第3章 あの狂人をどうにかしてくれ

第14話 老婆という怪物

 ――オレネルス森林地区近辺


「何だか今夜は冷えるな」


 魔蟲種が潜むという森林。


 その周辺の草原を警備する帝国兵たち。

 土を踏む軍靴の音。槍や弩弓、様々な武器を携えた兵の集団が歩く。


「最近は魔蟲種が静かだな。俺たちの出動回数が少なくて助かる」

「だが、それだけヤツらも力を蓄えてるってことだろ?」


 兵士らは闇夜に包まれた森林を見つめた。


 そこは、人間の生活圏と、魔蟲種が闊歩する危険地帯の境界。


 万が一ここを魔蟲種に突破されれば、自分たちの基地や近辺の街に甚大な被害が及ぶ可能性が高い。

 そうした事態を防ぐためにも、パトロールは大人数で行われる。


「そういや最近、森へ入っていった討伐刑の囚人を知ってるか?」

「またここに誰かが送られて来たのかよ」


 彼らは数日前基地に訪れた囚人たちを思い返した。


 討伐刑の囚人たちは必ず前線基地を経由するため、誰かが派遣される度に兵士たちのちょっとした話題になる。

 森林へ向かった囚人が無事に刑罰を終えられるか賭け事をするのが、娯楽の少ない基地に勤める兵士の楽しみの一つだ。


「その囚人がさぁ、すげえ美人なんだよ」

「へぇ」

「しかも滅茶苦茶いい体をしてやがった。歩く度にでかい胸を揺らしてさ」


 基地にはほとんど女性がいない。そのため、そこにいる兵士の多くは女に飢えている。


「一度でいいから、俺もああいう女を抱いてみたかったなぁ」

「その女に同行したのは男か?」

「ああ、女と同年代くらいの目つきの悪いヤツだった。きっと今頃、森の中で腰を激しく振ってるんだろうよ」


 兵士らは闇夜に包まれた森林へニヤニヤとした気色の悪い笑顔を向けた。

 あの木々の奥で喘ぎ声を上げる裸体を妄想する。傍にいる男はさぞかし気持ちいい感覚を覚えていることだろう。


「で、その女はどんな罪をやらかしたんだよ」

「それがさぁ、政府関係者に詐欺を働いたらしいんだよ。政府は公にしていない情報だがな」

「どうして公表してないんだ?」

「公表すれば自分たちが騙されたことを認めることになっちまう。国の品位を下げるために認めるわけにはいかないが、すでに情報は拡散しちまった。仕方ないから厳罰を……」


 そのとき――


 ザッ、ザッ、ザッ……!


 風に乗って兵士らの耳に届く足音。

 一人だけじゃない。何人もの人間が草を掻き分けてこちらに足を進める。不気味なまでに地面を踏み付けるリズムが揃っていた。


「だ、誰だ!」


 警備隊の視線の先。

 月が二つある。


 夜空に浮かぶ三日月。

 そして、その下に続く漆黒の草原。そこに光る地上の三日月。


「あれは月じゃない……鎌だ」


 警備兵たちが後者の三日月は鎌だと知るのに数秒も要した。日常的な草刈りで使用される鎌と違い、サイズが異常なまでに大きい。


 そして、それを持つスータン姿の女性。

 彼女を見た兵士たちは驚愕した。巨大な鎌を握っているのは、骨のように体が細い老婆だったのだから。


 さらにその後方には、ずらりと並ぶ黒装束の人間たち。


「あの装束は……女神教団か?」

「お前たち、そこに武器を捨てろ!」


 女神教団と言えば、帝国と激しく武力衝突を繰り返す危険宗教団体だ。彼らの本山がある植民地に赴いた多くの帝国兵が犠牲になっている。捕虜となった兵士は無残な方法で処刑され、その恐怖を帝国本土まで轟かせた。


 そんな敵が、目と鼻の先にいる。


 兵士たちの緊張感は一気に高まり、固唾を飲み込んだ。


 そして――


「キィエエエエエエエエエッ!」


 突如、老婆の口から発せられる奇声。

 それと同時に、彼女は警備隊へと走り出した。


「う、射て!」


 警備兵は弩弓を接近する老婆へ向けた。

 しかし、彼女の動きは止まらない。血に飢えた獣のように草原を駆け、巨鎌を持ったまま高く跳躍する。


「や、矢が、当たらないぞ!」


 彼女は矢の軌道を読んでいた。走りながら身を翻し、矢を最低限の動作で回避する。身に纏うスータンにすら擦らない。


「な、何なんだ、こいつの動きは!」

「どうしてこんなでかい鎌を軽々と……!」


 老婆の目に映るのは、心に定めた獲物の首。


「ぐあああああっ!?」

「ひっ!」


 骸骨のような顔の老婆が巨大な鎌を振るう。

 人間の命を刈る化け物。その姿はまるで死神だ。

 月光を青白く反射する刃は背筋が凍るほどに美しい。

 鎌が振るわれる度に、一人また一人と命を奪っていく。得物が通り過ぎた後にできるのは、綺麗な切断面と、そこに咲く血の花。


「キィエエエエエエエエエッ!」


 奇声を上げながら老婆は敵の中を走る。

 彼女の常人離れした速度と怪力に、兵士は完全に翻弄されていた。訓練を積んだ屈強な男たちが、雑草の如く鎌で刈られる。


「ば、化け物が……!」


 斬られた男がぼやけていく視界の中に捉えたのは、恍惚とした笑みを浮かべる老婆の顔。


「ああ、女神ロゼッタ様ぁ! この男たちの魂をあなたに捧げますぅ! あなたの力へと変えて、再び勇者を召喚してくださいませぇ!」


 恍惚とした表情で、祈るように天を仰ぐ死神。

 何人もいた警備隊は老婆の鎌により、たった数分で大した抵抗もできぬまま全滅した。草原は血の海となり、肉塊がゴロゴロと転がる。


「さぁ、ロゼッタ様に従う女神教の信徒たちよ! 私と一緒に付いてきなさい!」


 老婆のかけ声に、後方で待機していた信徒たちが森へ歩みを再開する。


「この森のどこかにロゼッタ様はいるはずです! 見張りの男を殺し、魂を勇者召喚の糧にするのです! 女神様を帝国が科した刑罰から解放させるのです!」

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