さもそれは、純血を滴らせる薔薇の如く

 薔薇という花は奇妙な花だ。

 美しく咲く花びらを守るため、いばらに無数のトゲを宿す。

 美しさと強さの両立を表し、エタリアでは古来より、女性騎士を例える表現として使われる。

 そして薔薇はその本数と色で名前を――花言葉を変える。

 一本ならば一目惚れ、あなたしかいない。

 九九本ならば永遠の愛。

 九九九本も集まれば、生まれ変わってもあなたを愛し続けるとさえ言ってみせる。

 それがもしも真っ赤な薔薇だったら、愛情や情熱の花言葉に従って、贈る相手は永遠に、生まれ変わっても愛されることを誓われるわけだ。

 しかし、それがもしも一五本で、さらに黒赤色だったなら、ごめんなさい。あなたを永遠に憎みます、となるわけであるから恐ろしい。

 そして、二代目純騎士じゅんきしは黒薔薇で例えられた。

 その花言葉は、決して滅びることのない愛。

 彼女はかつて、自身を例えた黒薔薇を愛する人に贈られた。この世界は二人だけ。二人だけで、永遠の愛を育みましょう。

 だがそれは虚言だった。

 永遠の愛など存在しなかった。彼女は恋人に裏切られ、最後を一人で過ごした。

 きっと彼にとって、黒薔薇を贈ったのは誇示だったのかもしれない。

 あなたはあくまで私のもの――だからいつ捨てられても、文句を言うなよ、と釘を刺しただけだったのかもしれない。

 だけど二代目はそれで満足していた。

 それでよかった。当時はとても憎んだし、恨んだし、呪ったけれど、後世に降臨した今なら、許すことができる。

 そのときに美しいと思った花を愛で、食したいものを食し、抱きたい女を抱いて眠るは男のさが。英雄は色を好むもの。

 なればこそ、すべてを今、許しましょう。あのとき、あの頃は許せなかったけれど、呪ったけれど、しかし今は、今振り返れば許せること。

 すべては私が、私が悪いのです。私こそが大罪の騎士。

 私を愛さなかったあなたを許しましょう。

 私を見捨てたあなたを許しましょう。

 私を見殺しにしたあなたを許しましょう。

 あなたに、この黒薔薇を贈りましょう。

 一本一本、心を込めて。その数がいつか、永遠の愛に達するまで。もうこの世に存在しないあなたに、この愛を黒薔薇に変えて捧げましょう。

 だから、待っていてください。

 あなたのためにも、私は必ず、我が降臨者を勝利へと――

 二代目の理解能力は、自負している限りはあまり高くなかったが、実際、あまりにも早急な事態の理解は望むところではなかった。どこか他人の言葉を鵜呑みにしてしまう部分があり、人の言葉の真の意味を理解するのに、時間を要するタイプだった。

 故に、たった数時間もない前に自身を圧倒した騎士を相手に、覚悟をしろなどと啖呵を切れる後代の意図が読み切れなかった。

 例え彼女にとって有利な環境に誘い込まれたとして、しかしそれで自分を押し切れるほど、実力がひっくり返ることなどあり得ないと思っていたが故に、この展開を理解しきれなかった。

 後代、十代目純騎士の二段突き。

 眉間と右肩を突きに来たレイピアの先をサーベルで弾いた二代目は、体を翻してそのまま上段から振り下ろす。

 しかし純騎士はその剣を、サーベルに添えられていた二代目の手ごと捕まえてなし、勢いを利用して流すと上から突こうとレイピアを構える。

 体勢を崩させた二代目の脳天を貫いてやろうと突くが、二代目は自らわざと余計に体勢を崩して躱し、前方に飛んで転げ、距離を取る。

 先ほどの戦いでは距離を取りたがっていた純騎士が、その距離を間髪入れずに詰める。

 レイピアで突く、と見せかけて二代目を襲ったのは純騎士の手刀で、喉を抉る角度と方向で繰り出され、二代目の頬を掠めて爪が切った。

 そして躱したところに一歩踏み込んで、純騎士が本命のレイピアで突く。

 サーベルを振り下ろしてそれを躱し、再度距離を取るが、今度は追ってこなかった。

 純騎士も立て直し、レイピアを構える。

「貴様、先ほどとは別人のようですね……何かコツでも掴まれましたか?」

「いえ別に。ただ冷静に考えてみれば、あなたの魔術はこのような平地だと、真の効果を発揮できないと、思い出したまでです。あなたの魔術は死角と物陰こそあれば脅威ですが、このような平地で見れば、

 実際、比喩ではなく、純騎士にはそう見えていた。

 森の中では神出鬼没だった二代目だが、物陰のないこの平地において、彼女が出てくる場所が限定された。

 隠れる物陰がないことで、対象である純騎士からしてみて死角そのものが酷く限定されたのだ。故に彼女が出てくる場所も、もうわかる。

 二代目は暗殺を主とし、戦場にはほとんど出てこなかったという話があったが、その意味を、純騎士は真に実感。理解した。

 平地で二代目の魔術と相対すると、ただ目の前を超高速で移動し、死角や懐に入り込んでいるように見える。だとすれば、対応はできる。

 常に二代目を真正面に置けば、入り込んでくる死角など自分でわかっている。大体は背後になるはずなので、そこを突いていけばいつかは当たるはず。

 ただの倍速ならば対応はできる。こちらもそれを弁えた上で、対処するだけのこと。

「素晴らしい観察眼ですね……」

 とは言ったが、二代目は正直余裕を失っていた。

 “黒薔薇異端・殉教者疾駆オ・アイレティコス・エノス・トリアンタフィロゥ

 華麗なる黒薔薇の暗殺魔術も、言ってしまえばただ超高速で相手の懐に入り込むだけの、特攻魔術。物陰に潜もうと、視認していれば確実に。魔力を感じていればほぼ確実に、息の根を刈り取る死神の鎌。

 二代目純騎士、その偉業の中でも最高と言える、敵騎士団団長及び王殺しを成し遂げるに至った、彼女だけのオリジナル魔術。

 その内容を知っているのは、エタリアでも純騎士の名を受け継いだ、後代八人の女騎士と、初代。そして当時の二代目の部下達だけだ。

 ここでも十代目純騎士は、その強運を働かせていた。相手がもしも二代目でなければ、このような優勢に立つことは、できなかっただろう。

 一つ。二つ。そして三つ。

 三度の突撃を躱されるも、四度目の手刀が肌を掠め、五度目のつま先での蹴りが突き飛ばす。

 蹴り飛ばされた二代目が体勢を整えるよりまえにレイピアで追撃。純騎士の死角へと逃れた二代目だったが、それを読んでいたと純騎士が身を翻し、レイピアで突く。

 そしてついに、純騎士の一撃が、二代目の体を捉えた。

 右肩を貫かれた二代目はすぐさま後退してレイピアを抜くが、黒く淀んだ血が勢いよく噴き出て、レイピアと、それを握る純騎士の右腕を濡らす。

 降臨した者の血は、必ず黒く淀んでいる。故に降臨した者を見極めたいときは、血を見ればそうだとわかる。降臨した二代目の血が黒く淀んでいたのは、決して彼女の異名である黒薔薇とは、まったく関係がない。

 だがその白い肌と黒いドレスをより黒く染める血は、まるで本当に黒薔薇に垂れた水が、その花弁の色を吸い取ったかのように、黒々と淀んでいた。

「なるほど、貴様の部下に……かなり速い者がいるようですね……」

 “顕現権限プロディロス・アルヒ”は、やはり見抜かれていたようだ。

 初代から続くこの魔術は、当然当時の二代目も使っていたはずである。もしも二代目がこの魔術を使えていたら、このようにはならなかった。二代目がどのような能力を蒸散するかにもよっただろうが、しかし今、彼女はこの魔術なしで渡り合っているのだ。やはり勝負にならなかっただろう。

 無論、それも結界を使えば魔力なしの全力勝負に入れるが、それでも、わからない。

「部下にも恵まれているようで、正直その強運を羨むばかりですが……貴様は心底一人では何もできないと見えましょう……ならば、その絆断絶するだけ。人に恵まれ、幸運に恵まれるのもここまでとしましょう。調度良く、血も流れていることですし」

 二代目の瞳を見た瞬間、純騎士は咄嗟に引いた。

 まるで死人のような光のなさ。その純黒の瞳孔に引きずり込まれ、闇の中に閉ざされてしまいそうなその瞳に臆したのだ。

 それに、それだけではない。

 二代目純騎士には、最後の切り札とも言える奥の手が存在する。それの発動条件が、なのだ。

 二代目は肩から流れる血液をサーベルに溜め、それを地面に突き刺す。すると黒く淀んだ血が意思を持ったかのように広がり、二人を包み込んだのである。

 そしてそれは、黒い薔薇の花弁が散り、上から降り続ける不思議な空間を作り出す。足下は水で満ちていて、漆黒の世界だというのにその世界を視認でき、足下に張られた水に映る自身の姿をも確認できた。

「まさか、これは……結界魔術……?」

 自分の奥の手も結界魔術だからこそよくわかる。

 間違いなく、今二人がいるのは二代目の作り上げた結界の中。彼女にとって、これ以上ない理想の場所。理想の空間。

 だがここには、暗殺に向いている遮蔽物や障害物はない。漆黒の世界に広がる水平線と、絶え間なく降り続ける黒薔薇の花弁。それだけだ。強いて言えば、その降り続ける花弁が、度々視界を邪魔してくるくらいだが。

「結界を切り札にする騎士は、珍しいですか?」

 いえ、自分がそうです。などとは答えられない。

 相手はこちらの奥の手どころか、ポテンシャルも知らないのだ。このアドバンテージを無くす理由は、どこにもない。

 だが沈黙で答えるのも、それはそれで自分がそうだと晒しているような気もするので。

「先代には何人か、いらっしゃったようです。あなたを含めて」

 ここで自分もそうだと言い切れるようなら、面目も保てそうなものだが。

「この世界のルールはすでに知っていますね?」

「……はい」

 応じると、よろしいと二代目が頷くと同時、空から黒い薔薇が一輪。二代目と純騎士の元に降ってきた。互いにそれを取ると、その棘を胸ぐらに刺して留める。

「薔薇の花言葉は、その数でも変わると言います。二本あれば、この世界は二人だけのもの……しかし、一本だけなら、私の世界にはあなたしかいない、となります。この世界は、その花言葉を具現化した世界。二本ある間、私達は私の魔力尽きるまで死ぬことはない。ですが、どちらか一方の薔薇が散ったとき、その花言葉に従って、片方が消える」

 ここで一件、このルールなら、相手の薔薇を散らせばいいのかと思うだろう。しかしそうではない。

 一本の薔薇の花言葉は、

 つまり薔薇を持っていた方が生き残るのではなく、生き残る。

 つまりこれは、己の薔薇を散らした方の勝ち、というなんともひねくれたルールの下行われる戦いなのだ。初見の相手はこのルールになかなか気づけないため、二代目にとってこれは初見殺しの必殺の奥の手、と言って過言ではない。

 何せ相手に向かっていこうとした瞬間、二代目は自分の薔薇を散らして勝ってしまうのだから。

 そしてこの戦いの敗者は、死に相応する重傷を受ける。まるで散った薔薇が喰らった一撃を、自ら喰らうが如く、血肉が舞い踊るのである。

 そして、必ず即死、というわけでないのが恐ろしい。人によっては、自分のはらわたが自分から飛び出ている様すら見えると言うのだから、これ以上恐ろしいことはないだろう。

 まさに相手の血を吸って生きる一輪の黒薔薇。さもそれは、純血を滴らせる薔薇の如く、恐ろしいままに、美しい。

「要は自分の薔薇をどちらが先に散らすか、の勝負ですね。私達は自分の薔薇を散らすことと、相手にそれをさせないこと、その両者を成し遂げろ、と」

「さすがに知っていましたか……初見なら――」


「――あっけなく殺して差し上げましたのに」

 暗殺を喜々としてやっている様子はない。

 だが相手を殺すことに躊躇もない。自分のため、国のため、自分を降臨させた者のため、自分の後代を殺すことに一切の躊躇なく、その薔薇を散らしに来る。

 このどこまでもぶれない様子が、誰だろうと命令のままに殺すその姿が、彼女を人形と蔑ませた要因であると、きっと二代目は知らないのだろうと、純騎士は思った。

 それが不幸中の幸いなのか、知らぬが仏という奴なのか、それともそれらの逆なのかわからなかったが、しかし伝えるべきではないと思った。

 二代目をこの世に降ろした者について詳しくは知らないが、しかし二代目はきっと知らされていない。だからこそ、この結界を未だ切り札として使えるのだろうと考察した。

 故に散らす。

 エタリアにとって高貴な騎士だった二代目を。傀儡とさえ言われた哀れな騎士を。愛に生きて、愛に殺された悲しい女を。

 ここで、容赦なく。その花弁を散らして殺す。

 それが今の自分にできる最大のはなむけだと、純騎士は自負していた。

 故にレイピアを向けて、構える。繰り出すは、最高速度の高速突き。

「死ぬのはあなたです、二代目。すでに死んでいる身なのですから、大人しく座にお帰りください。ドライフラワーでもあるまいし、枯れた薔薇の見せ場は二度とありませんとも」

 これくらいの大口くらい叩けないで、二代目を倒すなどと思えない。純騎士からしてみればただのヤケクソだったが、不思議と自ら背を押す結果となっていた。

 あまりの豹変ぶりに、二代目も少し驚いた様子だったが。

「ひぃひぃと逃げ回っていた騎士が、随分と余裕を持ちましたね……まぁそれくらいの気概でなければ、殺すのも渋るほどでしたが……それだけの気概があれば容赦なく殺せるというもの。その高貴な薔薇を散らして差し上げます。来なさい」

 少し誇らしいと思ってくれたのか、そんな笑みで答えてくれた。

 若干の邪悪さを感じさせるそれは、どことなく儚げだ。まったくもって、血を流すその様すら、一々美しい。彼女を捨てた恋人は、きっと目が節穴だったに違いない。

 もっとも彼女のことだから、愛し合うのにもどこか猟奇的だったかもしれないが。

 なんて思いながら、純騎士は呼吸を整える。

 大きく吐いて、吸って。止めて――

「“連弾三段突きスィネキス・オティシ・トリオン・ヴィマトン”!!!」

「“純黒殉教・黒薔薇疾駆ロド・トゥ・マルティリオ・トゥ・マルティリオ!!!」

 互いに自分の薔薇でなく、相手の息の根を散らすべく、突っ込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る