騎士の大罪

 それは愚かなる騎士の大罪。

 行いはまるで愚行。考えはまるで愚考。その存在そのものが愚かしく、すべての思考が愚計と映る。

 愚直過ぎる愚忠によってその身を滅ぼし、自らの幸せを棄てた騎士。そんな人が、自身の先代にいることを、純騎士じゅんきしは誇らしく思っていた時期もあった。

 その人のことを知ったのは、まだ幼い頃。まだ兄が、エタリア騎士団に入団するよりずっと前のこと。まだ両親も存命していた頃だから、昔の話だ。

――お兄様、この像はどなたなのですか?

――ん? あぁ……

 少女が指差したのは、背中に大剣を背負いながらも一本の聖剣を掲げる女性の石像。そこには無論、石像の作者とモデルとなった人物の名前が刻まれているのだが、この頃の少女にはまだ読めなかった。

――二代目純騎士。エタリアの歴史上、もっとも悲運な人生を遂げたとされる女騎士だ

――悲運……?

――可哀想、という意味だな

 その悲運な人生を、そのとき兄は教えてくれたなかった。しかしそれから数年後、文字の読み書きを会得した少女は、その二代目の悲運な人生を知る。

 二代目純騎士。初代の影響を最も受けたが故に、最も悲運な人生を遂げた女騎士。

 そもそも純騎士の名は、初代がとある大戦の中で名乗った名。純騎士のは純粋、純情、純潔の三つを現わし、穢れなき心と体、そして人間性を表す。

 事実、初代の心はあらゆる魔術による汚染を受けず、体は毒も受けず、何者からの汚染も覆し、さらに無効化すらした。

 その美しい心と美貌で人々の羨望を束ね、逸話によると十か国以上の王や王子から求婚されたが、初代は貧しい家の青年だけを愛し、一生を添い遂げた。

 その人間性は嫌うものがおらず、夫が他の女に夢中になってしまった女ですら、それが初代ならば嫉妬するどころか納得してしまったらしい。

 彼女には一切の汚点がなく、弱点もない。エタリア騎士団の歴史およそ百年の中、すべての騎士の中で最強と謳われることすらある騎士。

 そんな最強の初代に託された、二代目純騎士。その悲運は、託されたことから始まった。

 まず必然だったのは、初代との格差。

 初代の人望、実力、すべてが優れてしまっていたが故に、それよりも劣る二代目は周囲から実に頼りなく映ってしまった。

 無論二代目だって実力はあるし、人望だって持っている人間。しかし周囲よりも優れている能力も、先代が群を抜いていたためにまるで優れているように映らず、劣っていると見られてしまう。

 だが二代目は、決して悲観しなかった。皮肉にも、初代が彼女を二代目に選ぶだけ、彼女は純騎士の名を継ぐに相応しい人間だったのである。

 彼女は純粋だった。

 人の言葉を素直に真摯に受け止め、それを改善しようと努力する。実力が足りないと言われて鍛錬の数を増やし、人望が薄いと言われて人との付き合いを増やす。そんな人間だった。

 彼女は純情だった。

 彼女はたった一人の幼馴染の騎士を愛した。彼と将来を約束し、二人三脚で頑張っていくことを約束していた。どんな約束よりも、彼との約束を守る。そんな人間だった。

 故に彼女は純潔だった。

 彼以外の誰とも性的な関係を持たず、彼にだけ心と体を許した。そんな彼女に愛されていることに、彼も誇りを持っていた。彼は彼女に、彼女は彼に永遠の愛を誓っていた。

 だが、それ故に破綻した。

 彼女は純粋だったが故に、誰よりも機械的で人形的になってしまった。人の言うことをなんの疑いもせず聞くが故に、彼女は誰よりも人間性を失ってしまった。

 彼女は純情だったが故に、誰よりも彼だけを愛してしまった。彼が苦しめばその障害を取り除くため、彼が呻けばその苦痛を取り除くため、彼女は誰よりも感情を欠いてしまった。

 彼女は純潔だったために、彼以外の人間を忘却してしまった。故に次第に人との付き合い方を忘れ、触れ合うことを恐れ、誰よりも人の心を失くしてしまった。

 すべては初代との格差故。その格差を埋めようと、奮闘したが故である。

 彼女は就任してからわずか一年と二ヶ月の間に、国民の過度の期待と重圧によって、自分を棄てて他人のために戦う一種の暴力装置と化してしまった。

 自分の心で他を殺さず、自分の感情で他を許さず、自分の意思で他を傷付けなかった。

 すべては民のため、誰かのため、何より大切な彼のため。彼女は自らの人生におけるすべての幸せを棄てて、国のために戦った。

 故にその行いは愚行。考えは愚考。その存在そのものが愚かしく、すべての愚考が愚計と映る。

 とある戦争の最中、二代目に首を刎ねられることとなる軍師が遺した言葉である。

 その言葉通り、その後の二代目の言動に真意を見られなくなった国民は、彼女を人として見れなくなってしまった。誰も人間ではない彼女について行けず、彼女を見捨ててしまった。

 彼女を愛していた彼も、次第に彼女についていけなくなり、最後には別の女へと乗り換えて去ってしまった。彼は純情でなければ、純粋でも純潔でもなかったからだ。

 だが彼女は変わらず、人形であり続けた。人々を障害から護る暴力装置であり続けた。自己の幸せを棄ててその一切を他人の幸せのためだけに費やすことは、その他から見て愚かと映る。

 故に彼女は愚かな存在として、愚かな存在のままで生涯を終えた。

 彼女は現在その功績が認められて人望も回復しているが、それは死後の話。生前の――彼女が純騎士となってから死するまでの間、彼女に人望などなく、哀れみ悲観する者ばかりだったことだろうことは想像に難くない。

 兄は何も語らなかったが、一度だけ二代目について語ったことがある。

――純騎士の称号を継いだ騎士には、死後その代名詞となる二つ名が与えられる。初代は、次代の騎士団の基盤を創り上げたとして“黎明”。そして二代目は、その悲運を嘆いてか、実績とは関わらず……“慟哭”


――今までも、初代と二代目を除く七人の純騎士が皆、二代目と似た末路を迎えそうになって、そのまえに自ら退いている。戦死した九代目も、直に退官しただろう。おまえもその運命を背負っている


――これを呪いと言うか、運命と言うかは人それぞれだろうが……俺は単なる弱者の連鎖的腐敗としか思ってない。いいか、おまえはいずれ純騎士の名を背負う騎士だ。おまえは腐るな。二代目ではなく、初代を目指せ。いいな、***

 まだ騎士ですらなかった妹に、兄はそう強く言い聞かせた。そのときの眼光が、威圧感が、すべてが強すぎて、鮮明に脳裏に残っていた。

 こうして夢に出て来て純騎士をうなさせて起こし、冷や汗を掻かせるほどに。

「どうした? すげぇ汗だぞ?」

 夜通し武器を作り上げていたのか、未だに燃え続ける焚火の前で胡坐を掻いている魔天使まてんしが問う。

 純騎士はすぐさま額の汗を手の甲で拭い取ると、平静を装って見せた。完全に、見え見えの虚勢なのだが。故に魔天使は見抜く。

「おいおい、無理すんじゃねぇよ」

「無理だなんて――」

 純騎士は言葉を失った。

 それは魔天使がいつの間にか近付いていて、自分の額と純騎士の額に手を当てて熱を測っていたからである。

 さらに言えばその距離が近すぎる。純騎士の本当に鼻の先に、魔天使の胸板がある状態だ。炎を操る魔術師魔天使の高温が、鼻の先で感じられる。

「ちょい低体温症か……? 入り口で寝てたし、さみぃか?」

「あ! あなたは炎を宿しているんですから、基礎体温がそもそも違うではありませんか! あなたが熱いんですっ!」

「馬鹿言うんじゃねぇよ。こちとら人間の体温十年以上測ってたんだ。測り損ねるなんざぁありゃしねぇって。そら、少しこっち来て火に当たれ」

「いいですからっ! 私に構わないでください!」

「いぃや構うね! 構いまくるね! 女見捨てる男なんざぁ、そりゃあ罪人もいいとこだぜ? 俺は窃盗も放火も人殺しもやったが、女だけは捨てたこたぁねぇのよ。そこに関してはもう潔癖だね!」

「窃盗に放火って……やっぱりあなた罪人ではないですか!」

 魔天使はムッとなる。だが諦める様子はなく、頭を掻きながら続けた。

「そりゃあ天使時代に色々やったさ、記憶ねぇけど。戦争に投下されちゃあ戦う、勝って国を焼く。俺は心のない時代、そりゃあ色々やっただろうよ。それは認める。だがな? 戦争にでりゃあ人を殺す。これは避けて通れねぇ人間の罪だろ? 俺だけが特別じゃねぇ」

「それは……そうですが……」

「だろ? 言いたくねぇが、てめぇもエタリアで騎士やってんだ。国を攻め落とそうとした敵兵を、殺した経験くらいあるはずだ。国に命令されて、国のために戦った。それはどの国の戦士だって同じなんだぜ? 俺だけ特別じゃねぇのよ」

「……それは、屁理屈です」

 純騎士が、深く俯く。傷付けていることを察している魔天使だったが、しかし諦めない。それは身の潔白を証明するためか、それとも――

「そうさ、俺が言ってんのは屁理屈だ。だがその屁理屈はみんな使ってるぜ。国のためなら、それが敵なら誰でも殺して構わねぇって。おまえ、そんな奴なのか?」

「そんな! こと……」

 顔を上げて、反論しそうな勢いだった純騎士だったが、しかし意気消沈すると共にまた俯いてしまった。彼女の頭の中では今、必死に脳内処理が行われている。

 魔天使の言う通り、自分は三度の戦争に出た。そこで自分の部隊である十字騎士獣士を統率し、自ら先陣を切って出た。

 多くの敵兵を殺し、そして王の首も取った。浴びた血の量、熱、異臭。すべてが脳裏に刻まれている。戦争の後は、必ずフラッシュバックが起こり悪夢を見る。

 そう、魔天使と同じく、自身もまた多くの人を殺した咎人。罪人。いや、もしかしたら天使よりもその罪は重く、深い。

 騎士の大罪は、常に人を殺すことでしかその栄光を保てず、美談として語れないこと。

 その罪深さに身を焦がされ、焼け死ぬ騎士は少なくないどころか多すぎる。

 騎士の殺しは殺戮であってはならないという掟を、いかに順守しつつ人間を殺し、国を守るか。騎士に求められるのは、実際に実力ではなく心の強さだ。

 その面では、初代は強すぎた。自ら純騎士の名を名乗り、背負った彼女の精神は、強靭という例え以外にない。

 その強靭な精神力を模範として純騎士の名を背負ってしまったからこそ、二代目から九代目までの純騎士は心が折れそうになって来た。初代と同等以上の強靭な精神力など、この世にはないと悟ってしまうほどに。

 そしてそれは彼女――たった今その心が折れかけている純騎士もまた同じ。

「おい、おいって」

 魔天使に呼ばれ、意識を現実に取り戻す。気が付くと自分はすでに焚火の側に座らされていて、昨晩狩った獣の皮を被せられていた。

「獣臭は我慢しろ? とりあえず暖を取れ、あったまれ。本当はなんかあったけぇ汁物とか飲むといいんだけどよ、生憎水も受け皿もねぇからよ。料理の知恵はあるんだが……」

 そう言って、魔天使はあたふたし始めた。とにかく純騎士に暖を取らせようと、あれこれ考えている。純騎士は構うなと言いたかったが、それよりもまえに魔天使が続けた。

「情けでも施しでも、受けられるものは受けるべきだ。俺も昔、そのお陰で命を拾った。そのお陰で、俺はあいつと家庭ってのを持てた。子供もいなかったし、たった十年だけだけれどよ。それでも、幸せだったんだよ」

 魔天使は獣の皮の一端を燃やし、焚火にくべる。そして残っていた骨付き肉を、丁寧に炙り始めた。性格に似合わないことをしているため、えらくしんどそうだ。

「俺達戦士の罪はおめぇ。味方のために、敵とはいえ、人の命殺さなきゃいけねぇことだ。だがよ、それが後々てめぇのために――てめぇが守りたい誰かのためになったってんなら、そらぁ戦った意味もあるってもんだが」

「……誰かのためでは、繰り返すばかりです。誰かのため、だけではまた……」

 魔天使は当然、歴代純騎士が繰り返してきた因縁を知らない。故にたった今純騎士が呟いた言葉の意味を理解できるはずもなく、純騎士が何を思いつめているのかも知る由はない。

 だが何かを察したか、魔天使は自らの手に炎を宿し、高火力で一気に肉を炙ると、肉汁滴る獣の肉を純騎士に手渡した。喰えということなのは、純騎士でもわかる。

「おめぇ、歳はいくつだ」

「……二〇、ですが」

「俺ら天使はな。人間の時で考えれば十年に一度歳を取る計算さ。俺も、かなりの時間生きたらしいが、守りたいだなんて思えた奴は、たった一人よ。何百年、千年生きたってそうなんだ。たかが二〇年生きた程度で見つかる方が奇跡だぜ」


「気負うことはねぇ。てめぇはその八〇数年の命の中で、そういう存在を見つければいい」

「……それでは遅いですよ」

「遅くなんてねぇよ。何を焦ることがある。今までが、周りがどんだけ速くたって、それがいいわけじゃねぇ。それだけがやり方じゃねぇ。てめぇの罪を清算する方法は、それだけじゃねぇはずだ。だから焦るなって。おめぇなんて、まだ二〇年ぽっち生きただけじゃねぇか。まだまだこれからだぜ」

「……私は、あなたの敵ですよ? いずれ戦い、どちらかが死ぬ運命です。敵を励ましてどうするのですか」

 ここまで来て、自身を敵とみなしている純騎士に、もはや称賛すらしそうな魔天使。呆れ笑顔を浮かべつつ、自身の食べる肉をサッと焼くと、肉汁を撒き散らしながら頬張り始めた。

「おまえがあんとき、素直に玉座いすの場所教えりゃあ、おまえも死なずに済んだんだがなぁ……」

「な、なんですか……」

 何か言いたげの魔天使。しかしその言葉を肉と共に咀嚼し、呑み込んだ。そしてまた、浮かべるのは呆れた風な笑顔。

「騎士の罪って奴が、消えることはねぇだろう。俺も、俺がしたことが消えるなんて思っちゃいねぇ。俺達のこれは、一生付き合ってかなきゃいけねぇもんだ。おまえ、そのままじゃ……」

「ですから、大きなお世話だと言っているんです。よく喋る方ですね」

「まぁな」

 そりゃあおめぇ、放っておけねぇだろ。これじゃあ誰かの二の舞になるからよ。

 たった一人。たった一人の女騎士を愛して、その罪と一緒に戦うことを選んで自爆した、あの野郎のな。

 てめぇが好きそうな女がよ、てめぇの好きだった女と似て、てめぇの罪で潰されそうになってやがる。てめぇだったらよ、放っておかねぇだろ?

 なぁ、銃天使てめぇよ。

 だがまぁ俺は、てめぇみてぇには付き合えねぇ。この騎士が、騎士の大罪っていうのにどう付き合っていくか。その結末、もしくは末路には、興味はあるけれどな?

 生憎と俺は、そんなに長く付き合えねぇ。こいつが早々に付き合い方を決めてくれることを、祈ってるよ。

 なんせ俺はもう、先は長くねぇからな。

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