反転肖像

降臨魔術

 滅悪種めつあくしゅ龍道院りゅうどういんの死を見届けた彼女は、知識の偏った頭で考えていた。

 世界のすべてを殺そうとしないで。

 そんな彼女の切なる願いを聞いてから、考え続けていた。存在自体が戦うために造られた魔導生物兵器という点ではベルサスの異修羅いしゅらと相似しているところがあるが、その存在意義を自ら見出しているかいないかの差である。

 異修羅は自分を作ってくれた博士のため、骸皇帝がいこうていを討ち倒すということにのみ存在意義を見出していたように見られる。故に骸皇帝が死んだあとは生きたいとも思わず、不死の魔術が解けるとそのまま身を任せ自壊していった。

 しかし彼女は他者を殺すことそのものに存在意義を見出そうとしていた存在である。特定の誰かではなく、殺せるのならば誰でもいいのだ。殺人衝動ですらない、存在証明のための殺傷を繰り返す存在。

 そんな彼女が、殺さないでと言われてしまったことは初めてだった。

 いや実際、殺さないでと言われたことはあるのだけれど、それは命乞いのためであって、龍道院のように彼女の将来を思って、また彼女自身の願いのために言われたことはなかった。

 だからこそ響いているのかもしれない。もっともそんなことを理解できるようには、滅悪種の頭はできていないのだが。

「どうした、眠らなかったのか」

 首なしの裁定者さいていしゃに問われる。

 なんだかんだとない頭で考え過ぎて、そのまま翌朝になってしまっていた。

 現在、戦争九日目。未だ勝利者の報告はなく、龍道院の脱落から誰かが脱落した報告もない。現状参加者四人。異質イレギュラー二人の戦況である。

 そんな中、焚火を囲んで野宿をした裁定者と滅悪種。滅悪種は裁定者が焚いてくれた火が、龍道院が最後に自らを燃やした光景と重なって、考えてしまっていた。

 故に、というわけででは決してないのだが、朝が来て焚火が消えた頃、滅悪種は一つの決断をしていた。

 そして今目の前に、この戦争の裁定者がいたことは実に運がいいと言えた。彼女は骸皇帝が禁忌の魔術使用の罪で参加者の刻印を剥奪されそうになったことなど知る訳もないのだが、しかし彼女は不安のため、前もって裁定者に許可を取る。

「くびなしさん」

「なんだ、滅悪種」

「その、魔術をつかいたいの。召喚魔術、なんだけど……だめ?」

「召喚魔術か……超魔術の一種ではあるが、基本一人が行えるものではない。我に協力してほしいということか」

 そうは言うものの、裁定者を召喚したのは天界の召喚士しょうかんし一人である。彼は魔力量が桁外れな上、天使という特殊な種族であるからそれが叶っているのだが、人間の魔術師ならば最低でも二人以上必要な大規模魔術である。

 だが滅悪種も、決して普通の人間ではない。繰り返すが、彼女は魔術によって作られた魔導生物兵器。魔術を行使するための魔力は、充分すぎるほどに与えられている。

 故に裁定者の問いに、滅悪種は首をフルフルと横に振った。

「わたし、ひとりでできる……だけど、ルールいはんだとダメだから……きいただけ」

「そうか」

 召喚魔術自体は、実際問題はない。過去の戦争でも、それが使われたことで罰せられたケースはない。第八次戦争のときは召喚士が裁定者役だったが、無論彼もそのとき使用している。

 過去の参加者がよくて今は違反というのは、少し理不尽だろう。だから許してもいいのだが、しかし裁定者には懸念が一つ。

 それは召喚するのが召喚士や過去の魔術師と違い、滅悪種だということだ。

 彼女は魔術という概念を理解しているのかいないのか、まるで手足を動かす感覚で魔術を行使している節がある。彼女の手にかかれば、どれだけ神聖な魔術も悪手に堕ちるだろう。

 子供が羽虫の羽を毟るくらいの勢いで、彼女は世界をどうにかしてしまえるほどの凶悪さを持っている。癇癪一つで命が消し飛ぶ己の力を、果たして自覚しているのか怪しいものだ。

 そんな彼女が、果たして何を召喚する気でいるのか、それが懸念材料だ。魔獣程度ならばいいのだが、神獣や災害と呼ばれて相違ない怪物を呼ばれれば最悪だ。この大陸そのものが、本当に消し飛ぶ可能性すらある。

 故に最後までこの戦争を続けるために、この召喚を禁止すればいいのではと思うのだが、しかしここで迷う。

 彼女だけ特例で許すかどうか、ならばまだ迷わなかっただろうが、彼女だけ特別禁止かどうか、だと迷ってしまう。

 特別に禁止するというのは、特別に許すよりもずっと大きな理由が必要だ。それも誰もが納得するかのような、特別な理由が。

 だが裁定者にはその特別が思いつかなかった。故により簡単な方を、無事に終わることを祈って、召喚を許してしまう選択肢しか、思いつかなかった。

「許可しよう。ただしこの世界そのものに悪影響を及ぼす存在が召喚されたそのときには、我が真っ先に其方の首を落とす。故にこの世界そのものを殺す、その存在を召喚せぬよう尽力せよ」

 世界のすべてを殺そうとしないで――

 まるでその願いと被せたかのように言う裁定者の言葉を、滅悪種は数秒の間をおいて理解した。

 今まで何度も聞き返し何度も意味を訊ね、自分に理解できるよう噛み砕いてもらうしかなかった彼女が、一度聞いただけで理解できたのは、それだけ龍道院の遺言が心に残っているからだろうことは、明白だった。

「わかっ、た……」

 少しどもってしまったのは、逆に決意を固めたからであると思われるが、彼女は龍道院でなくとも身体的にでなく精神的に子供と見える。

 一時的な感情で勝手に約束をし、次の瞬間にはケロッと忘れて勝手に裏切るなんてよくありそうで怖い。

 世界のすべてを殺さないで。そんな大きな願い事を、彼女が聞けるのか正直不安であった。

 そんな裁定者の不安など感じることも察することもできぬまま、滅悪種は髪の毛を使って魔術陣を描く。硬い地面でもなんなく刻むと、その上に自分の髪の一束を切り取って乗せた。

 召喚に必要な媒体だとは思うのだが、髪の毛で召喚などおそらく前例がないだろう。実際、魔力が込められていて、かつそれが召喚したい獣の体毛とかならばさらにいいのだが、なんの因縁もないただの髪の束を媒介にしてなんて、本当に何が起こるのか予測できなかった。

 さらに底上げされる裁定者の不安を、やはり感じることも察することもできず、滅悪種は魔力を注ぐ。魔力を受けた陣が呼応して輝き、起動し始めた。

 ここで滅悪種が、召喚魔術の詠唱を――唱えなかった。

 というか、唱えられなかった。彼女は召喚魔術が使えるのだが、召喚魔術に必要な詠唱の口上をまるで知らなかった。確かにそれで喚べないということはないのだが、しかし魔術を安定させるために必要なものである。

 もはや不安が堆積し、裁定者は一度召喚を中止させようとした。しかしそれよりも、魔術の方が早く起動してしまった。

 魔術陣が煌々と輝き、そして魔力で満たされたと同時に、召喚陣と化した魔術陣から、その輝きを受けた召喚獣――否、召喚された者が現れた。

 そこにいたのは獣ではなかった。明らか、人である。

 召喚魔術によって人型の魔導生物を呼び出すことはできる。それが天界の召喚士の十八番だ。しかしそんな彼でも、ことはしない。それはいくつもの危険を伴い、ときに禁忌の魔術と等しいくらいに恐ろしい代物だからだ。

 詳細を語れば、人間を呼び出すそれは召喚ではなく、降臨魔術と呼ばれる秘術である。過去の人間の魂を降臨させ、媒介から肉体を作り上げ降臨する。

 要は過去の人間をこの地に降ろす魔術なのだが、世界を滅ぼす獣の召喚を封じられたからとって、滅悪種がまさか降臨魔術を使うとは思いもしなかった裁定者。そこにはない目は、おそらく驚愕で見開いたことだろう。

 それは純黒のドレスを身にまとい、灰色の長髪を揺らす女性。真白の肌は妖艶で美しく、同時に怪しさをも持ったその女性は、黄金の双眸を開いて二人を見比べ、自分を呼んだ魔力を持つ滅悪種へと視線をやった。そして、静かに通る声で問いかける。

「私を召喚したのは、貴様でございましょうか?」

 腰が低いような、上から目線のような。

 しかしそもそもというのは貴方様という意味の上流階級で使われて来た尊敬語であり、時代の流れと共に庶民が使って行く中で、目下の者に使うよう変化していったもの。

 つまり昔の存在である彼女が、尊敬語として貴様と呼んでもまったく間違っていないわけで、滅悪種もそれに関しては気にしていなかった。そもそも滅悪種には、尊敬語なんて概念すら存在しないのだから。

「召喚魔術……いえ、降臨魔術と言った方が正しいのでございましょうか? まさかこうして私などという半端者が呼び出されてしまったのは、光栄のような悔しいような、複雑な気分でございます」

 静かな雰囲気の割にはよく喋る。

 滅悪種と裁定者の第一印象は、そんな感じだった。だが裁定者は同時に、その彼女にイメージを重ねていた。まるで糸が中途半端に切れてしまっている、操り人形のような感じだ。

 故に少し、壊れている、と見える。

「それで、貴様は何用で召喚されたのでございましょうか」

 とはいいつつ、大方想像できている言い方だ。

 自分を呼ぶ用事など、それしか思いつかないと言った風。自虐的にも聞こえる彼女の予想は確かに当たりなのだが、しかしそんな感じで言われるとなんだか申し訳なく思えてきそうだ。

 もっとも滅悪種には、そんな感情の持ち合わせはないようだが。

「あ……わ、たしの代わりに……戦ってほしい……この大陸にいる、参加者達、を……」

「なるほど。ということは、玉座いす取り戦争ゲームでございましょうか。こんなにも広大な大陸に参加者、そして他の参加者を倒せとなると、それくらいしか思いつかないのですが」

「そう、それ」

「しかし……その……失礼ながら、貴様は私の力なしでも充分に戦えると思うのですが……」

 まぁ当然起こる懸念だ。実際に裁定者も、凄まじい魔力量を誇る召喚士を見て、だったらあなたがやればいいのでは? と疑問に思ったものだ。

「……わから、ないの。いままでたくさん殺してきたのに、殺さないでって言われちゃって、どうしたらいいのか、わからないの……」

 そんな胸の内を告白すると、女性は静かに吐息して、そして太陽に手を翳す。その陽光の中から何かを掴み取ったかのような動きをすると、力強くそれを引き抜いた。

 それによって現れたのは燃え盛る聖剣――と滅悪種が想像していたのを裏切って、まるで月光を受けているかのように青白い妖艶な剣。サーベルだった。

 振り払うと、グラスの中の氷が溶けたときのような高い音が鳴る。

「承知いたしました。あまり詮索は得意ではありませんので、これ以上は致しません。早速敵の元へと向かいましょう」

「場所はわかるのか?」

「とりあえず、魔力探知で一人……そこから叩きましょう」

 正直そこまでのやる気も覇気も感じないのだが、しかし彼女は戦うようだ。よく喋る割に静か過ぎて、まるで生気を感じないが、しかし彼女は戦う気のようだ。

「差し支えなければ、其方の名を聞かせていただいてもいいだろうか」

「まぁ、私の名ですか……? 差し支えはないのですが、少々恥ずかしく感じますね……何ぶん黒歴史しか残せておりません故……」

 とは言いつつ、しかし名がわからないのも不便でしょうと、訊いた裁定者ではなくおそらく召喚者である滅悪種のために名乗った。

「元エタリア騎士団副団長、二代目純騎士。以後、お見知り置きをお願いしたく存じます……」

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