そしてすべては真白に染まる
滅悪暴走
天界の玉座に現在座る
誰に聞いたところで事態を把握している者はおらず、唯一理解していそうな
「召喚士、様……?」
「お、目が覚めたかい。悪かったね、白雪姫。
「……! 戦争はどうなりました?!」
「まぁ落ち着いて。双魚宮の淹れた紅茶でも飲み給え。珈琲はいけない。あれは酷く頭を興奮させるからね」
「どうぞ」
人魚の女性がそう言い、魚人の男が淹れてくれた紅茶を受け取る。
薬草の香りがする白雪姫専用のブレンドで、いつも彼女の給仕が淹れている薬代わりの紅茶であった。故に躊躇はなく、白雪姫はそれで喉を潤した。
いつも通りに苦く、しかしほのかに甘い香りが舌を撫で、そのいつも通りに、白雪姫は安堵する。
ふと思い出して、また周囲を見回すと、隣にカーテンで仕切られたベッドがあって、二つの気配を感じ取り、寝息を聞いた。
「あぁ、二人なら心配はいらないよ。天使の彼女らは、病弱な君よりも頑丈さ」
「……それで、戦争の方は?」
「先ほど決着が着いた……というべきかな。しかし、我々としても最悪の展開と言える。最も――ではないにしても、優勝するはずのない者が優勝してしまった」
「と、言うことは……」
「
未だ毒が抜き切らないため、白雪姫は用意してもらった車いすに乗り、召喚士に押してもらって移動する。
そこは召喚士と、彼の従える一二体の召喚獣だけが本来入れる部屋で、天界のあちこちに移動し、召喚士が合図をするとどこにでも現れるという、神出鬼没の部屋である。
召喚士が使う占いのための魔球や、魔力を封じ込めた水晶など、地上の魔術師からしてみれば、宝の山と表現しておかしくない代物がズラッと並んでいる。
召喚士はその中から水槽に沈んでいる、人間の心臓の形に造形された水晶を取り出すと、そら、と白雪姫に渡して見せた。
魔力を流すように促して流させると、水晶が鼓動を打ち始めて、青白く光り始める。
白雪姫は少し気持ち悪そうにするが、召喚士は落とさないでくれよ? と念押しして。
「それはアトランティアでも希少種とされる、一角獣の疑似心臓さ。毒などによって心臓が冒されるとそれを作り、その心臓に毒を移すと言われている。故にこの世で、最も毒を受けやすい性質を持っている。それに触れてさえいれば、解毒できるだろう」
魔力を浴びてないと動かないけどね、と捕捉して、召喚士は映像記録を映し出せる水晶に手を添える。
「滅悪種……彼女が勝ったということは、すでに玉座に?」
「あぁ。
「では、彼女の監視役として置いていた、あなたの
「あぁ、失敗さ――と言い切るのも、少し違う。彼は滅悪種が、これ以上無駄な殺戮をしないための安全装置だった。無論彼にそれを言うと、その動きで滅悪種も警戒してしまうだろうからね。彼女だけの裁定者ではなく、全員に平等な裁定者を召喚した。結果、彼は
と、彼に賞賛する言葉を送った召喚士だったが、だが、と切り返した。
「彼は最後の最後で、役目を果たせなかった。あれは滅悪種が優勝しそうになれば、それを止める役割を与えていたのに……皮肉だね。誰にでも平等な裁定者を用意したが故に、最後の最後で贔屓できなかった」
「そうですね。皮肉と言えば皮肉でしょう。二人もの参加者を倒したエタリアの騎士さんではなく、天界から贔屓されていた翔弓子さんでもなく、誰も倒さず、ただ玉座を目指していただけの滅悪種が勝つなんて、これ以上ない皮肉です」
「だけど一番から三番の玉座に座る者は、今あれこれと議論を交わしているよ。骸皇帝に続いて、あれに席を座らせるつもりなんてなかったからね。翔弓子はおそらく、降格処分を受けるだろう」
白雪姫がここで違和感を感じたのは、そう語る召喚士が、何やら企んでいるかのような笑顔を向けて来たことに関してである。
まるでこの事態すらも想定済みのような――いや、白雪姫はもはや、これも召喚士にとって想定済みなのだと理解した。
これがもしも、他の誰かならばそうは思わなかっただろうが、召喚士だからこそ思う。それだけ召喚士とは、人を喰ったかの如く計算高い人なのだ。彼を頭脳戦で出し抜ける人を、白雪姫は知らない。
もっともここで、この展開すらも想定済みですかなどと聞いたところで、彼ははぐらかすだろうが。
「
「おそらく、天使と同じ最上級の拘束がされると思うけど、さて、どうかな。効くとは思えない。もしも
「けど、なんです?」
言い淀んだ召喚士に問う。
言いにくいから淀んだのかと思った白雪姫だったが、そこは理解が及ばなかった。
召喚士は楽しそうに、まるでクイズの答えに一人気付いて、他の人達がそれに気付くまでの間を楽しむ子供のような、イタズラ的な笑顔を浮かべていた。
というかそもそも、召喚士は何かに気付いたのだろう。それに気付けていない周りが、これから何に巻き込まれるのかを知ったうえで、彼は楽しんでいるように見えた。
こういうときばかり、この人は意地が悪くなる。
なんでも知っているし、なんにでもすぐ気付くから、この人は本当に意地が悪い。それを他人に教えようなんて、ほとんどしないのだから。
故に彼は当然の如く、さもそれが普通であると言わんばかりに、イタズラっ子の笑みで白雪姫の頭を、子供をなだめる親のような口調で撫で下ろしながら。
「君は知らなくて大丈夫さ。少なくとも、今はね」
「……召喚士様は、本当にズルいお方です」
「そうだね、僕も自覚しているよ。だけど、君に教えたところで状況は変わらないし……あぁいや、今回はそうでもないな。君一人が知っていることで、状況は大きく変わるだろう。前回は君に動かれると事態が最悪になるからと教えなかったけれど、今回は特別だ。教えて進ぜようじゃないか」
後日。
玉座に座った第九次
十日余りの激戦を、激戦することなく勝利した滅悪種。そのあまりにもあっけなく、あっさりと、この戦いに優勝してしまった彼女は、天界でもより高い塔の上から、天界を見下ろしていた。
こんなにも色鮮やかな場所があるのかと、感動している最中だった。
戦いが終わってからこの塔の上にある部屋に通されて三日間。食事が運ばれてくる以外になんの変化もない部屋に、ずっと閉じ込められていた彼女だったが、この景色があるお陰で、退屈せずに済んでいた。
空に裂く花々。美しい真白の街。空を飛び交う天使達の純白の翼。すべてが深淵に生きるものにとって、新鮮な光景の一つ一つだった。
熾天使はそんな彼女へと、静かに、当然、剣を抜いた。
滅悪種はそのことに抵抗するでもなく、また対抗するでもなく、ただ怯えて、丸く縮こまる。
「こんな臆病者が勝者だと……? 狩られる度胸も碌にない蟲が……私が斬り殺すぞ」
「な、んで……わたし、勝った、のに……かった、の、に……なんで殺すの?」
「何故? 玉座を護る者達は皆、貴様のことなど認めていない。地上において災害と呼ばれたものを、何故天の国におけるのかなどと、弱音を吐いていたが……少なくとも、地上の
「わから、ない……わたし、は、ただ……わたしが、生まれた、意味を……知りたいだけで……」
「貴様の生まれた意味だと? 知れたことを……貴様の存在意義は殺すことだろう。何者よりも殺し、何よりも殺せる、意思を持った殺人魔術。天界では魔法とすら呼べる技術の結晶……そう考えれば、貴様の価値は世界的に見ても充分に高いが……地上の産物である時点で私の堪忍袋は許容できない!」
呪い。即死の魔剣。
夜のように漆黒の剣が、滅悪種に突き刺さる。
胸から溢れる血は黒く、すぐさま気化して、漆黒の瘴気を上らせる。
滅悪種の悲鳴が、断末魔のように鋭く刺さる、熾天使からしてみれば耳障りなノイズが、響き渡った。
「いたい! いたい、いたい!」
「即死の魔剣を胸に受けて、即死で済まんとはな……呆れた代物だ。確かに魔術的価値は高い、が……だから許せん。地上の
さらに深く、傷口を抉る。
血飛沫がさらに飛び、瘴気はついに、その部屋を満たす。
血生臭い臭いが充満したものの、熾天使が気にする様子はない。ただ目の前の滅悪種に対して、憎悪や嫉妬にも似ついた何か、激昂の感情をぶつけるだけである。
「貴様が作られた目的である戦争など、数十年も前に両国の滅亡という形で終わっているわ! 大方それも貴様が滅ぼしたのだろうが、貴様はすでに貴様の価値を、自らの手で壊して彷徨っていただけだ! なんのために生きているか? 貴様の生きている価値などすでに終わっている! 今貴様が生きる価値はない! 天界のため、そして我らが統べる地上のために、貴様自身が滅びるがいい!」
ついに、剣が滅悪種の体を貫いた。
滅悪種は、断末魔をすでに上げ切ったとばかりに、口をあんぐりと開けたまま震え、硬直している。彼女の力の象徴であるところの髪の毛は、今更ながらに彼女を護ろうと、熾天使に威嚇していたが、その牽制も、熾天使は無視していた。
今更牽制されたところで、今更威嚇されたところで、もう手遅れなのだ。
即死の魔剣はすでに、彼女を貫いているのだから。
「終わったぞ」
そのまま滅悪種が動かなくなったのを見て、熾天使は告げる。
無論、滅悪種の勝利を遅れて称えるためのものではない。彼女を殺した、熾天使への称賛である。
「大規模な戦いになるのではないかとヒヤヒヤしていたが、いはやあっさり終わるものだな」
「あぁ、まったくだ。しかしまぁ被害が少ないなら少ないで、それで上場。今回の勝利者はなしということで、帰って来た翔弓子という天使でも座らせばいいでしょう」
「あぁ、そうなると、その天使も
「ならばどうだろう、
「素晴らしい。それでいいか、熾天使よ」
「好きにしろ。功績など私にはいらん。私が地上の
最初から。
そう、最初から、この手筈だった。
滅悪種が優勝したとなって、天界は考えに考え、熾天使による暗殺を企て、実行した。
滅悪種の使う滅悪魔術の規模を考え、大部分に結界を張り、人避けもしていたのだが、それも杞憂に終わるほど、呆気ない暗殺であった――
――と、彼らが胸を撫で下ろしたそのときである。
「おねぇちゃんのいったとおりだった」
と、それは喋った。
他の誰でもない。いや、もはや人ですらない。人の形を保っているものの、原型をとどめているものの、しかしそれは、もはや人ではないと誰もが断言できた。
何故か。それは決して、彼女が魔導生物だからでも、彼女が即死の魔剣を受けて、貫かれて、尚生きているからでもない。
彼女はすでに死んでいた。死にながら喋っていたからだ。
故に彼女は、もはや生きている人間ではない。ただの死体――のはずだった。動くわけも、喋るわけもない、ただの死体のはずだったのに。
その鋭い頭髪が、
熾天使はとっさに剣で防御し、その防御が間に合ったからこそ危機を脱したが、彼女自身、滅悪種がまだ動くなどと思っておらず、熾天使にとって初めて、これ以上ないくらいに、不覚を取られたのだった。
地上の
すぐさまに壁を破壊し、魔剣を回収しつつ塔を飛び降りて離脱。気化した瘴気の比重が空気よりも軽いことは視認できていたために、飛び降りるのが最善だと判断したのだが。
「この私が敵に背を向けるなど、いつぶりか――?!」
瘴気から逃げるだけならば、飛び降りるのが正解だった。
だが同時、滅悪種の頭髪という恐ろしい脅威からも同時に逃げるには、それだけでは足りなかった。彼女の髪は、熾天使を追うように塔を這い出て、無限に伸びて、あっという間にその塔があった区域を呑み込み、さらに時間をかけて、天界全体に広がったのである。
なんとか脱した熾天使は、すぐさまに黒くうねる波を見て、嫌悪感を剥き出しにして吠える。
「天の国を、貴様の汚れた血髪で覆うなど、一体どのような死が好みだ? 滅悪種っ!」
初めて、彼女が白雪姫以外の名を呼んだ。
彼女の長い人生で、もっとも嫌悪する敵として、もっとも許せない敵として、滅悪種を認識した瞬間だった。
天界が呑み込まれていく。天使達が呑み込まれていく。
天の国が、地上を統べる天界が、地上の呪いとも言うべき存在に、魔導の生物のたかが頭髪に呑まれていく。それはもう、常人ならば、地獄絵図としか表現できないほど、凄まじく、恐ろしい光景であった。
そして熾天使もまた、現在の滅悪種の危険性を理解していた。
不死身ではなく、死んでいながら動く。
生きているのなら殺しようなどいくらでもあるが、すでに死んでいる者を殺すことはできない。言葉遊びのような理由で言えば、殺すとは、生きている者を死なせることを言うのだから。
だが滅悪種は、確実に死んでいた。
魔剣によって確実に、殺されているはずだった。
なのに天界を覆えるだけの魔術を起動し、そしてなおも動き続けているこの事実。
自身に時限装置的な魔術を施したとも考えられるが、彼女にそんな頭が回ることができるはずもない――と考えて、熾天使は思う。
彼女にそれを教えればできる。
ならば誰が教えたか。彼女が、自分自身が裏切られることを知っていたのだとしたら、殺されることを知っていたのだとしたら、それは彼女を殺す天界の意思を、すでに知っていた者の内通である。
ならば、誰か――
「まさか……!」
そこまで考えて、熾天使は飛んだ。翼もない彼女だが、その姿はまさしく、天使そのものであった。
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