第3話 マグリナという女上司

「大臣!」

「な、何だね、レイグよ?」


 僕は政府庁舎最上階にある大臣のオフィスへ飛び込んだ。

 僕が大臣を呼んだその声には憤怒が篭っていたと思う。とにかく、このときの僕は冷静ではなかった。

 大臣は事務用の椅子に座り込み、書類に目を通している最中だったらしい。本来彼の仕事を邪魔するべきではないのだが、そんなこと今の僕には関係ない。


 僕が似非女神のパートナーとして魔蟲種討伐に行かなければならないこと。


 それを僕の知らぬ間に決定したクソ野郎が誰なのか知りたかったのだ。


「大臣、何なんですか、ここに書かれていることは!?」

「あ、ああ、それのことか……」

「どうして罪人でもない僕が、あんな女と一緒に危険地帯へ放り込まれなければいけないんです!?」


 握り潰されてクシャクシャになった判決状を大臣の前に突き出した。そこに書かれているのは、僕と似非女神への魔蟲討伐命令。


 こんなことを決定できるよう裁判所に圧力をかけられる人間は限られる。最高裁判官か政府の高官くらいだ。そうなると、僕の上司である大臣も怪しくなってくる。


「す、すまない、レイグ。私も反対はしたんだが……」

「謝罪など聞いてません。理由は何なんです?」

「実は、どうしてもお前を討伐者に推薦したい、という人物が現れて――」

「誰なんですか、そいつは!?」


 そのとき――


「私が決めたことに不満があるようだな。レイグ」


 ナイフのように尖った女性の声。

 僕の背後から聞こえてきた。

 間違いない。この声はだ。


 僕はゆっくりと振り向いた。


「マ、マグリナ……高書記官」


 政府職員の正装を身に纏った若々しい女性が目の前にいた。


 長い黒髪。

 鷹のように鋭い目つき。

 僕よりも高い身長。

 男を寄せ付けない気迫の持ち主。

 その正装のあちこちには金色の装飾が見られ、彼女の身分が高貴であることを示している。


 彼女はマグリナ・クアマイア。


 大臣と同等クラスの上位高官だ。

 僕よりも数歳年上なだけだが、短期間で一気に昇進した女史。彼女の実家が貴族であるのも理由だが、昇進の裏には彼女の実力が功績を成した部分が大きい。強引とも言える手段と、素早い決断力で様々な問題を解決してきた。


「あなたが、僕を推薦したん……ですか?」

「そうだが?」

「そんなこと、僕の耳に入ってなかったのですが」

「口頭で伝えるのは、今が初めてだからな」


 マグリナは罪悪感など微塵も感じていないようにしゃあしゃあと答える。

 同じ職場の後輩を戦場に送り込むんだぞ?

 ちょっとは低姿勢で接しろよ。


「理由を聞かせてくれませんか?」

「あのカミリヤという女の存在が特別だからだよ、レイグ」

「それはどういう――」

「彼女が持っている女神の力が本物である可能性が捨て切れないからだ」


 は?

 本物の女神の力?


「諜報員が彼女の経歴を調べたところ、『女神の加護』と呼ばれる特殊能力がないと説明できない部分が多いことに気付いた。このまま戦場で彼女を失えば、我々は勇者召喚のチャンスを逃すことになる」


 は?

 マグリナまで何を言ってるんだ?


 異世界だの、勇者召喚だの、そんなことあるわけないだろ。


「だから貴様には彼女の動向を監視してほしい。あの女、どういう理由かは知らないが、わざと勇者召喚に失敗した可能性がある」

「なら、そのまま幽閉すればいいでしょう?」

「皇帝陛下の要望に反したのは事実だし、皇帝の側近もこの案件を『契約金の詐取』として扱っている。彼らの怒りを鎮めるために、刑罰を与えることは仕方なかった」


 皇帝関係者が絡んでいるとなると、あの女の判決を取り消すのは難しいか。

 刑罰が変更になれば僕も自由になると思ったが、そううまくはいかないようだ。


「じゃあ、僕があの似非女神を守らないといけないんですか?」

「そうだ。刑罰中アイツが死なないように見張り、女神の特殊能力の発動を確認した場合はすぐに報告しろ」

「そ、そんなの傭兵とか軍直属の特殊部隊とか、あなたの私兵に任せればいいでしょう?」

「いいや。傭兵はこんな仕事を請けないし、特殊部隊よりも貴様が適任だ」


 彼女は僕の前に立つと、顔を近づけてきた。いつもの勝気な表情がアップされ、そのまま彼女は僕のことを見下すようにジロジロと眺める。


「お前が軍の魔術師養成学校を主席で卒業したのは知っているぞ。模擬戦の総合成績で満点だったそうじゃないか。そんな逸材がなぜこんなところでデスクワークなどしている?」

「そ、それは……」

「軍の特殊部隊でも満点はなかなか出せない。それなのに、貴様は一発であっさりと出した、と担当していた教官が証言している」


 教官め、余計なことを。


 魔術師養成学校で主席になったのは、別に魔術に深い興味があったからではない。


 こうした高成績を残した方が帝国内で上位の役職に就ける可能性が高かったからだ。いい給料をもらって、手足となる部下をたくさん持ち、安らかに過ごす。いいじゃないか、それで。


 実際、マグリナも同じ学校で成績上位者だった。こうして魔蟲種の恐怖に怯えず帝都で過ごせるのは、このときの成績が大きな影響を及ぼしている。


 成績下位者は地方の役人になるか、魔蟲種との前線で酷使されるか、それしか道はない。

 毎日敵の強さに苦しみ、いつ死ぬか分からない恐怖を抱えて生きるなど御免だ。


 だが、今回に関してはそれが仇となった。出過ぎた杭は打たれる。


「学校のプログラムには対魔蟲種戦も含まれているからな。そこでも上位成績を残した貴様なら現場でも活躍できるだろう。養うべき配偶者もいない点も考慮した」

「……」

「どうした? 私の考えに不満があるのか?」

「もし、僕がこの仕事を断ったり、失敗したらどうなりますか?」

「そうしたら私がどうするか、貴様なら分かっていると思うが?」


 マグリナは貴族や裁判所、軍事関係者、あちこちに顔が利く女だ。

 ここで逆らっても、きっと僕が向かう場所は変わらない。こいつに目を付けられた時点で負けなのだ。


「数日後、貴様の元にも命令文が届くはずだ。それに従って魔蟲種討伐へ向かってくれ」

「……は、はい」


 こうして、僕の平穏なエリート出世コースは終わりを告げることになる。

 僕は気力を失い、フラフラと歩きながら大臣のオフィスを後にした。








     * * *


「こ、これでよかったのかね、マグリナ君」

「ええ。上出来ですよ、大臣」


 僕がオフィスを出て行った後。


 マグリナは勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 大臣とオフィスに残り、顔を合わせぬまま。


「し、しかしだね、彼を騙すような真似を……」

「大臣も人聞きが悪い。私は嘘など微塵も吐いてませんよ?」


 彼女は窓辺に立ち、そこから帝都の空を眺めた。

 日は傾き、深かった青色が赤くなり始めている。


「あいつを地獄に送ってやる準備は整いました」

「やはりマグリナ君の個人的な恨みなのか……」

「この案件は全て私に任せてください。他言無用でお願いしますよ」

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