不死の怪物

皇帝の計画

 黄金帝国、ヴォイの骸皇帝がいこうてい

 その名は世界中の誰もが知る偉大なる魔術師だが、しかしその姿を見た者はそういない。いるのは皇帝の治める帝国の重鎮と侍女くらいのものである。

 しかし実際、彼は千年生きた不死身の魔術師。その姿を見た者がたったそれだけのはずはない。故に、言い直そう。

 彼を見て者はそれくらいしかいない。彼の敵となった者は、弱者も強者も等しく平等に、彼の配下にされるために殺されていた。

 そんな骸皇帝の骸の姿を見た純騎士じゅんきしは、恐れよりもまず吐き気を催した。

 何せ彼が鎮座する城は骸の塊。鼻を利かせれば、とんでもない腐敗臭が鼻腔を刺激し、吐き気を誘って来る。そして何より骸の躰の皇帝は、腐った肉の臭いで満ちていた。

 これで平然としている魔天使まてんしが異常なのだ。永書記えいしょきはおそらく、すでに死んでいるので感覚はないから平気なのだろうが。

こうべを垂れよ、虫けら共」

「が、骸皇帝陛下……」

 骸皇帝が、細い骨の指をクイと下ろす。すると永書記は両膝をついたまま、地面に頭を打ち付けたまま動かなくなった。凄まじい重圧に、体が持ち上がらない様子だ。

「リブリラの、私がいつネズミを逃がしてよいと言った? 暇は与えた。が、身勝手極まる行動は命令していないだろう」

「し、しかし、お言葉ですが、陛下……彼女一人逃したところで、計画に一切の支障はなく、あなたならば、滞りもなく進行する、かと……?!」

 永書記の顔が、さらにかかった重圧に耐えきれずに潰れる。穴の開いた額から潰れた脳漿が噴き出て、腐敗臭を撒き散らす。

 すぐ側でそんな臭いがしたために、純騎士は思わず大きな嗚咽を漏らして吐きそうになるのを必死に堪えた。

「貴様の個人的見解など求めておらん。計画は周到でなければならん。あらゆる事態を想定し、その対策を取るのだ。リブリラの、貴様にその対策が取れるのか」

「ぁ、ぁぁ……」

 さらに見えない重圧が永書記を潰す。腐っている臓物がさらに潰れ、脆くなった骨が折れて永書記の細い体のところどころから突き出て血を噴き出す。

 それを純騎士はただ見ることしかできず、脚は震えて動けない。手はひたすらに口元を押さえ、吐瀉物としゃぶつを撒き散らすのを必死に堪えるばかりだった。

 だがそんなおぞましい光景から、目を離せない。次第にその視界も涙で滲んでいくのに、しかし震えながらも目を離すことができなかった。

「も、うし、わけ、り、ま、せん……陛下……で、すが……」

「貴様の罪滅ぼしなどに付き合うつもりはない。どうしてもと言うのなら……」

 骸皇帝が拳を作る。そしてゆっくりとその拳を持ち上げ、振り下ろす構えを見せた。

「死ね」

「っ! やめ――」

 純騎士が飛び出そうとしたそのとき、すでに魔天使が拳に炎をまとわせて骸皇帝の目前で構えていた。噴き出す熱量で、微量の赤が混じった白髪が舞い上がる。

「てめぇがなぁ」

 魔天使の燃え盛る拳が、骸皇帝の髑髏のかおを粉砕する。さらに衝撃は骸皇帝の体を粉砕し、魔力を掻き消した。

 灰に変わった骸皇帝を見て、魔天使はあっけないと鼻で笑う。理解が追いつかず立ち尽くしている純騎士に、どうだと言わんばかりの笑みを見せた。

「天使の聖痕だ。刻んだ野郎の魔術を消して攻撃できる。不死身の魔術がいくら凄かろうと、これで一撃よ。言ったろ? 俺が倒すって。これで俺の勝ちだな――」

 言いかけて、魔天使は止まる。そしておもむろに背後に視線をやって、現実を見た。

 木っ端微塵に粉砕し、灰に変えたはずの骸皇帝が、そこにいた。いや実際、砕いた灰が勝手に掻き集まって収束し、骸皇帝の姿を再構築していた。

 漆黒の骨身からだを取り戻し、その全身の黄金の魔術刻印が再び怪しく光る。だがそのうち一つの小さな刻印が点滅し、そのまま消滅した。

 だがその体には、この戦争の参加者である証の刻印がまだ残っていた。骸皇帝はまだ、敗退していない。

「誰が、誰を倒すと? 堕天使ふぜいが」

 目玉に見える宝玉のついた杖を握り締め、そのさきで魔天使を突こうと振る。しかし魔天使の行動速度の方が明らかに速く、魔天使はその杖を躱して受け止めた。

 そして再び、その手に燃え盛る聖痕を宿して殴りつける。再び骸皇帝のかおを砕き削ったが、しかし今度は殴った頬しか崩せなかった。

 それに対して骸皇帝は杖を持ったまま指を動かし、見えない何かを動かす。それを直感で感じ取った魔天使はすぐさま城から飛び降り、両手に聖痕を与える炎を輝かせて構えた。

「なるほど? 千年生きた不死身の絡繰りがわかってきたぜ。人間がよくもまぁその領域に達したなぁ」

「繰り返させるな。天使の分際で私を計るなと言うのだ――!!!」

 骸皇帝の足元から、鋭く尖った骨の槍が生えてくる。それはしなやかに曲がると魔天使に向かって凄まじい速度で襲い掛かった。

 が、純騎士からしてみれば馬騎士ばきしよりも遅い。そして魔天使からしてみれば、唯一無二の親友が放つ弾丸よりもずっと遅かった。

 故に、まるで効かなかった。傷などつけることはできず、すべてが灼熱の手刀に叩き折られていた。

「てめぇは不死身以外能無しかよ。千年も生きといて、ただ自分が死なねぇからってだけじゃねぇよな? 地上最強の魔術師さんよぉ」

 明らか何かを狙っている魔天使の挑発。一流の戦士ならばその狙いがなんであれ絶対に乗ってはいけないものである。故に、自らの沸点を大きく下げる。

 しかし骸皇帝は皇帝であり、戦士ではない。皇帝とは感情を殺しては務まるものではなく、感情の左右で国を決める生き物だと、彼自身は思っていた。

 故に骸皇帝の沸点はいつでも低い。貶されれば怒号を上げ、今は無き血管を沸騰させる生き物だった。

「天使ごときが!!! 粋がるな!!!」

 魔天使の前に、二本の巨腕が現れる。手をついて立ち上がるような素振りを見せたが本体が出てくることはなく、その両腕が魔天使に襲い掛かった。

 だがただ巨大なだけの掌など、魔天使からしてみればまるで幼稚なもの。受け止めることも焼き切ることも、容易にできる。

 が、それが油断だった。その両腕の隙間から無数の小さな腕が伸びてきて、数千の数で一斉に攻撃を仕掛けてくる。しかもそれぞれがタイミングをズラして。

 一撃目二撃目を躱した魔天使だったが、しかし次々と来る腕を捌き切れず、ついに捕まった。両腕両脚を掴まれ、宙に逆さ吊りにされる。

 すべての腕が魔天使の四肢を握り締め、その骨を軋ませた。

「フン……虫程度が粋がるな。さて、なんの話だったかな」

「陛下、例の計画についてお教えするのではなかったので?」

 不意に、声がした。見ると天井に無数のコウモリ型の骸骨が逆さで止まっていて、その中に黒い男がいた。全身漆黒の衣装で姿形が掴めないが、声が男だった。

 その男の声を聞いて、骸皇帝は頬を削る指を止めた。

「おぉ、そうだったな。そこのリブリラが言った計画を、教えてやろうと思ったのだった。いかんな、ここで殺してしまっては計画が破綻するというのに」

 そう言って、骸皇帝は魔天使を握る腕の力を緩めさせる。しかし二本の腕が魔天使の首を握り締め、いざとなれば絞め殺す姿勢に入った。

 魔天使を敵同士だと割り切っているはずの純騎士も、騎士としての反射で動けなくなる。骸皇帝はその様子を見て、フムと一息置いた。

「改めて名乗る必要性もないだろうが、私はヴォイの骸皇帝。この戦争の参加者にして、勝者である。異論はあるまい」

 骸皇帝のすぐ背後に、いくつもの骨が木琴のような音を立てて椅子を作り上げる。そしてそれを見ることなく、そこに初めから椅子があったかのように鎮座した。

 その威風堂々たる姿は、まさに皇帝である。異論をしようものならば――いやするまえに首を刎ねられることは明白の暴君だった。

「さて、この戦争のルールは知っての通りだ。座する玉座を見つけるために参加者を殺さねばならない。殺さなければ永久に見つからないだろうこの広大な領域だ、自由とは言うがこれは逃れることの敵わない宿命であろう。私もこのルールに準じして、貴様らを一人残らず血祭に挙げてやるつもりだ」

 静かに腹の底に響く口調で、明確に死を宣告する。死屍を従える皇帝に相応しく、いとも簡単に殺すと告げてみせるその異様に、純騎士は恐怖した。

「しかしただ血祭に上げるだけでは趣向が足りん。そもそも何事も面白みがなければただの掃除、つまらぬものよ。故にすでに私が勝者として確定しているこの戦争に、興味はない。問題はその先だ」

「その、先……?」

 骸皇帝の指が、まるで星を転がすかのような仕草で動く。動く度になる摩擦音が気色悪く、純騎士はまるで自らの喉が転がされているかのような感覚に陥って再び吐き気に襲われた。

「私の目標、それは天界を落とすことにある」

 地上の誰もが腹の底に忍ばせることはあっても、決して発言することのない言葉。骸皇帝はなんの躊躇もなく、宣言した。この世界の頂点、天界を落とすと。

 それを聞いた逆さ吊りの魔天使は、喉を絞められることなど臆せず笑い飛ばす。

「馬鹿かよてめぇ! 地上の魔術師程度で落とせるほど、天界の障壁は甘くねぇ! 億を超える兆の天使に名のある天界の兵士! 今までの戦争を勝ち上がって来た歴代の勝者である今の玉座に座る連中! んでもって極めつきには天界の最高戦力例外ミ・ティピキィ! てめぇにこの牙城が崩せるって!? 無理だな無理! だから俺が堕とすんだよ、天界をな!」

 魔天使が付きつけた現実は、いつからとも知らない誕生の時から地上からの侵略の一切を受け付けなかった天界の歴史そのものを表している。

 しかしその壮大な歴史すら蹴飛ばすが如く、骸皇帝は嘲笑った。

「貴様にこそ無理だ! 今貴様が述べた戦力を、貴様一人で覆せるわけがなかろうが! そので、兆の天使すら殺し尽せぬわ!」

「病に、蝕まれた……?」

 純騎士が繰り返したそのとき、魔天使の全身が燃え上がる。とっさにすべての腕が魔天使を絞めるが意味はなく、魔天使はすべての腕を粉砕して離脱した。

 そして骸皇帝に対して明らかな敵意と殺意を剥き出しにした笑みを浮かべてみせた。

「てめぇぇ……どこで知った、それ」

「フン、知らずとも見ればわかるわ。貴様を蝕む病がすでにその体を食いつくしていることも、貴様の寿命があと――」

 魔天使が振るった渾身の炎槍が巨城に突き刺さり、その煌炎で焼き尽くす。死体の焼ける腐敗臭は凄まじく、純騎士はついに耐え切れずにその場で嘔吐した。

 騎士は人を焼く場にはいないので、独特の吐き気を誘うその異臭に耐え切れないのは仕方ないとも言える。死臭の漂う戦場では、脳から分泌されるアドレナリンがそれに気付かせないものだだった。

 そんな吐き気を誘う臭いの中でも、魔天使は絶えず骸皇帝とその巨城に眼光を飛ばしていた。

 炎である魔天使だ。敵を焼き殺す機会など、いくらでもある。故に慣れているということもあったし、何より今の魔天使の脳内は、大量のアドレナリンを分泌していた。

 そしてそんな魔天使の前で、灰の中から再び復活を果たした骸皇帝は、居城が完全に崩れ去ったことなど気にも留めず、フンと小さく吐息した。

「何を戸惑うことがある。天使とはいえ貴様も生命。形は異なれどいつかは死するものだろう。それとも死が怖いのか? ならばその恐怖を脱することができるのが、我が計画だ」


「私のために、死ね」

 骸皇帝は、矛盾したことを言いだした。純騎士は理解が追いつかず、吐き気が一時的に治まった。それでも、気持ち悪いのには変わらないが。

 その矛盾を正すことなく、骸皇帝は続ける。彼にとって生きるために死ねというのが、矛盾ではないことを知った。

「貴様が死ねば、その肉体を我が魔術で操り永遠に動くことができる。私に背く意志さえなければ、その感情も残してやろう。一生死を恐れることなく動けるのだ。この上ない安心であろう」

「……なるほど、てめぇの狙いがわかったぜ」

 魔天使は右手にのみ炎を宿して構える。全身の炎を消したのは力の温存ではなく、一点に力を集中させるためだ。

「俺ら全員を殺して操って、天界に戦力として連れて行く。俺や女騎士の実力なら確かに、兆の天使や兵士なんざぁ敵じゃねぇし、今の玉座に座るバカ共とも善戦するだろう。しかももう死んでんだ、殺せねぇんじゃ例外ミ・ティピキィ……は、難易度高めだが」

「ほぉ、随分と頼もしいな」

「だがこれでハッキリしたぜ。ヴォイの骸皇帝、てめぇ……死霊使いネクロマンサーだな。千年前に滅んだ闇の一族だと聞いたが、てめぇが唯一の生き残りってわけか」

 骸皇帝は高らかに、自らの正体を暴かれたことを笑いあげる。外れてしまうのではないかというくらいに顎を開いて笑う姿には、一縷の狂気を感じざるを得なかった。

「我が種族の名が出るのも、かれこれ数百年ぶりか。時間は経つものだ。時代は変わり、その言葉ももはや死語よ。死を司る我が一族が、もはや私以外完全に死に絶えるとは、なんたる皮肉かな! ハッハッハ!!!」

「そりゃそうだ。ありゃあ、自分の命を削りながら死体操る今じゃあ禁忌の魔術。死霊使いネクロマンサーの数は減る一方だった。だから消えるのはそう遠くねぇことだと、誰もが言ってた、が……てめぇはそれを、不死身になることで看破した型破り野郎ってこったな」

「ハッハッハ!!! 人間の姿で百年生きた! そしてこの姿で九〇〇年! 長かったぞ! 天界の戦争に選ばれるこの時を、千年待った! 天界が玉座に座す者を選び始めて四五〇年! このときを待ち続けたぞ! そうだ! 私は死霊魔術の唯一の欠点を克服した! この力で天界を落とすために! 私はあの天の国を、落とすために生きて来たのだから!!!」

 骸皇帝の咆哮は、声帯がないにも関わらず轟き渡る。純騎士は耳を塞ぎ、魔天使は一瞬だけ臆した。千年もの間帝国を支え続けた帝王の気質は、伊達ではなかったのである。

「さぁ、我が計画のために死ね! 死して我が兵団の一端と化せ! 私は――否、我は骸皇帝! 黄金の帝国を作り上げた屍の大帝であるぞ! 我が計略は天の声である! 従えぇい!!!」

「ハッ! 元天使としちゃあ天の声なんかたぁ程遠いぜてめぇのはよぉ! もっとも、天の声なんざ聖女じゃねぇから聞いたこたぁねぇけどなぁ!」

 魔天使が拳を骸皇帝に向ける。その煌炎が骸皇帝の骸の体に炸裂したそのとき、純騎士の背後の永書記が、ゆらりと立ち上がった。

 その手には、いつの間にか魔導書と孔雀の羽ペン。

「純騎士、さん……お願いです……」


「逃げ、て……」

 潰れたその顔は見るも無残。血と髄液でドロドロに塗りたくられ、さらにその上を流れるのは滝のように流れ出る涙だった。

「永書記さ――」

「“消失されし億軍隊ヴロヒ・オノマゼティ・イレイピオ”……発現」

 永書記の魔術によって現出された億を超える刃が空中に広がり、そして一斉に純騎士へと襲い掛かる。

 風切り音を鳴らしながら突進してくる剣の大群を前に、純騎士は動くことが叶わなかった。

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