第28話 被虐という過去

「……」

「……」


 裸体になっている僕とカミリヤ。

 狭い湯船に二人同時に浸かるため、体を重ねるように密着させている。


「な、なぁ、カミリヤ?」

「は、はい!」

「どうして僕と一緒に風呂へ入っているんだ?」

「あの、一人で待っているのが心細くて……」


 確かに、一緒に風呂へ入っていた方が安全、という考え方も一理ある。

 非力なカミリヤを一人だけにさせるのは危険だ。先程みたいに屋内に魔蟲種が入ってくる可能性もあるだろうし、女神教団もこちらの罠を潜ってカミリヤを拉致しようとするかもしれない。

 それならば、多少の羞恥など無視して僕と湯船に浸かっていた方が自分の身を守り易い。ここには僕もいるし、一応風呂場の片隅には護身用の杖も置いてある。


「実は……レイグさんにお礼を言いたくて」

「お礼?」

「昨日、男の人たちに囲まれていたとき、割って入って助けてくれたじゃないですか」


 ああ、オレネルス森林区前線基地のことか。

 カミリヤは貞操を失う一歩直前まで迫られていた。あれに関して礼を言いたいらしい。


「あのときは、ありがとうございました!」

「ど、どうも……」


 彼女は体の正面を僕に向け、僕の手を握る。もちろん、僕の視界には水の滴る彼女の生まれたままの姿が。

 さすがに目のやり場に困る。僕は視線を壁へ向け、そっけなく返事をした。


「何よレイグ。もっと嬉しそうにしたら?」

「どうしてこいつは僕に裸ばかり見せてくるんだよ」


 思い返すと、僕は彼女の全裸姿を何度も視界に入れてきた気がする。森林での水浴びを皮切りに、前線基地、先程もキッチンで見かけた。

 大して交流も重ねていないのに、こんなに見せてくる女性がこれまでの人生にいただろうか。


 カミリヤは両手で胸を隠しつつ、頬を赤らめる。


「私、初めてだったんです。あんな風に男性から助けてもらったのって。まだ『男性』ってどういうものなのかよく分かってなくて……」

「お前は長い人生を生きてきて、男と関係を持ったこともないのか?」

「……ないんです」


 そのとき――


「レイグ、それは聞いちゃダメだって!」


 僕の口から、ロゼッタの怒り声が風呂場に響く。

 僕は何かまずいことを言っただろうか?


「いいんです、ロゼッタさん。レイグさんには私の過去のことを色々と知っていてほしいですから」


 カミリヤは僕の顔を大きな瞳で覗き込む。湯気のせいだろうか、その目は潤んでいるようにも見えてしまう。少し悲しげな表情になり、彼女は自分の過去について口を開いた。


「私、子どもの頃、幽閉されて過ごしてたんです。6年間も」


 僕も彼女の過去について思い出していた。

 アルビナスから貰った手帳に記されていた彼女の経歴には、空白の部分が存在する。それが丁度6年間。カミリヤが口にした時期と一致する。


「故郷の村が魔蟲種の襲撃に遭ったのが、6歳の頃でした。それからは色々な場所を転々としながら過ごしてたんですけど、12歳のときに両親まで失ってしまって……」

「それは大変だったな……」

「それがきっかけで私は行く当てがなくなって、女神教団の運営する孤児院へ入ることになったんです」


 ここまでは手帳にあった内容どおりだ。

 問題はこの先。ここから、空白の6年間が始まる。

 僕は固唾を飲み、彼女の口から出る言葉に耳を傾けた。


「そこの管理者だったのが、ルイゼラ・ハーベドガスターさんです」


 あの死神みたいな婆さんのことだ。アイツが管理者ということは、そこの孤児院に暮らす子どもはどういう扱いを受けるのか大体想像がつく。きっと碌なものではないだろう。


「あの方は熱心な信奉者で、女神をこの世界に降臨させる儀式について日々実験を繰り返していました。その一つに、女神を少女の肉体に憑依させる、というものがあったんです」

「まさか、それにお前が実験対象として選ばれたのか?」

「はい……」


 彼女は目を伏せた。浴室の隅を見つめ、独り言のように呟く。


「その頃のことは、よく思い出せません。思い出せるのは、暗くて狭い部屋の床に魔法陣が描かれていて、そこにずっと縄で縛られていたことくらいです。あと、変な薬を毎日飲まされ続けたことでしょうか」


 きっと、これは当時の記憶を思い出せないんじゃない。

 思い出したくないんだ。


 彼女は震えていた。声も、体も。


「気がつけば6年経っていて、私には不思議な力があって、黒くて大きな魔蟲種を倒していたんです」


 その魔蟲種が蠅の王ベルゼブブ騎兵トルーパーということだろう。


「倒したとき、みんな喜んでくれたんです。あのルイゼラお婆さんも、すごくはしゃいでいて」

「ようやく平穏になれたんだな」

「でも、誰も私の名前を呼んでくれなかったんです」

「え……」

「みんな、私のことを『ロゼッタ様』って」


 森林でルイゼラと対峙したとき、ヤツはカミリヤのことを決して彼女の名前で呼ぼうとはしなかった。

 ルイゼラにとってカミリヤの存在など石ころ同然なのだ。


「それで、私は本当は誰なのか、分からなくなって、怖くなって、怯えながら過ごしてました」

「カミリヤ……」

「だから今、レイグさんが私のことを『カミリヤ』って呼んでくれるのが、すごく嬉しいんです」


 幽閉された挙げ句、存在を抹消されたカミリヤ。子どものまま成長できなかった彼女にとって、その恐怖は計り知れない。


 彼女は僕の胸に顔を埋める。

 僕はそれを彼女の背中へ手を回して抱き締めた。


「それから、帝国との植民地支配をめぐる戦闘が激化して、女神教団の人間は弾圧を受けるようになりました。過激派も穏健派も関係なく帝国兵の剣や魔術に脅されていて、私はあの人たちを助けたかったのに、それを高い場所から見つめることしかできなくて……」


 皇族を絶対的権力者とする帝国にとって、女神を崇める教団の存在は皇族の威厳を不安定にさせる火種になりかねない。

 そうした理由で帝国軍は女神教団を植民地支配下に置いておきたいのだ。


 実際のところ、教団の支配地域にある鉱脈が帝国の目当てなのだが。


 年々、帝国と教団の対立は激化している。

 カミリヤも戦乱の惨禍を目の当たりにしてきたらしい。


「そのとき、私の前に現れたんです」

「何が?」

「アルビナスと名乗る男性の方です」


 事態はさらに複雑化していた。

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