第7話 カミリヤという最弱騎士

「ここから先が、君たちの活動エリアとなりまちゅ」


 58号が僕とカミリヤを討伐刑の対象エリアへと案内していく。そこは基地から歩いて数分のところにある広大な森林だった。

 そこが魔蟲種が出没するという『オレネルス東区森林』である。


「うわぁ、いかにも出そうなところよね」

「……」


 鬱蒼とした緑が頭上を覆う。

 かつてここは林業が盛んな森林だったが、魔蟲種の出現によって周辺の産業は衰退していった。林業関係者が次々と彼らに襲われ、最近は滅多に近隣住民が訪れなくなっている。

 森林を整備する人間が消えたため、足場がかなり悪い。かつて伐採した木を運び出すために使われていた林道が地衣類やコケ類で消えそうだ。倒木も放置され、僕らの行く手を塞ぐ。


「すぐに襲いかかってくるかと思ったけど、意外といないわね」

「近隣住民に被害が出ないように、定期的に軍が掃討作戦を展開してるからな」


 近年、帝国軍による大規模な掃討作戦で巨大な群れは消し去った。それでも魔蟲種の目撃情報は絶えない。再び別の群れがこの森林へ進出しつつあるそうだ。

 僕らに充てられた役割は、その調査や敵の数を減らすことにある。討伐刑の囚人はなるべく軍の仕事が楽になるように使われるのだ。


 倒木を跨ぎながら足を進めていたとき――


「レイグ!」

「何だよ」

「待って! もう歩けないぃ! 休憩しましょ!」


 は?

 まだ歩き始めて1時間も経ってないんだぞ。それに、まだ魔蟲種と1匹も遭遇してない。

 こんなことでは先が思いやられる。前途多難もいいところだ。














     * * *


「あら、もう日が暮れそうね」

「……」


 気が付けば、日が大きく傾いていた。頭上にある葉の隙間から見える空が赤くなり、森林の視界が悪くなる。吹き抜ける風が冷たい。虫の音も聞こえ始めた。


「これは今日の活動を終了した方がいいんじゃないかしら?」

「……」


 結局、今日は魔蟲種に遭遇することはなかった。

 彼らが多く生息していそうな森の奥地へ到達する前に、カミリヤが何度も休憩を要求したせいである。彼女は数歩進む度に「もう歩けない!」などと駄々をこね、その場に座り込んだり立ち止まったりしていた。これのおかげで僕の計画していた討伐ペースが一気に狂う。

 カミリヤは本当に魔蟲種と戦う意志があるのか疑問だ。


 彼女が何度も休憩を挟むのは、魔蟲種と戦いたくないがための牛歩戦術だろうか。

 それとも、ただ単に体力がないだけなのか。

 その両方か。

 僕には分からない。


 ただ、彼女のペースに合わせると、何十年経っても刑が終わらないのはハッキリした。1日目から0ポイント。いつになったら僕はこの仕事から解放されるんだ?


「はぁ……仕方ない。この辺で野宿して明日に備えるか」

「やったぁ! やっと食事できるわね!」


 僕はカミリヤへの怒りを抑えつつ、焚き火の準備を開始した。過ぎたことを彼女にグチグチ言ってても無駄にエネルギーを消費するだけ。


 これから夕食になるのだが、食材は森林で採れたものを使用することにした。兵士用の長期間保存可能な携帯食品も支給されているのだが、こちらは緊急時のためになるべく保存しておきたい。物資の消費を押さえつつ行動するのはサバイバルの基本だ。


 それに、帝国軍も囚人へ無制限に食事を提供できるほど太っ腹ではない。限りある物資は正規の兵士へ優先的に支給されるのが当然だろう。

 次の支給日まで僕らは基地や街に立ち寄ることが許されない。それまでは森林に潜り、魔蟲種を倒し続ける。


 支給日に合わせて基地へ戻れるよう、僕は食料の消費ペースや森林での移動ルートを計算していた。早速、今日で移動ペースが乱れてしまったが、食料さえあれば問題ない。支給日に基地へ戻れるよう討伐ルートを調整するだけだ。


 そう思っていたのだが……。


「カミリヤ、なるべく支給された携帯食は食べるなよ? アレはいざというときのために……」

「え? アレはもう休憩中に食べちゃったけど……」


 は?

 携帯食品を……食べた?


「だって、お腹空いちゃったし、レイグは休憩のときにたくさん食料を採ってたから食べてもいいかな~って」

「……」


 カミリヤが休憩中、僕はやることがなかったため、こいつから目を離して周辺で果実や山菜などを採集していた。まさかその間にこの女が勝手に食料を食べるとは誰も思わない。


 お前は無知な子どもか、この駄女神騎士!

 僕は四六時中お前の行動を監視しなきゃいけねぇのかよ!

 本格的な戦闘が始まる前から携帯食料がないってどういうことだよ!


 と言ってやりたかったが、もうそんな気力はない。言葉の代わりに深いため息が口から出る。僕の食欲が失せて、これから食材を調理するモチベーションも下がった。

 ストレスが溜まっているせいだろうか。胃が痛い。手に力が入らない。頭がボーッとする。


「あれ、レイグ? 夕食作らないの?」


 うるせえよ!

 カミリヤは僕の考えていることなどまるで理解していないように振舞う。彼女のアホ面が僕をさらに苛立たせた。僕の頬が引きつり、米神がピクピクと痙攣する。


 しかも、彼女の暴挙はこれだけに留まらなかった。


「じゃあ、私、向こうの泉で水浴びしてきていいかな?」

「は?」

「いやだって、歩いてたら汗かいちゃったし、サッパリしたいじゃない?」


 彼女が指差す先には木々に囲まれた泉がある。水面が月光を反射し、てらてらと輝いていた。水底から湧水で透き通っている。できることなら僕だって体の汚れをここで落としておきたい。


 だが、ここは魔蟲種出没の可能性がある危険区域の中だ。

 この女はいつ敵が出るかも分からない場所で水浴びをする気なのか?

 僕にはこいつがただのバカか自殺志願者にしか思えなかった。


「じゃあね、レイグ。私、水浴びしてくるから!」

「お、おい!」

「これから裸になるけど、もし覗いたら怒るからね?」


 怒りたいのはこっちだよ!

 カミリヤは僕の制止を振り切り、「レイグは夕飯の支度をよろしく~!」と言いながら泉へと駆けていく。篭手や脛当てを脱ぎ捨て、水に自分の裸体をゆっくりと浸した。


「ひゃっ! 冷た~い!」


 仮に水浴び中に敵から襲われたら、あいつはどうするつもりなんだよ。


 そのとき――


 ガサッ! ガサガサ!


 似非女神がいる泉周辺の藪が不気味に動いていたことに、僕は気付けなかった。









     * * *


「ねぇ、カミリヤ。あのレイグって男をどう思う?」

「え? ちょっと怖そうな人だと思いますけど」


 泉の水面に広がる波紋。

 その中央に白く繊細な肌を持った女がいる。豊満な双丘。長くさらさらとした金髪。彼女に滴る水が妖艶な雰囲気を演出していた。


「でも、本当はいい人だと思います。全然襲って来ませんし」

「女を襲わないからって、いいヤツとは限らないのよ? そんなんじゃいつか男に騙されるって!」


 彼女の同じ口から発せられる2つの声。その声同士が会話する。


「ところで特殊召喚はできそうですか?」

「ダメね。休憩中にも何度か天界にコンタクトを送ってみたけど、反応がないわ。これじゃ勇者の魂を呼び寄せることができない」

「そんな……」


 彼女の顔に一瞬だけ悲しみが映る。


「お願い、カミリヤ。もうちょっとだけ時間を稼いで! こっちは勇者召喚できるように頑張るから!」

「分かりました、ロゼッタさん……」


 こうして1人の体による2人の会話は終了した。


「ふぅ。早くレイグさんのところに戻らないと……」


 泉に訪れる静寂。

 彼女は水から上がり、岸へ置いていた装備に手を伸ばす。


 そのとき――


 ガサッ!


 泉周辺に生い茂る藪から、何かが飛び出したのだった。

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