第2話 作り雨、あるいは恵みの雨1

「ゴメン」


 放課後の教室。

 期末試験も昨日で終わり、どこか開放的な空気の中。

 両手を合わせ、彼女はいった。 

 唐突すぎて意味がわからず、あたしは彼女に聞き返す。


「ゴメンって、何が? ひょっとして――」

「急に部活だっていわれて、約束してたケーキ屋、行かれなくなっちゃった」


 ちょっとせっかちな彼女は、人の話を最後まで聞かない。

 それでもちゃんと、いいたいことは伝わっている。

 いつもそうだ。

 天生あもうかな

 高校で出来たはじめての友達。

 ポニーテールがよく似合うなかなかの美少女で、自称テニス部のホープ。


「仕方ないよ、部活なら」

「でも、せっかくのつきを慰める会なのに。土日は混んでそうだし、来週は毎日部活だし、もう夏休みになっちゃう」

「いいっていいって。慰めて貰わなくても大丈夫だから、気にしないで」

「あーっ、菜月はこんないいコなのに、あのクソ野郎め」


 ワカちゃんのいうクソ野郎とは、一週間前に別れたあたしの元カレ。

 上坂かみさかさかえくんのこと。

 たった数日でも、元カレってことでいいんだよね。

 実感まるでないけど。

 彼とワカちゃんは、幼なじみなのだ。

 彼が初対面のあたしに傘を貸してくれたのも、実はあたしがワカちゃんの友達だって、知ってたからみたい。

 勝手に運命的なものを感じたりして、ホント、バカだったわ、あたし。


「もう大丈夫だから、ワカちゃんは部活頑張ってよ。ホープなんでしょ」

「本当にゴメン」


 ワカちゃんは軽く頭を下げ、踵を返した。

 そのまま廊下へ向かおうとして足を止め、振り返る。


「負けるな、菜月ーっ! ファイトーっ!」


 いきなりの熱いエールに、教室中の視線が集まってくる。

 こうなったらヤケだ。

 あたしも、息を吸い込み叫ぶ。


「ありがとーっ!」


 しかし、ワカちゃんが行ってしまうと、急に居たたまれなくなって、あたしもカバンを手に教室を飛び出した。

 廊下もまだ人が多く、ざわざわとしている。

 ワカちゃんの姿は、もうどこにも見えない。

 階段を下りて昇降口へ向かい、靴を履き替え外に出ると、陽光が目に眩しい。

 朝は曇っていた空も、今やすっかり晴れ上がり、木々の緑も鮮やかで、世界がキラキラ輝いている。

 あの日、榮くんと別れた日からずっと続いていた、降りみ降らずみの空模様も、ついに終わりを迎えたらしい。

 梅雨明けも近いのかもしれない。

 あたしは、ほんのちょっとわくわくした気分で、久しぶりの日差しをたっぷり浴びながら、駅への道を歩き出した。

 歩き出したけど、そんな気分はあっという間にしぼんでしまった。

 暑い。

 暑すぎる。

 今朝なんて、半袖では肌寒いくらいだったのに。

 なんなの、この暑さ。

 もう完全に夏じゃないの。

 濃い青空からジリジリ照り付ける太陽も、だんだん恨めしくなってきた。

 すぐ横にある小学校からは、にぎやかな声が聞こえてくる。

 子供はいいな、元気で。

 暑くないのかな。

 あたしはダメだ。

 暑くて死ぬ。

 あれだけわずらわしかった梅雨空が、今は恋しくてたまらない。

 いっそ、にわか雨でもあればいいのに。

 そう思った、次の瞬間。

 頭上から勢いよくほとばしる水がっ!!

 なっ、何コレっ?

 冷たっ!

 慌てて数歩下がったけれど、もう遅い。

 頭からポタポタ垂れる雫が、制服の白いシャツや細い縞の入ったダークグレーのプリーツスカートまですっかり濡らしてしまっている。

 いったい何が起きたのか、すぐには理解出来なかった。

 小学校の敷地から道路へ、フェンス越しに撒き散らされる水。


「やべっ、人がいたっ!」


 あせったような声がして、それはぴたりと止まった。


「だから、やめようっていったのに」

「うるせー。それよかタオル借りてこい」


 フェンスの向こうから、誰かが近付いてくる気配。


「すみませーん。大丈夫ですかぁ」


 顔を上げると、見知らぬ男の子がそこにいた。

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