ激突し、扉は破壊され屋外へ吹き飛ぶ。
「それに、今はそういう場でもないだろう」
マグリナは立ち上がり、馬車の壊した扉をくぐった。
外に広がっていたのは、どこまでも続く荒野である。周辺には帝国軍の仮設拠点があり、いくつも並ぶテントの中で兵士たちが次の戦闘に向けて武具を整備していた。
「たまには兵の士気を上げてやるのも大切だ」
それは、なかなか成果を上げない兵士たちへの嫌味が込められた言葉だった。
魔蟲種が区域内に集結し始めて数日が経過している。これまで数百人規模の兵士を送ったが、未だに事態が収束に向かっていない。
「どれ、私も少し戦線に加わってやる」
「マ、マグリナ様が自ら出撃なさるおつもりですか! それは危険です!」
「構わん。憂さ晴らしするだけだ」
マグリナは周辺の兵士に軽蔑の視線を撒きながら、基地の中央を堂々と歩いていく。
「アルビナス、私の武器をよこせ」
「はい、こちらですね、マグリナ様」
アルビナスがマグリナに渡したのは、金色の装飾が施された鞘に納められた刀だ。彼女は刃を引き抜き、柄を強く握る。
「目障りな蟲どもを切り伏せてやるさ」
マグリナの視線の先には、荒野に舞い上がる砂煙。轟音とともに彼女へ急速に接近している。
「キュオオオオオオオン!」
砂煙の中央から発せられるおぞましい鳴き声が荒野を揺るがした。
そこにいるのは蛇のような巨大魔蟲種、
「な、何なんだあの数は!」
「マグリナ様、ここは危険です! 引き返しましょう!」
引き止めようとする部下たちを無視し、マグリナは敵に向かって歩み続ける。
「キュオオオオン!」
「貴様は最高に目障りだな、
* * *
「視察団のマグリナ様が単独で戦線に出ただと!」
その数分後、作戦本部の将校たちは大混乱に陥っていた。
「現在、魔蟲種の群れと交戦中です!」
「そ、それで群れの規模は?」
「目視での観測では、軽く5000匹は超えているかと……
自分たち軍人が護衛するはずだった、マグリナをリーダーとする戦況視察団。そのマグリナが敵に囲まれてしまった。
マグリナは政府内で高い身分にあり、自分たちへの物資・人材の補給に関する多くの権限を握っている。彼女を失っては自分たちにどんな悪影響が出るか分からない。
「何てこった……」
部下の報告に、白髪混じりの将軍は頭を抱える。
「今すぐ増援を送るんだ! マグリナ様に何かあっては私たちの尊厳に関わるぞ!」
* * *
「な、何なんだ、この光景は……」
増援の兵士がマグリナの元へ駆けつけたとき、既に戦闘は終了していた。
魔蟲種の鳴き声や足音は聞こえない。先程までの騒がしさが嘘のように静寂が広がる。
「みんな……死んでいる」
そこにあったのは、大地を覆い尽くすほど大量に散らばる魔蟲種の死骸。
さらには、10メートルを超えるようなミミズ型巨大魔蟲種、
「何だ、将軍? 増援など不要だったのに」
その山のような死骸の上にマグリナは佇んでいた。手には魔蟲種の体液が付着した刀が握られている。
「ま、まさか、マグリナ様がお一人で倒されたのですか?」
「この状況を見て、そんなことも分からんのか? 貴様は最高に無能だな」
彼女は死骸の上に立ち、将軍の横へ軽やかに飛び降りた。
「憂さ晴らしは済んだ。私は帝都に戻る」
「は、はぁ」
「それと、この死骸の中にある貴重な個体はサンプルを保存しておけ」
「か、かしこまりました……」
マグリナは将軍の横を通り抜けると、そのまま作戦本部の方角へ歩いていく。
彼女に疲れている様子は全く見られない。まるで何事もなかったかのように、死骸の上を過ぎていった。
将軍は彼女の後ろ姿を呆然と眺めていた。
本来なら、この魔蟲種たちの討伐には100人以上の熟練した兵士が必要となる。だが、それをマグリナはたった一人で全滅させたのだ。
「ど、どうなっているのだ、あの方は」
将軍の呟いた質問の答えは、刀で無惨な姿に変えられた魔蟲種の死骸が物語っていた。
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