第23話 カミリヤという女神

 最近、僕の周囲では平穏な日常からかけ離れたことが何度も起こっている。


 戦場への派遣。

 サイコ女の介護。

 狂人集団との戦闘。


 ここまで充分、破壊的な出来事は体験した。


 だが、今回は特に酷い。

 最悪だ。


 それは――


「やっほ、レイグ。私よ? 分かる?」


 僕の口が勝手に喋る。


 僕は自分の口を慌てて両手で塞ぎ、現在何が体に起こっているのかを考えた。


 どうしてこうなった!

 どうしたんだよ、僕は!

 なぜ意識してないのに口が動く?


「ふふふっ、レイグったら慌てちゃって、おっかしぃ!」


 困惑する僕を、嘲笑う女性の声。

 声の発信元は目の前にいるカミリヤではない。


 僕だ。

 自分の口が自分を嗤う。


「いい加減、女神の存在を認めたら?」

「僕に何をした、カミリヤァァァァッ!」


 僕はカミリヤに向かって吼えた。


 まさか、夢のとおりロゼッタとかいう人格女神が僕に憑依したというのか!

 あり得ない!


「まさか、ここも夢……!」

「そんなわけないじゃない。ほーら、早く私の言うことを信じたらどうなのぉ?」


 うるせえぞ、僕の口!


 冷や汗がダラダラ流れる。

 この現象は常識を超越していた。


「こ、これは夢だ! 現実であってなるものかァ!」


 僕は頭を掻きむしり、壁に額をガンガンと叩き付ける。


「痛い、痛い、痛い! やめてよ、レイグ!」

「アアアア! こんなこと、あってたまるかぁ!」

「か、体は共有なんだから、大切にしてよね!」


 このとき、僕は完全に錯乱状態だった。

 額から血が流れ落ちる。ボタボタと垂れた雫が床に広がった。


 そんな僕を見て、カミリヤまで慌てる。


「はわわわわ……」


 震えるカミリヤ。

 目の前の流血惨事に、顔を真っ青にして恐怖する。


「だ、誰か、何とかしてくださいいい!」


 彼女の叫びは馬車の外にいた看守兼馬主に届き、僕は取り押さえられたのだった。









***


「レイグ、頭は冷えた?」

「ああ……冷えたよ」


 数分後、僕は座席で項垂れていた。

 馬車に揺れ、自分の状況を見つめ直す。


 自分にロゼッタが憑依している。


 この事実を認めなければ、今の状態を説明できない。他人の体を洗脳せずに操作する魔術など聞いたことがない。

 前代未聞の事態になっているのは確実だ。


「どう? 私の存在を信じた?」

「ああ……だから、早く僕の体から離れてくれ」


 一人で会話が成立する異様な状況。

 元の一人に戻りたい。


 得体の知れない者に体を支配される恐怖。あらゆる動きが彼女の思うがまま。

 早くこれから解放されたかった。


「だーめ! 散々、私を馬鹿にしてきた罰よ」

「え……」

「しばらくの間、レイグの体に憑かせてもらうわ、オホホホ」


 最悪だ。

 神の逆鱗に、僕は触れてしまったらしい。

 僕は彼女を散々罵ってきたのだから、当然と言えばそうなのだが。


 復讐としてロゼッタが僕の体を使って何をするか分かったものではない。

 まさか彼女を罵倒してきたことが、こうしたしっぺ返しに繋がるとは思わなかった。


 これ、いつまで続くんだ?


「あ、あの……レイグさん、大丈夫ですか?」


 今にも消えてしまいそうな、か細い声。

 僕の正面には、ロゼッタが抜けたカミリヤ本人がいる。


 彼女も今の僕のように、別人を身に纏う苦労を何年もしてきたのだろう。


 彼女には平手打ちやら暴言やら酷い仕打ちをしてきた。僕を恨んでいてもおかしくない。


 それでも彼女は僕を心配し、大きな瞳で僕の顔を覗き込んでくる。先程額にできた流血箇所を優しく擦ってくれた。


「カミリヤ」

「な、何でしょうか?」

「どうして僕にそんな優しくする?」


 僕はカミリヤに問いかけた。


 しかし――


「そうよ、こんなクズ男に優しく振る舞う必要なんてないのよ?」

「お前は黙ってろ!」


 答えたのはロゼッタだった。

 自分の口から発せられるロゼッタの言葉。

 自分で自分を馬鹿にして、自分で自分を罵倒する。

 他人からすれば、僕は重度の精神異常者に見えることだろう。ああ、早く元に戻ってくれ。


「いいんです、ロゼッタさん。私、レイグさんを恨んでませんから」

「カミリヤ……」

「確かにレイグさんには色々酷いことされましたけど、どれも一理ありましたし」


 優しいな、お前は。

 憔悴した僕の心に、カミリヤの言葉と微笑みが突き刺さる。

 彼女に握られた僕の手。そこから不意に温もりを感じた。

 そんな彼女が女神のように見えてしまう。


 僕に寄生する女神とは大違いだ。


「レイグ、今、私の悪口を思ったでしょ?」

「さぁな」


 考えてることまでは細かく伝わらないのは唯一の救いだ。思考や記憶まで共有だったら、僕は完全に精神崩壊していた。


「また夜になったらカミリヤの体に戻ってあげるから、今日一日は私の依代として精進なさい! オホホホ!」


 笑い方がイラつくんだよ、このクソ女神が。


 今日を終えれば解放される。

 それが無事に達成することを祈るばかりだ。


 そのとき――


「ウワアアアア!」


 男の悲鳴。


 それが、馬車の運転席から発せられた。

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