ある師匠の話

ここは全てが消える町。過去も、未来も、そして己も。ここに来た者は皆一通の手紙を書く。


が、たまに例外もいる。手紙では表せないほどの強い“想い”の持ち主が。



 一人の男がやってきた。その男は強い瞳を持っていた。暗闇に主の声が響く。


“ここのルールは知っているな?

お前は今から消える

一通手紙を書け

望む場所 どこへでも届けてやろう”


「ほう。ここが噂の……」ポツリと呟いたあと男はきっぱりと言った。「手紙はもう渡しました。伝えたいことも伝えました」


主は不思議に思った。本来ならばこの町は未練、後悔のある者が『次』に繋げるために来る場所。後悔の無いものは来ることが出来ない。


“ならば、後悔はあるか?”主は聞いた。


「……あります」男は目を伏せながら落ち着いた様子で言った。「弟子の演奏会に行きたかったです。もう叶わぬ夢ですが……」


“ほう……”

この町は基本的に手紙を出すことで自分と向き合い、見つめ直し次に行く場である。ただ、この男は芯が強い。弟子に対する想いが強すぎたため本来の道を通らずにこの町に来たのだろう。


「弟子はとても強がりで、それでも繊細な子なんです。本番、絶対に緊張してる。ただでさえ僕が精神的に負担をかけたのに……」男はとても寂しげな顔をして言った。


“ならば お前の想いを届けてやろう”


「いや、手紙はもう……」男は戸惑い言った。


“手紙はいわば媒体 本来はその者の想いを届けるのが私の役目だ お前と想いを届けてやろう”


「本当にいいんですか?」男は不安そうに、しかし心底嬉しそうに聞いた。


“あぁ、しかしそれが終わればお前は……”


「消える。えぇ、分かっています」男はしっかりした様子で答えた。


“本当に理解出来ているのか? その弟子との思い出も消えるんだぞ”


「大丈夫です。僕が忘れても弟子が覚えています」男は笑って答えた。


これ程までに芯が強い人間は初めてだ、と主は思った。そして、ここまで想われる彼の弟子を心底羨ましくも感じた。初めて、人の前に姿を現したな、と考えつつも主は男の頭に手をかざした。


“さぁ 行こうか 気持ち良いものでは無い 気をつけろ”

そう主が言って、主が男の頭に触れると、ぐにゃり、と空間が歪み、その中へ二人は消えていった。

主の消えた町は風も吹かず、音もなく、死んだようだった。


ある街のホール。開演が近づきだんだんと緊張が高まるホールに誰にも知られずに主と、男は着いた。


“やはり キツいか…… 大丈夫か?”

心配そうに主が問うと、「うぅ……。乗り物酔いには強いのですが……。まさかここまでだとは……」

“すまない……”

心底申し訳なさそうに言う主を見て男は言った。

「それにしても、なかなか町の主らしい装いですね。全身真っ黒だなんて」


“からかっているのか……?”

少々苛立ちを含んだ声で主が問うと、「いえいえ、貴方の姿形を見て、貴方も元々はきっと人間だったのだなぁ、と思いまして」


“……それ以上の詮索はやめろ”

キツイ声で主が言うと「ふふっ、わかりました」何故か少し嬉しそうな声で男は答えた。余程、弟子の演奏会を聴けるのが嬉しいのだろう。

ホールのブザーが鳴り、しばらくして客席が暗くなった。主と男はふわふわと宙に浮きながら、弟子の入場を待った。

コツコツ、と音がして、スーツを着た一人の青年が指揮棒を持って現れた。カチカチとした動きが彼の緊張を表している。

“あれがお前の弟子か”主が尋ねると「はい……」と男は不安そうに答えた。

“行け”そう主が言うと男はパッと顔を輝かせて「はい!」と答えるとふわふわと弟子の隣に立ち、背中に手を添えて、「大丈夫ですよ」と呟いた。

もちろん、死者の声は生者には届くはずがない。しかし、男がそう呟いた瞬間、彼の弟子の表情は柔らかくなった。そして、彼の演奏が始まった。

男はまたふわふわと浮きながら主の隣に戻り、弟子の演奏に聞き入った。

“良い演奏だな”主が言うと「えぇ、そうでしょう。自慢の弟子です」そう、涙声で答えた。

演奏が終わると、彼の弟子は深くお辞儀をして小さく「ありがとう、師匠……」と呟くと舞台袖に帰って行った。

「……主さん。ありがとうございます。幸せです。とても、幸せです」そう、ボロボロと泣きながら男は言った。

“そうか…… では……”

「はい……。もう時間ですね。ありがとうございます。本当に。諦めようと思っても、諦めきれなかった夢、叶いました」彼は心底嬉しそうに言った。

“お前のような人間が来るのは初めてだった 良いものを見せてもらった ありがとう”

そう言うと主は彼の頭に手をかざし言った。

“さぁ お前は消える 後悔はないな?”

そう、低い声で告げる主。

「えぇ、何一つ残ってないです。ありがとう」彼は笑って、幸せそうに言った。

“さらばだ 親愛なる師匠よ”そう主は言って彼の頭に触れた。

彼は幸せそうに消えてっいった。それを見届けてから主は自分の町に戻った。

主の戻った町は息を吹き返し、風は吹き、時々命の宿った静寂を生み出した。


ここは全てが消える町。悲しい物語を幸せな物語に変える町。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

全てが消える町 青空リク @yumeumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ