第3話 作り雨、あるいは恵みの雨2

「あんた……」


 そういったきり、彼は黙り込んでしまった。

 驚きの表情で、じっとあたしを見つめたまま。

 たぶん5年生か6年生だろう。

 あたしより背の低い、でも、なかなか整った顔立ちの男の子。

 短く切られた黒髪やよく日に焼けた肌は活発な印象を与え、二重の大きな目は求知心で輝いて見える。

 淡い黄色のTシャツとブルーグレーのハーフパンツからすらりと伸びた手足は、うらやましいほど細い。

 でも、これからどんどん背が伸びて、たくましくカッコよくなっていくんだろうなぁ。

 いいなぁ、男の子は。

 まあ、今はまだ、可愛いって感じだけど。

 思わずくすりと笑ったら、固まっていた彼が動いた。


「すげぇ、ずぶ濡れだな」


 ちょっとかすれた、女性のようにも聞こえる低めの声。


「今、タオル持ってくっから、もうちょい待ってて」

「大丈夫。持ってるから」


 あたしは、自分のカバンからタオルを取り出し、頭や体をごしごしと拭く。

 最近ずっと雨だったから、持ち歩いてたんだ。

 お気に入りの白いふわふわタオル。

 これだけいい天気なら、簡単に水気を取るだけですぐに乾いてしまうだろう。

 それに、プール帰りだと思えば、髪が濡れててもおかしくはない。

 あたしはタオルを肩にかけ、そのまま帰ることにした。

 謝罪ならさっき一応「すみません」っていってたし、それにわざとやったんじゃないみたいだし、この子を責めても大人げないだけだ。

 あたしはもう高校生なんだから。

 それに、少し涼しくなった気もするから、広い心で許してあげよう。

 歩き出すと、後ろから何か声が聞こえる。


「えっ、あ、ちょっと、ちょっと待ってっ!」


 ガシャンっと、フェンスに何かがぶつかる音。

 振り向くと、さっきの子が自分の背より少し高いフェンスに足をかけ、上から身を乗り出して叫んでいる。


「待ってってばっ!」


 何なのだろう。

 そう思い立ち止まると、彼はフェンスの上から何かをほおり投げた。

 フワリと落ちてくるのは、夏空にも負けない、目の覚めるような青。

 条件反射で受け取ると、それは上着だった。

 運動するとき羽織るような、軽くて薄いジャンパーだ。


「着てけよ」

「別に寒くないけど?」


 むしろ、暑いくらいなのに。


「だって、透けてるから。その……ぶっ……下着がっ!」

「えっ!?」


 見ると、確かに濡れたシャツが張り付いて、下着がくっきり透けている。

 あの子が小学生じゃなかったら、悲鳴上げてたところだ。

 それでもなんだか気恥ずかしくて、あたしは胸元を隠すように、ジャンパーを抱えた。


「ちゃんと着ろよ。別に汚くねーから」


 確かにこのままじゃ、かなり恥ずかしい。

 乾く前に、誰かに会うかもしれないし。

 あたしは素直に、上着に袖を通した。

 小さくて着られなかったらどうしようって思ったけど、大丈夫、ぴったりだ。


「貸してやるんだからな、ちゃんと返せよ」

「もちろん、ちゃんと洗って返すわ」

「いいよ、そのままで。そんなキレイなもんじゃないし、気にしなくていいって」


 さっき、汚くないっていってなかった?

 まあ、すごくキレイではないのかもしれないけど、特別汚くも見えない。


「いつ返せばいい?」


 聞くと、すぐに答えが返る。


「明日明後日は休みだから、月曜でいい」

「月曜か……」


 月曜は授業が6限までだから、いつも通りなら3時半前には帰れるはず。


「じゃあ、月曜の3時半頃はどう?」

「わかった。3時半頃、小学校の校門とこで待ってる。待ってるから、絶対来いよ。約束だからな」


 なぜか満面に笑みを浮かべ、彼はそういった。

 その笑顔に見覚えがあるように感じるのは、どうしてだろう。

 ひょっとして、前にどこかで会ったことが?

 って、そんなわけないか。


「忘れんなよっ」


 念を押す彼に頷き返し、あたしは今度こそ、駅への道を歩き出した。

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