第13話 主という狂人

 ――帝都・北区・クアマイア邸


 深夜、帝都の高級住宅街は静寂に包まれていた。街路を歩くのは眠たそうな憲兵たちだけ。


 その一角にあるマグリナ・クアマイアの所有する豪邸。

 職人による装飾の施された重々しく冷たい鉄柵。庭園に植栽された薔薇は静かに眠る。

 闇夜に包まれた彼女の家。その2階に、ランプでオレンジ色に灯された部屋がある。


「そうか。報告ご苦労だった」

「マグリナ様のためなら、こんなの辛くもございませんよ」


 寝室の天蓋付きベッドに腰かけるバスローブ姿のマグリナ。胸元が大胆に開かれ、深い谷間を覗かせている。

 その足元に、彼女の私兵であるアルビナスが跪く。レイグから受けたカミリヤに関する情報をマグリナへ報告したのだ。


「貴様には手間をかけさせたな、アルビナス。褒美をやろう」


 マグリナは自分の白く華奢な素足を、アルビナスが持つ童顔の前へ突き出した。


「舐めろ」

「大変光栄にございます、マグリナ様」


 アルビナスの表情は淫乱に歪み、舌を彼女の右足に差し出した。


「指の間まで隈なく舌を絡ませるんだ」

「もちろんです! マグリナ様ぁ!」


 ああ、気持ちいい。

 足先から伝わってくる舌の温かい感触。アルビナスのねっとりとした濃い唾液が肌に纏わり付き、彼のハァハァと荒い息が肌を蒸らした。


 マグリナは感じていた。

 私は誰かに屈辱的な命令を下すことで、自分は性的快楽を得ることができる。他人を虐げる背徳感が心を踊らせた。


 いつから自分の性癖はこんなに歪んでしまったのだろう。


 貴族であるマグリナは父親によって厳しく育てられてきた。家族が用意した人生のレールを一歩も踏み外すことなく進む。脱線は許されない。父親がいなくなった今でも、家が守ってきた地位を保つため見えない鎖に縛られ続けている。


 それに加え、上司との関係にストレスを覚えることも多い。ともに職場で仕事をする同僚は息の臭い中年と老人ばかりだ。しかも皆、態度がでかい。

 そんな気の合わない連中に反抗心を見せず、機嫌を損なわぬよう振る舞う。


 家のルールで固められた生活。

 その反動で歪な感性になってしまったのかもしれない。


 一方、アルビナスはそんな彼女の考え事など気に留めず、一心不乱に主の素足を舐め続ける。その姿は、まるで飼主へ狂喜を表現する犬のようであった。


 快楽を感じても表情を一切変えぬまま、マグリナは考える。

 私はいつから他人に足を掃除させていただろうか、と。


 マグリナにとって最初の相手は年下の新米のメイドだった。使用人としての経験に疎い彼女を騙して「これが普通だ」と足を舐めさせる。それが酷く刺激的だったのを今でも思い出す。


 そのメイドは父の隠し子でもあった。

 名前はエルシィ。

 魔術師養成学校の下級生でもある。


 そしてエルシィこそ、レイグを魔蟲種討伐へ向かわせた大きな理由である。

 レイグさえいなければ、彼女は私の前から消えなかったというのに……。


「ところで、アルビナス?」

「如何しましたか、マグリナ様?」

に情報は流したか?」

「はい! 今頃血眼になっていることでしょう!」


 下僕の言葉にマグリナは口元を緩める。

 これで完璧に準備が整った。

 アルビナスがにわざと漏らした情報により、レイグ・ダクファルトという憎き男はさらなる地獄へと陥ることになるだろう。


「アルビナス、今の私は機嫌がいい。今回は特別に左足も舐めさせてやる」


 その言葉を口に出すと同時に、マグリナは着用するバスローブをはだけさせる。

 ランプの放つオレンジ色の光に照らされる肌。

 その奥に黒々とした憎悪の炎が轟々と燃え上がっていた。


「私の味はどうだ、アルビナス?」

「はいっ! とても芳醇で、最高にございますぅ!」

「貴様は最高に気持ち悪いな」














     * * *


 ――帝国植民地・ケダリア地区・教会


 どこまでも続く乾燥した大地。太古からの風雨によって浸食された渓谷が複雑な地形を生み出した。くねくねと曲がる谷底。地層断面が露出し、橙色のグラデーションが描かれた地表。


 地形へ隠すようにポツンと建てられた木製の小屋。


 その地下に、女神の存在を信仰する教団の本部があった。


 血の臭いが充満する本堂。

 女神を象った巨大な彫刻がいくつも並べられ、集まる大勢の信徒たちを見下ろす。

 壁にかけられている松明の揺れる炎が黒装束を身に纏った彼らを怪しく照らした。全身黒ずくめの信徒らは体の向きを壇上へ揃え、主へと跪く。


「我らの女神、ロゼッタ様が帝国から魔蟲種討伐刑を科せられている、と?」


 彼らの視線の先には、スータンとストラを着用した白髪の老婆。

 壇上に立ち、険しい表情で信徒の話に耳を傾ける。


「我が同志よ、その話は本当なのですか?」

「は、はい。ルイゼラ様」

「信憑性はあるのですか?」

「はい。帝国軍内部へ送り込んだ同志からの報告です。帝国中央裁判所が監視役を随伴させた状態で討伐刑へオレネルス森林へ送り込んでいる、と」

「ならば、ロゼッタ様を救出する必要がありますね」


 ルイゼラと呼ばれた白髪の女は祈り、女神の彫像を見上げた。


「ああ、我らの女神ロゼッタ様。そして、依代である哀れな少女カミリヤ。しばし救出のためのお時間をください。必ずや、あなたを帝国の魔の手から解放させますゆえ……」


 彼女の手には身の丈ほどの大きさがある巨大な鎌。鋭く研がれた刃が松明の炎でギラギラと輝き、所々に施された十字架の装飾が金色に光を放つ。


「同志たちよ、聞くのです!」


 老婆は鎌を高く掲げ、信徒たちの意識を自分へ向けさせた。彼女の外見からは想像できない怪力で鎌を軽々と持ち上げる。彼女の瞳孔はカッと開き、黒装束たちを刺すような眼力で見つめた。


「帝国に忠誠を誓う愚かな兵士を生け贄に捧げる時間が来ました」


 壇上の壁際に並べられた数本の十字架。


 だらんと垂れた腕。

 そこからポタポタと滴り落ちる血液。


 そこに帝国兵の骸が張り付けられていた。


「さあ、邪魔する帝国兵を全て殺し、女神ロゼッタ様を彼らから奪還するのです!」

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