第21話 カミリヤという少女

 ゴトゴトという揺れは完全に収まり、停止した囚人用牢馬車。

 その移動式の牢屋と化した小さな部屋に、僕とカミリヤの二人だけ。


 馬車に取り付けられている窓は小さく、現在僕らはどこにいるのかは不明だ。

 それでも今が夜であることは、その窓から入る月明かりで分かる。日が落ちたため馬を休憩させているのだろう。


 ぼんやりとした青白い光が、部屋の隅に蹲るカミリヤの金髪を照らした。


「おい、カミリヤ?」

「……」


 彼女の名前を呼んでも返事はない。

 ずっと自分の中に閉じこもっている。


「まだあのことを気にしているのか?」

「……」

「大丈夫だ。ここにお前の敵はいない」

「……」


 やはり反応はない。

 僕の言葉に逐一鬱陶しいまでに反論していた彼女がまるで別人のようだ。


「喧しいほどの活力はどこに行ったんだよ、なぁ?」


 僕は彼女の隣に、ゆっくりと腰を下ろす。

 彼女はようやく振り向き、僕を認識した。


「あ、あぁ、レイグ」

「珍しく落ち込んでるな、お前」

「いいえ、そのぉ、落ち込んでるのは私じゃなくてカミリヤの方なの」


「その言葉はどういう意味だ?」と言いかけて思い出した。


 確か、こいつには二重人格の設定があったな。

 女神のロゼッタと、依代のカミリヤ。

 この人格が彼女の中に存在するらしい。


 彼女の言うことが正しいならば、ロゼッタは平気だが、カミリヤの方は精神的に大きなダメージを受けていることになる。

 ややこしいんだよ、お前は。


「レイグもカミリヤを慰めてくれない?」

「は? 僕が?」

「優しく抱きしめてくれるだけでいいから、ね?」

「……」


 僕は彼女の提案を承諾するのを躊躇った。

 犯罪者としての彼女を、僕はまだ心の奥で警戒していたからだ。


 アルビナスから様々な情報を聞かされたが、まだ僕は完全に彼女を信じたわけではない。


 この二重人格という設定もどこまでが本当なのだろうか?

 この提案に乗ればその答えが見えるのだろうか?


「じ、じゃあ、抱くぞ?」


 膝を抱えるカミリヤの肩に手を伸ばす。

 彼女の体は震え、肌も冷たい。先程の被虐にかなり怯えているのが僕にも伝わってくる。


「……」

「……」


 そのまま互いに無言の状態が続く。

 僕は彼女に何て声をかければいいのだろう?


 これまでの人生、僕は泣いている女性を励ました経験など一度もない。涙を流す女性に出会ったことはあるが、全て無視してきた。


 これからの人生でも、そんなことは起こらないだろう。

 そう思っていたのに。


「何をやってるんだ、僕は……」

「ムードを壊すような言葉は慎んでよね」

「すまん、どう接すればいいのか分からなくてな」


 どうして謝ってるんだ、僕は。

 本当にいるかどうかも分からない人格に向けて話しかけている。

 自分がしている行動の意味を見出だせない。


 少しでも彼女のコンディションを復活させるために始めた行為だが、効果あるのか、これは?


「レイグのおかげで、カミリヤも大分落ち着いてきたわ」

「そう……なのか?」

「ありがとう、レイグ」


 彼女が本当に二重人格であると仮定する。

 思い返すと、僕は『カミリヤ』という人格と会話したことがないのかもしれない。

 明るく騒がしい人格は『ロゼッタ』の方だったはず。


 ロゼッタは『カミリヤ』のことを「臆病で恥ずかしがり屋」と言っていたが、そんな風に感じられた場面はほとんどない。

 それだけ、彼女は表面に出てきていないということなのか?


「レイグの手、温かい」

「……」


 彼女が僕の手を握り、自分の胸元へ。

 少しだけ、彼女を抱き締める腕を動かしてみる。

 彼女には硬い筋肉がない分、体がふにふにして柔らかい。


 数日間一緒に過ごしただけの男に胸元まで触らせてしまうこの女に、少しだけ貞操の心配をしてしまう。

 昼間、あれだけのことがあったのに、男の僕を信用しすぎじゃないか?


「男ってのはな、いつ襲ってくるか分からないんだぞ?」


 彼女に触れていると、どうも不思議な気分になってくる。熱々としたような、モヤモヤとしたような。


 もしかして、これは彼女なりの色仕掛けか?


 もしこれが色仕掛けならば、その腕はこれまでに出会ってきたどの女よりも負けてない。


「なぁ、もう止めていいか?」

「すーすー……」


 彼女からの反応はない。

 どうやら眠ってしまったらしい。


 彼女に触れている手を離し、座席に横たわらせる。僕も隣で横になり、月光に照らされる彼女の寝顔を見つめた。


「ほんと、よく分からないな、お前は」


 しかし不思議と彼女が傍にいることに安心している自分がいた。

 何なのだろうか、この感情は。


 カミリヤの穏やかな寝息の音が眠気を誘う。

 僕は眠気に意識を任せ、ゆっくりと瞼を閉じた。


 だがこのとき、僕はまだ知らなかった。


 この眠りが、僕をさらなる困惑の渦へ引き込んでいくことを。

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