そして黒薔薇は再び散る

 この戦いにおける純騎士じゅんきしの勝因たるものは、また、彼女の幸運から生じたものであったことは間違いない。

 戦闘の途中で離脱できたこと。有利な地形まで逃げ切れたこと。

 一対一に持ち込めたこと。そして何より、降臨したのが二代目純騎士だったこと。

 少なくともこの四つの幸運に恵まれたことで、純騎士はこの戦いに勝利を治めることとなったが、本人としては、勝った気などまるでしていなかった。

 しかし王国の騎士であれば、戦争に勝って勝負に負ける、などということは多々あることで、凱旋する仲間達に隠れて、負傷した情けない姿を晒した経験も少なくない。

 故に純騎士は、この勝利を呑み込まなければいけなかった。

 一瞬の交錯の中で、互いに二度三度のフェイントも交えての、一瞬の判断ミスが命を取るやり取りだったが、最後の最後、またも自分の幸運に助けられたことに、実力で勝てなかったことに、悔しさを感じるばかりだった。

 こんなとき、雨など降ってくれれば、この悔しさも洗い流してくれるくらいの、豪雨くらい降ってくれればいいものの、空は晴渡っていた。

 運も実力のうちなのだなどと言いきれれば、どれだけいいことか。生憎と、十代目純騎士に、そのような自信などありはしない。

「私より速い使い手は……初代様以外、知らなかった。時代は、進んでいるのですね」

 二代目はそう、天を仰いだまま告げる。

 肉体の死滅が進み、すでに体は霊体へと帰りつつあった。

 黒いドレスは血で汚れ、ズタズタに切り裂かれていた。その体の上には、死者への献花の如く、黒い薔薇が一つ、乗っている。

 死者の近くには黒猫が寄るというが、そんな感じか。黒薔薇という死神に見入られた両騎士だったが、枕元に立っていて首根を斬るのは、二代目の方だけだったというべきか。

 ともかくそんな形の表現を察して欲しいのかと思うくらいに、黒薔薇は彼女の胸元を彩っていた。

「十代目、これで貴様も胸を張れましょう……先代を――少なくとも、この憐れな二代目を超えたのです。誇りなさい」

「私一人で勝てたわけでは、ありません」

「そうですね……貴様一人では、万に一つの勝ち目もなかった……ですが貴様は、幸運に恵まれた。貴様には才能があります」

「剣の、ですか?」

「それもそうでしょうが……貴様には人と繋がる才能がある。私にはなく、初代が持っていたものです……大事になさい。初代様の素晴らしいお力を、あなたは――」

 言い切ることなく、二代目は苦しい顔一つせずに、美しいままに消えていった。

 魂は再び輪廻の輪に戻り、転生のときを待つだろう。もしかすると、また誰かに降臨させられるかもしれない。

 だがこの戦場において、黒薔薇は散った。

 後代に後を託し、黒薔薇こと二代目純騎士は、再び土に帰ったのである。

 黒薔薇が散り、残されたのは純潔の騎士。薔薇で言えば白薔薇の騎士は、二代目の消失を確認してその場にヘタリ、と力なく座り込んだ。

 珍しく片膝をついてではなく、股を閉じての女座りになってしまったのは、それだけ気持ちの落ちようがあったということの、現れとも言えた。

「お疲れ様でした。純騎士様」

 空から降り立った翔弓子しょうきゅうし

 その装いは大きく変わっていて、穢れを知らない純潔を表しているかのような白銀の装甲をまとっていたが、背中は翼があるためかバッサリと開いていて、肩も腹も出したなかなかに露出度の高い格好だったのは変わらなかった。

 しかし装いを新たにしたこともあり、さらに脳の抑制が外れてからほぼ初めてくらいの邂逅で、純騎士の中の感覚は比較的新鮮だった。

 天使に様と付けられるのも新鮮であるが、それよりもつい最近まで機械的な目で見つめ、人形的に動いていた天使が、さも生物のように振る舞っているその姿が、何よりも新鮮であった。水色の髪が、風に吹かれて揺れるのを手で押さえるだけの仕草さえ、生き物のように感じられるほどである。

 しかしその美しさは人形と表現する他なく、人間味を持った人形のような少女は、静かに人間の表情で表面を彩っていく。そこにはもう、感情の抑制など存在しなかった。心に思うがままの感情が、その顔を彩っていたのであった。

「では協定通りに」

「……はい、教えて頂きましょう。あなたの作戦というものを」

 話は、二代目純騎士に森で追い詰められた純騎士が、翔弓子の援助によって戦線を離脱し、翔弓子に両脇を持ち上げられてこの平地まで飛んでいたときに遡る。

 翔弓子は共闘を持ち込んだ。必ず勝てる作戦がある。そしてその勝利を、純騎士に譲りましょうという話だった。

 この戦いの初日にも、同じような文句で口説かれたような気もするなと思った純騎士だったが、そのときと同じでまず、話を聞くことにした。

 天使の飛行速度に晒される中、純騎士は翔弓子の作戦というものを聞いた。そして聞き終えて理解した。なるほど、確かにそれは、勝利と言えるものである、と。

 だがそのためには一つ、二代目という障害が存在した。故に二代目を打倒し得たのならば、その作戦に応じましょうと純騎士は返答した。

 初日ならば、そんな作戦など乗らなかった。だが今は、勝利を欲する衝動が、欲望が、この胸に渦巻いている。勝利できるというのなら、例え悪手でも縋りつく貪欲さが、そこに存在した。

 そして今、その作戦の手順と詳細を確認し、疲労に応える体を起こして、その方向へと視線を飛ばした。

「では、参りましょう。脇を持たれるのは、少々くすぐったいのですが」

「そ、そこは申し訳ないですが、ご辛抱頂きたく思います……」

「以前のあなたならば、そのような発言が出てくることもなかったのでしょうね。彼のお陰、ですか」

「……はい」

 煉獄の魔天使まてんし

 結局彼は、何者だったのだろう。

 地上で罪の限りを尽くした大罪人だと知らされていたのに、蓋を開けてみればなんとも軽快で、調子が良くて、芯の持った、天使というより、人間のような人だった。

 とても優しい顔立ちの人の心に悪魔が棲みついてたのならば、その逆もまたしかりということなのか。ただ天界にとって堕天使というだけで、実は何も悪いことなどしていなかったのか。

 死んでしまったのなら、もう聞くこともできないのだろうけれど、しかし生きていたところで、訊くことはやはりできなかったのだろうなと思う。

 彼はあの軽い調子ではぐらかして、芯を持っているがために何も語らず、死んでしまうのだろう。

 今ならば少しだけ、彼のことは理解できる。少なくとも、大罪人としては、もう見ることができなくなってしまったけれど、しかしそんな個人的な意思を尊重して、彼と共に世界の敵に回る気までは起きない。

 だけどせめて、少しだけ、彼を理解してあげることはできるだろうくらいには、思えるようになってきた。世界がついている嘘を、少しだけ、許せるようにはなったと思う。

 国によって嘘を付くようにされてしまった、あの弱弱しい記述者のことを許せたどころか、愛してしまったくらいだから、それくらいの嘘はもう許せてしまう。少しだけ、だが。

「さぁ、行きますよ」

「……やっぱりもう少し、どうにかなりませんか」

「すみません、ご辛抱を」

 と、やはり少女に両脇を抱えられる姿に耐え切れなかった純騎士だったが、これしかないと言い切られてしまった。

 この子、あの人に似て芯が強いですね、などと内心で皮肉るが、しかしそこは身体的年齢で言えば年上として我慢する。

 あのドラゴンシスターではないが、しかしやはり彼女の幼い顔立ちと柔い皮膚と肉感を見てしまうと、どうしてもそう感じてしまって仕方なかった。

「では、行きます」

 黒薔薇の騎士を打ち破って、純潔の騎士は天使に抱えられ空を飛ぶ。

 その翼は天界へと届きそうなものの、しかしその天界を目指すため、神話に名高い大戦大陸を駆け抜ける。

 向かうはこの世の深淵を収束した者。この世の死を体現した者。

 骸皇帝がいこうていが不死の象徴であるのなら、彼女は永遠の静寂、終焉の象徴である。

 彼女の名は滅悪種めつあくしゅ。純騎士はまだ詳細を知らない、不安と恐怖の怪物と、対峙する。

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