理想の騎士

 場所はエタリア。

 純騎士じゅんきし玉座いす取り戦争ゲームに参加して五日目の昼。純騎士の部下である少数精鋭部隊、十字騎士獣士じゅうじきしじゅうしの面々は、各々の時間を過ごしていた。

「オラオラオラオラァ!」

 騎士団一の馬鹿力、犬騎士けんきしが新入りの騎士団員をしごいている。基礎的体力作りから基礎の剣術の仕込みまで、基本的なことを教えるのは彼女の役目だ。

 まだ一七歳の彼女に教わる団員は、彼女よりも二回り以上年上の男が多い。故に団員からしてみればかなりの葛藤があるものだが、犬騎士の訓練はそんなものを忘れさせるほど辛いものだった。

 また一人、犬騎士の馬鹿力に押されて気を失う。大量に溢れ出す汗を拭いながら、犬騎士は大きく舌打ちした。

「そんなんで、てめぇら戦争で生き残れるとか思ってんのか、コラ!」

 一七歳の少女とは思わせない覇気で、周囲を思い切りビビらせる。だがそこに一切反応を示さない男、馬騎士ばきしが現れた。周囲の新人は、さらに怯える。

 騎士団でも最もゴツい筋肉隆々の体。騎士団で二番目に速いとされる走力。そして何より、感情の有無を疑うほどに変化しない表情と無反応。騎士団でも、彼を得意とする人間は少ない。

 そしてそれは、犬騎士も同じことだった。まさか馬騎士が来るとは思わず、どうしたらいいかわからず硬直している。

「よ、よぉおっさん。どうした? 忘れ物か?」

「いや」

 話しかけても、たった一言で終わってしまう。犬騎士は根っから、馬騎士が苦手だった。どうしたらいいかわからず、頭を掻く。それに構わず馬騎士は席を見つけると、黙ってそこに鎮座した。

「いや、その……おっさん?」

「気にするな。見に来た、だけだ。新しい世代を」

 馬騎士はとにかく騎士団でも一番口数が少ない。しかしそれでも、言いたいことはわかった。犬騎士は持っていた木刀をほうり、部下に渡す。代わりに抛られたタオルで、汗を拭った。

「珍しいな、おっさんが見に来るなんて。梟騎士きょうきしさんか鷲騎士しゅきしさんならわかるけどよ」

「あの人が、もういないからな」

 口数は少ない。だが馬騎士が自身よりも若い純騎士のことを認めていたのは、今の台詞でわかる。正直二人の関係性を明確には知らない犬騎士だったが、純騎士が去ってから馬騎士が何か考えていることは見て知っていた。

「なぁ、おっさん……帰って、くるよな? 純騎士様」

「……誰も、そう思っていない。だから新しい副団長を決めた」

「俺は帰ってくるって信じてる! だって、あの人はまだ! ……あの人は、幸せになってない」

 犬騎士の言うことを、馬騎士は理解しているのかいないのか、それは表情からはわからない。しかし逆に何も言わないことが、理解しているのだと思わせる風貌を漂わせていた。

「婚約者は兄貴を殺そうとしてるの企んでたのバレて槍魔手そうましゅさんに捕まった馬鹿野郎だったしよ、帰ってくることみんな信じてねぇしよ、帰って来たって、迎えてくれる場所ねぇしよ……あの人、今まで俺達のこと守り続けてくれたのに……なんで、あの人幸せにする道、用意されてねぇんだろ」

「用意、されてないか」

「されてねぇだろ? 本当は副団長なんて、あの人が帰ってくるまで決めるの待てばよかったんだ。だから俺が副団長になって、あの人が帰って来たときにその座を返して、居場所も取り返させるはずだったのに、クソ……結局、無理だった」

 犬騎士が、三日前の副団長決定試験に本気だった理由。

 それは馬騎士は知らなかった。だがその本気度は、伝わっていた。故に理由を聞いて、その本気度に納得した馬騎士は、固い口を開き始めた。

「全員が全員、信じていないわけじゃない。皆、信じてる。あの人なら、例え負けても帰ってくると。団長も陛下も、皆信じてる。心の底から、諦めてる奴は、いない」

「だったらなんで!」

「俺達が守るのは、人じゃない。国だ。統率者一人の欠員で、状況は、大きく左右される。勝てる相手にすら勝てず、国を、守れなくなる。俺達の意思を尊重して、国が滅んだら、取り返しが、つかない。国滅んだら、あの人が帰る場所が、それこそなくなる」

 犬騎士は反論しない。いや、できなかった。馬騎士の言うことが、正しすぎるからだ。反論の余地すらないほどに、馬騎士の言うことは正論だった。

 でもだからこそ、強く思うことができる。強くならねばと。他人を育てるだけじゃない。自分もより強くならなければならないと。純騎士が帰ってくる、国を守るために。

「戦おう。あの人が帰ってくる、この国を守るために」

「……おっす!」

 同時刻、エタリア本国からは少し離れた小さな村。騎士国エタリアの領土内に位置するその村の喫茶店で、二人の騎士がお茶していた。

 猫騎士ねこきし蛇騎士へびきしだ。

 相変わらず猫騎士はよく喋り、蛇騎士は黙々とその話を聞く体勢。だが決して聞き流しているわけではなく、ちゃんと聞いて吸収していた。

 ちなみに話の内容は、相も変わらず猫騎士の愛読している小説の話である。

「やっぱなぁ? 絶対に主人公、ヒロインのこと好きと思うねんな? だってこうもあからさまやと、そう思うしかないやん?」

「あぁ」

「でもなぁ、なぁんかハッキリしないねん。好きな子には、やっぱり好きと思うねんな、うち」

「……猫騎士は、その方が嬉しいのか」

「うちは……そうやなぁ。好きな人には、好きって言ってほしいわ。犬騎士はんとちゃうけど、でもうちはそういうタイプやな」

「……そうか」

 そう言って、蛇騎士は立ち上がる。そしておもむろに猫騎士の隣に片膝を付くと、その手を猫騎士に向けた。

「好きだ、猫騎士。結婚を前提として、私と付き合ってほしい」

「……へ?」

 突然の、なんの前触れもない告白。蛇騎士の今までにそんな素振りはなく、まるで予感させなかった。

 小説のような突然の展開が好きな猫騎士だが、現実にこうも唐突な展開が訪れると、自分が何もできなくなる人間なのだと知った。

「蛇騎士はん……え、今なんて?」

「おまえは、こうして直接好意を伝えられる方がいいのだろう。だから、直接伝えた。本当は帰国後に手紙を書こうと思っていたが、そのまえにおまえの好む形が知れてよかった」

「そ、そんな……だって、そんな素振りなかったやん……不意打ちなんて……卑怯やわぁ……」

 普段明るい方の猫騎士だが、大きな目からボロボロと涙が零れる。突然の告白に驚いたが、とても嬉しかった。何故ってそれはもちろんのこと――

「うちも……あんたはんが好っきゃねん……大好っきゃねん……えぇんか? うち、あんたはんと付きうても、えぇんか……?」

「是非頼む」

「ほな……」


「よろしく、お願いします……」

 差し出された手を取って、猫騎士は頷いた。蛇騎士は静かに安堵の吐息を漏らし、猫騎士にも聞こえないほど小さな声でよかったと漏らした。

 おもむろに立ち上がり、泣きじゃくる猫騎士の頭に手を添えて撫で下ろす。他に客のいない小さな喫茶店で、年老いたマスターもうたた寝する頃、新しく将来を誓う若者達が生まれた。

「純騎士様がお帰りになられたら、驚かせよう。あの人は必ず帰ってくる。そのとき、私達は精一杯の幸せを見せよう。あの人が憧れて、自分の幸せを見つけるように」

「せやな……子供生まれたら、あの人に名前貰いに行こな」

「子供、名前、か……」

「どないしたん? もしかして照れてるんか? 可愛いなぁ、まぁそないなところが好きになったんやけどな?」

揶揄からかうな……」

 純騎士はん? うち今、めっちゃ幸せです。純騎士はんは今、どないしてますか? もし帰ってきたら、今度はうちがあんたの代わりに戦いますさかい、幸せに、なってな?

 十字騎士獣士で最も身軽、猿騎士さるきしは今まさに剣を握っていた。相手は一介の盗賊団。相手は数十人いたが、もうあと一人だ。

「クソぉ!」

「キッキッキ! おらぁ、今回殺しは言われてねぇんだ。さっさと降伏すりゃあ、痛い目見ないで済むぜ?」

「ざけんなぁっ!」

 下手な大振りを軽く躱し、その背後へ。そして柄の先で思い切り首筋を叩き、神経麻痺によって体の自由を奪う。

 軽快、と言うことは攻撃力に欠けると言うこと。それを補うために、猿騎士は相手の急所や弱点をピンポイントで突ける技を会得した。

 その技によって、合計三七人の盗賊団員全員を、ほぼ無傷で戦闘不能にしてみせた。待機させていた部下達に、彼らを縛らせる。

「猿騎士!」

 新たに数名の部下を引き連れて、獅騎士しきしがやって来る。

 部下の手には二人の盗賊を縛る紐が握られていて、その二人の拘束を伝えに来ると同時、応援に来たのだが、すでに戦いは終わっていた。あからさまに、獅騎士はガックリした様子で吐息する。

「なんだ、もう終わったのか……」

「キッキッキ! そうわかりやすくガッカリすんなよ。あの人よりは手間取ったぜ、普通によ」

「……純騎士様、今頃どうしてるかな」

「さぁ……もう死んでるかもな」

「猿騎士! あんた――」

「少なくとも、国の連中はみんなそう思ってる。例え生きてたって、あの人は帰って来ねぇとすら思ってやがるさ。俺だって、あの戦争の今までの結果を見ればそう思っちまうよ」

「信じるってことはできないわけ?」

「馬鹿野郎。俺はおめぇなんかより、ずっとあの人のこと知ってんだよ。あの人は死に対しての恐怖感じゃあ、誰にも負けてなかった。あの人は、死ぬことに美学なんて持ってねぇ。だから無駄死になんてしねぇはずだ」

 猿騎士は、その能力に自ら合わせているのかと思うほど、普段の口調も態度も軽快だ。実に軽い。

 だからこそ今、そんな猿騎士が完全に落ち着いたトーンで、しかも落ち着いて物を言っていることに、獅騎士は言葉を返せなかった。ギャップというものにやられたのだ。

「生きる執着とか、そんなんじゃあねぇけどよ。あの人は死を恐れてる。死を恐れてる奴は、生きることに関して最善の手を打とうとする。だから無理な戦いはしねぇし、無理に押し勝とうともしねぇ。だから、早々は死なねぇはずだ。が、もしも逃げられねぇほどの実力差があったとき、そんときは……」

 猿騎士が言葉を噛み砕いたそのとき、獅騎士は近くにあった木に拳を叩きつけ、一撃でへし折った。単純な力なら犬騎士に劣るが、攻撃力なら彼女の方が上だ。

「言いたいことはわかった……だけどそれでも、私は信じてる! 私は、あの人が帰ってくるって! 私達はそれまで死なない! 死んじゃいけないんだ!」

 十字騎士獣士の一人とはいえ、獅騎士もまだ一八の子供。信じたくないものは信じたくないし、受け入れ難いものは受け入れ難い。

 そんな、一種の我儘も混じった発現に、猿騎士は鼻で笑った。だがすぐに、いつもの軽快な笑い方を取り戻す。

「キッキッキ。ま、結局状況はなるようになる。今はを支えていくことに集中するしかねぇなぁ」

「ってか、支えとかいるの? あの人に」

 同日、夕刻。

 鷲騎士しゅきしは自宅の私室にいた。貴族の家柄のために家は大きな別荘。そしてそこの次期当主の地位が約束されているために、鷲騎士は貴族の仕事も済ませなければならなかった。

「若様――」

 家では、若様と呼ばれる。すでに歳も三〇代、若様と呼ばれるのも歯がゆくなってきた頃合いだったが、何も言わない。

「若様に来客ですが、いかがいたしますか?」

「……あぁ、その人なら約束しています。通してください」

 時計を一瞥し、鷲騎士は開いていた本を閉じる。残りわずかの記述を終えると同時、来客は現れた。梟騎士きょうきしだ。

「仕事は片付いたのか?」

「今調度……何か飲まれますか」

「いや、いい。少し話をしたいだけだからな」

 鎧を脱ぎ去った梟騎士は、とても細身で弱弱しく見える体をしている。これで現在の純騎士不在の今、女性最強の騎士だとは思えない体だ。

 逆に言えば、実に女性的で魅力的とも言えるが、彼女にとってそれは侮辱に繋がると、騎士達は決して口にしない。最も今目の前にしている鷲騎士には、その考えすらないように見える。

「話とは、純騎士のことですか」

「あぁ。団長に頼んで、今回の戦争の参加者をできる限り調べてもらった」

「で、結果は?」

「わかったのは二人。煉獄の魔天使まてんしに、ヴォイの骸皇帝がいこうてい

 二人の名前を聞いて、鷲騎士は眼鏡を拭いていた指が一瞬止まる。梟騎士に一瞥をくれると、深い吐息をついて背もたれに深く寄り掛かった。

「また、面倒な方が選ばれましたね。煉獄の魔天使ならまだしも、ヴォイの皇帝とは……現状、地上で最強の魔術師です。勝ち目は酷く薄い」

「薄いどころかないだろうな。魔術戦になれば、あいつはまるで才能がない。よくもまぁあの魔術を会得できたものだと、今でも奇跡に思えて仕方ないくらいだ」

「否定はしません。ヴォイの皇帝なら、確実に自分の土俵で戦ってくる。わざわざ純騎士の土俵である、剣術では来ないでしょう。まぁ、勝機を狙えるかもしれませんがね」

「まぁ確かに、奴が勝つとしたらあの魔術しかあるまい。発動条件が整えば、だが」

「どちらにせよ、厳しい戦いとなるのは必至。犬騎士や獅騎士は彼女の勝利を信じていますが、さてどうなるか……」

「無駄な希望を見せて、最悪の事態で士気を下げるわけにはいかん。現実を見せておけ」

「それは、次期副団長のあなたの役目なのでは? 梟騎士。いえ、十一代目純騎士殿」

 そう返すと、梟騎士にしては珍しく微笑みを浮かべた。鋭い刃が時折見せる、美しさと言うものか。生憎と、純騎士十代目にはない妖艶な魅力だ。

「残念だが、その称号は今回譲ることにした。団長から、次期団長にどうだという話を貰っていてな。本来は純騎士が貰う話だったというのが屈辱ではあるが、貰えるものは貰っておこうと思った次第だ」

「なるほど。そうですか。では、次期純騎士の名は誰に? 犬騎士か獅騎士ですか?」

「いや、あいつらでは、純騎士の重圧に耐えられないだろう。すでに純騎士という存在を理解している者では、矯正するのが難しい。私が団長としてやっていく中で、衝突も考えられる」

「では、誰に?」

「敢えて、純騎士という存在を宙に浮く存在として見ているあいつにする。奴はまだ若い。現実を知っていく中で教えていけば、純騎士の名を継ぐ理由とその存在の強さに気付くだろう」

 夕刻に沈んでいく橙色の日を見つめながら、まだ幼き燕騎士えんきしは涙する。

 彼女のいるのは国の門の一角。王国を取り囲む外壁に付けられた四つの門。王国に入るには、その門を開けるしかない。

 もしも純騎士が帰って来たとき、一番に気付いて門を開けてあげたい。そう思ってこの休養期間ずっと門の側にいる彼女は、目に涙を溜めていた。

 皆が言うからだ。

 純騎士は帰ってこない。誰も帰ってくるなど思ってない。諦めろ、おまえのしていることは無駄だと。

 まだ一五歳の少女には、重く圧し掛かる言葉。来ればまた来たのですかと言われ、もはや呆れられている毎日。

 何故誰も純騎士の生還を信じていないのか、何故誰もが諦めてしまっているのか、彼女のことを神格化すらしている燕騎士には、理解しがたい考え方だった。

 夕刻になると思い出す。初めて純騎士の姿を見た日を。

 それは凱旋。敵の王の首を取り、凱旋したエタリアの騎士団。

 橙色の夕日に照らされて、体に浴びた返り血を輝かせる騎士達の姿は勇ましいものだったが、同時に恐ろしいものだったと当時の燕騎士は見ていた。

 だがその中で、とても美しく凛とした、それでいてとても優しげのある女騎士がいた。彼女はとても疲れ切った顔をしていたが、しかしとても優しい微笑みで民の祝福を受け入れていた。

 当時まだ入団したてで、純騎士の名も冠していなかった当時の彼女に、燕騎士は惚れ込んだ。

 彼女に憧れて臆病という弱点を持ったまま騎士の道を目指し、見事合格。たゆまぬ鍛錬によって燕の名を貰い受け、憧れの騎士の元で戦うことができた。

 なのに、あの人は行ってしまった。

 だから待つ。あの人こそが、あの人だけが理想の騎士。自分もいつかあの人のように、優しく笑うことのできる騎士になるのだと、心に誓ったのだから。

 だから、みんなが待っていなくても、私が待っているから、帰って来てほしい。

「純騎士様……」

 夕刻が沈む。今日も、純騎士は帰ってこない。

 零れ落ちる涙を拭い、トボトボと家に変えるのは、後に十一代目純騎士の称号を得ることとなる、まだ幼き燕の騎士だった。

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