はじめての夏
一視信乃
第1話 涙雨
「ゴメン」
放課後の校舎裏。
重たげに葉を繁らせたイチョウの木と、今にも降り出しそうな梅雨空の下。
ぽつりと、彼がいった。
唐突すぎて意味がわからず、あたしは彼に聞き返す。
「ゴメンって、何が? ひょっとして、水族館のこと?」
期末試験が終わったら、一緒に水族館へ行く約束をしていた。
夏休みは混みそうだから、その前に行こうって、昨日二人で決めたんだ。
「都合が悪いなら、他の日でいいよ。なんなら、夏休みに入ってからでも」
彼と迎える、はじめての夏。
やりたいことは、たくさんある。
「違う。そうじゃなくてっ」
ずっと
色白でいつも穏やかな顔が、今はひどく悲しげで、とても辛そうに見える。
はじめて見る表情。
思えばあたしは、彼の笑顔しか知らない気がする。
奥二重の
「俺、これ以上、
「えっ?」
真っ白になった頭の隅で、リピートされる彼のセリフ。
(俺、コレ以上、大川サントハ付キ合エナイヨ。付キ合エナイヨ……)
「……どうして?」
思いも寄らない言葉だった。
だって、付き合いはじめたの一昨日だよ。
告白したのが月曜で、返事をもらったのが水曜日。
どちらもこの場所でのことで、いいよっていわれたとき、嬉しくて泣きそうになったのを、今でもはっきり覚えてる。
そして、今日は金曜日。
一緒にお昼食べたり下校したり、カップルらしいことなんて、まだ何一つしていない。
すべて、これからだと思っていたのに。
「ずっと、好きな人がいるんだ」
「だったら、どうしてOKしたの? 最初から、そういえばよかったのに」
ダメ元で告白したんだ。
フラれる覚悟は出来ていた。
「あのときは、大川さんがすごく一生懸命で可愛かったから、応えてあげたいって思ったんだ。でも、やっぱり彼女のこともまだ気になって、そんなんじゃ大川さんに悪いから。だから、ゴメン」
そんなの別にいいのに。
今はその人の方が好きだったとしても、これから付き合っていけば、その人のことなんて忘れてしまうくらい、仲良くなれるかもしれない。
そんな小さな可能性すら与えてくれないほど、彼は優しくて誠実で、残酷だ。
あたしが好きになったのも、その優しさだった。
4月のとある雨の日。
傘がなくて困っていた見ず知らずのあたしに、自分の傘を貸してくれた。
そのときの笑顔と優しさに、一目惚れしたんだ。
もっと仲良くなりたくて、でも、クラスが違うからそのきっかけすら掴めなくて、ただ見ているだけでは何もはじまらない。
だから、思い切って告白した。
夏休みになったら、見ることも出来なくなるから、その前にって。
でも、ダメだった。
もっと仲良くなってから、告白すればよかった。
そうすれば、何か違ったかもしれない。
なんて、それくらい勘違いしてもいいよね。
「……わかった」
あたしは素直に
彼は優しい人だから、泣いて頼めば、水族館くらいなら付き合ってくれるかもしれない。
でも、そんなことしたって、余計嫌われるだけだ。
好きになって
だって、まだ、彼のことが好きだから。
「本当にゴメン」
彼は深々とお辞儀をし、
それから一度も振り返らずに、校門の方へ歩いてゆく。
サラサラの黒い髪が、パリッとした白いシャツが、ダークグレーのズボンが、少しずつ小さくなって
精彩を欠いた世界に、溶けていくように。
放課後の校舎裏。
重たげに葉を繁らせたイチョウの木と、今にも降り出しそうな梅雨空の下。
ぽつりと、頬を伝う雫。
ボブカットの頭にも、乾いたコンクリの上にも。
とうとう堪えきれなくなったのか、大粒の雨が降りはじめた。
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