サーバルちゃんがかばんちゃんと添い寝する話

えの

10話のどこか

 サーバルがかばんちゃんの異変に気づいたのは、部屋に戻ってしばらく経った後のことだった。

 この数日間でロッジの探検も一通りやってしまい、やまない雨をなんとなしに眺めていたサーバルが、すぐそばから低くうなるような声を聞いたのだった。

 見ると、ベッドに腰掛けていたかばんちゃんが、苦しそうな身じろぎをしている。


「かばんちゃん……? どうしたの?」


 慌ててかばんちゃんのそばに駆け寄り、身体を揺する。しかしかばんちゃんは、


「サーバルちゃん……ごめん、なんだか気分が悪くて……」


 と、喘ぐような吐息とともに返答するだけだった。


「ボス、かばんちゃんが変だよ!」


 部屋の片隅でじっとしていたボスに、全身を声にして伝える。

 しかし、ボスはサーバルのことを意に介さず、中空を見つめているだけだった。


「みゃ……。ボスはかばんちゃんとしかお話しないんだった……。ごめん、かばんちゃん、しゃべれる?」

「大丈夫……休んでたら、治ると思うから……」

「ダメだよ! かばんちゃん、そんな顔になったことないもん。ぜったい変だよ!」


 かばんちゃんの顔は赤く、触れてみると砂漠の砂のように熱かった。

 サバンナをずっと歩き続けても、すぐに落ち着いていたかばんちゃんが、今はこんなに息を荒くしている。サーバルの胸に、冷たい不安が雨雲のように広がっていった。


「みゃ……」


 思わず大声を出してしまったので、驚かせてしまったかと思ったが、かばんちゃんはボスの方へ顔を向け、吐息のような声を出す。


「ラッキーさん、ぼく……身体がなんだか熱くて……」

「……隣のロッジに、救護室があるよ。診断キットを探しに行こう」


 かばんちゃんが口に出すと、ボスは迷わず彼女のそばに歩み寄り、返答する。サーバルはホッと胸を撫で下ろした。『きゅうごしつ』というのはよくわからないが、ボスが言うのなら大丈夫なのだろう。

 ボスが促すので、かばんちゃんはふらつきながらも立ち上がった。けれども、すぐに膝をついてしまった。


「かばんちゃん!」

「ごめん、ちょっとふらふらして……」


 かばんちゃんの横顔を覗き込む。思い切り走り回って疲れ切った時と似ているが、そんな快さとは違う、もっと苦しそうな気配がじっとりとまとわりついていた。

 とても歩けそうにない。でも、『きゅうごしつ』に行かないとずっとこのままかもしれない。


「ちょっとごめんね、わたしが運ぶからね」


 そう言って、サーバルはかばんちゃんの腰に手を回した。

 そこで、ちょっと考え直し、仰向けになったかばんちゃんを、両手で抱え上げた。

 PPPペパプのプリンセスを抱えた時とは少し違う。なんとなく、こうしたほうがいい気がした。

 少し試行錯誤して、左手で背中を、右手で膝の裏を支えるのが安定することを発見した。汗ばんだ背中は熱を帯びていて、かばんちゃんの鼓動が伝わってくる。かばんちゃんが戸惑いを見せたのは最初だけで、しっかり支えられているのに安心したのか、身体の力を抜いた。くたりと軽く頭をのけぞらせると、白い喉が見えた。


「こっち、こっち」


 ボスが先導し、サーバルはそれについていく。渡り廊下に出ると、風に巻かれた雨がかばんちゃんにかかりそうになり、慌ててよけた。まだ昼間だというのに、厚い雨雲のせいで空が暗い。

 少しひんやりした外の空気に触れても、かばんちゃんの息は荒いままで、サーバルは、胸が締め付けられるような感覚になった。


「ここだよ、中に入ってね」


 思ったよりも近くに、『きゅうごしつ』はあった。

 部屋には窓がなく、自分たちが泊まっている部屋よりもずいぶん狭い。そして物がない。


「ここに来たら、かばんちゃんがもとに戻るの?」


 ちょうどいい場所が見つからなかったので、仕方なく入り口そばの床にかばんちゃんを降ろした。

 返答を待っていたのだが、ボスは誰に向かうでもなく、


「診断キット……が……検索中……検索中……」


 と、なんだか困っている様子だった。もしかして、目当ての物が見つからないのだろうか。それはサーバルも困る。とても困る。

 どうしようかと眉尻を寄せていると、後ろから声をかけてくるフレンズがいた。


「どうなさいましたかー?」


 アリツカゲラがおっとりと聞いてきている。それに答える前に、勝手に訊いてもいないことをしゃべり始めた。

「こちらのお部屋は、『かんづめ』といいまして、狭い場所が落ち着くというお客様に好評いただいておりますー。オオカミさんにも一時期ご利用いただいたんですが、かえって漫画が進まないということで、今はフリーとなってましてー。お部屋、移られますか?」

「そんなことより、かばんちゃんが大変なの」

「? どこか走ってこられたんですか?」


 そんな会話をしていたら、ようやく事態を理解してくれたアリツカゲラが、思い出したように言った。


「そういえば、この部屋に置いてあったもの、前のお客さんが邪魔だからってどかしてましたねー」

「え、どこ? どこにあるの?」

「こちらですねー」


 かばんちゃんに少し待っててと断ってから、部屋の外へ出た。

 廊下の一隅に、小さな棚がひとつ置いてある。


「これ?」

「これですねー」


 持ってみると、軽い。そのまま部屋に戻り、かばんちゃんとボスの前に置いた。


「サーバルちゃん……?」

「かばんちゃん、これで、よくなるよ。ボスが言ってた」

「そうなんですか、ラッキーさん……?」


 壁に背をもたらせたまま、ボスに問いかけるかばんちゃん。つらそうだが、かばんちゃんが話してくれないとボスの探したいものが何なのかわからない。


「大きな赤いケースはないかな」

「どれどれ? どれのこと?」


 サーバルが引き出しを片っ端から開けていくが、見つかったのは両手のひらに乗るくらいの白い箱だけだった。


「これしかないよ」

「他に、前のお客さんが運び出したものはありませんか……?」


 かばんちゃんがアリツカゲラに訊いた。


「うーん……ずいぶん昔のことですし……ごめんなさい、わからないです」

「そうですか……。サーバルちゃん、見せてもらってもいい?」


 サーバルが白い箱を手渡すと、かばんちゃんは緩慢な動作で蓋を開けた。中には、茶色く細長い形をしたものがいくつか入っていた。

 よく見ると、さらにその中に小さな石のようなものがたくさん詰め込まれている。半透明で、中身が見えるようになっているのだ。

 サーバルはそのひとつを持ち上げてみた。どうやって使うのだろう。


「ラッキーさん、これ、使えますか……?」

「……常備薬は医師の処方、もしくは診断キットの判断がなければ基本的に使用は推奨されないんだけれど」


 苦しそうながらも、ボスの言葉を理解しようと首を傾げているかばんちゃんを、ボスがじっと見つめ返したように見えた。


「……その、青いラベルの瓶を開けてみて」

「これ、ですか……?」


 かばんちゃんは細長いものを手に取ると、なんだかよくわからないうちに中身を取り出してしまった。サーバルには何をしたのかよくわからなかったけれど、かばんちゃんなら何ができても驚かない。だから、サーバルはかばんちゃんの手のひらに転がったいくつかの白く丸い物体の方に注意を向けた。


「服用量は1回1錠、朝晩に飲んでね」

「これを、飲むんですか……?」


 不思議そうにつぶやくかばんちゃん。白いものは小さいので、飲み込むのは難しくないかもしれないが、おいしいのだろうか。こんな小さなもので栄養を取るより、ジャパリまんをたくさん食べたほうがいいのではないだろうか。

 サーバルの胸にそんな疑問が湧き上がったが、かばんちゃんの顔を見て、口を挟むのをやめた。つらさが和らぐなら、なんだっていい。

 アリツカゲラが持ってきてくれた水で、かばんちゃんは白いものをひとつ飲んだ。


「どう、かばんちゃん? よくなった?」

「うーん……よくわかんないや……」


 ボスが口を挟む。


「薬を飲んだあとは安静にしててね。効き目が出るまではしばらくかかるよ」


 そういうことなら仕方ない。アリツカゲラにお礼を言って、サーバルたちは『みはらし』の部屋に戻った。


「ありがとう、サーバルちゃん」

「へいきへいき。かばんちゃん軽いから。それより、早くよくなってね」


 ベッドに降ろされたかばんちゃんに、サーバルは太陽のような笑顔を向けた。


「今日は早く寝ようね。ジャパリまん、持ってこようか?」

「ありがとう。じゃあ、お願いしようかな」


 その後は、あまりたくさん食べられないかばんちゃんと二人で、ジャパリまんを半分に分けて食べた。

 そうして横になったかばんちゃんだったが、しばらくすると、震えたような声音になって言った。


「……ちょっと、寒いかも」

「ええっ!? 大丈夫!?」


 かばんちゃんに触れると、小刻みに震えていた。どうしよう。ゆきやまちほーの温泉がここにあれば、身体を温められるのに。

 そして、ふと電撃的に思い浮かんだ。


「そうだ! こうしたら、あったかいよ!」


 かばんちゃんと同じベッドに寝そべり、細身の身体に抱きついた。


「えっ!? さ、サーバルちゃん?」


 驚くかばんちゃんの前から背中に手を回し、ぎゅっと身体をくっつける。かばんちゃんを抱き上げたときに感じた鼓動が、とくとくとサーバルの全身に感じられた。


「ちょっと、苦しいかも」

「みゃっ! ご、ごめんねかばんちゃん」


 慌てて腕の力を緩め、かばんちゃんに謝るサーバル。

 かばんちゃんの顔は相変わらず赤かったが、優しげな微笑を浮かべていた。


「ほんとだ、あったかいね」


 それが嬉しくて、サーバルもかばんちゃんに笑ってみせた。



        ☆



「かばんちゃん……寝ちゃったんだね」


 サーバルのそばで、小さな寝息が聞こえてきている。

 心なしか、さっきよりも穏やかな呼吸だった。この分なら、すぐによくなってくれるかもしれない。

 身体の震えもずっと前から治まっている。サーバルは少し身じろぎして、かばんちゃんの顔が見えるように姿勢を変えた。

 安らかな顔で眠っていた。

 よかった。


 かばんちゃんが苦しそうな時は、冷たい石を飲み込んでしまったような気持ちになった。

だから、こうして少しでも楽になってくれたなら、安心する。


 かばんちゃんと一緒にいると、毎日発見がある。新しいことや面白いものをたくさん見られるし、わくわくする。

 かばんちゃんはすごい。サーバルには思いもつかないことを考えるし、『もじ』も読める。たくさんのフレンズを楽しませたり、助けたりしている。


 けれども、そんなことよりも、かばんちゃんが一緒だと楽しい。

 一緒に綺麗なものを見たい。美味しいものをたくさん食べたい。

 きっと、それだけで十分なのだ。


「んんっ……」


 かばんちゃんが眠ったまま眉根を寄せ、何かを掴むように手を動かした。悪い夢でも見ているのかもしれない。タイリクオオカミに変な話を聞かされたのがよくなかったのかも、とサーバルは思った。

 かばんちゃんの右手を握り、ちょっと寝癖のある黒髪を撫でた。


「大丈夫だよ、そばにいるからね」


 かばんちゃんの表情がゆっくりとほぐれ、寝息が穏やかになっていった。

 かばんちゃんの頭越しに、窓外の景色が見えた。

 空がさっきよりも明るく、雨が弱くなっている気がした。

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