狂気無双

 時は同時刻――四人の参加者が同じ場所に集結し、うち二人の戦いが激化した頃。

 場所は変わって、次元と次元の狭間にある名もない監獄。

 六つの階層に分かれるこの地獄の中で、最近一番の被害を受けた異修羅いしゅら釈放後の第四層、修羅の間。

 釈放と同時に暴れた異修羅によってぶちまけられた看守や他の囚人の血肉と臓物が、わざわざ第三層から呼び出した異次元の魔獣達によって処理されていた。

 辛うじて生き残った看守達が、そのおぞましい光景を見ながら自身の中の消化物を吐き出すまいと必死に堪える。

 死と恐怖が隣り合わせのこの監獄だが、それでも砕け散った血肉や臓物が粘着質な咀嚼音を立てて食われているのは、おぞましい光景に違いなかった。

 そして彼らの記憶は、異修羅が大暴れしていたごく最近まで遡る。魔術を解放されたと同時に暴れ出し、五日間続いた災害のような時間。

 天界からの招集により唐突に終わったそれを思い出すと、九死に一生を得た喜びとあと少し暴れていたら死んでいたという事実での恐怖とで、適当なのか不適なのかよくわからない笑みが浮かぶ。

 それを思い出し、彼らは休憩時間によく語っていた。

「異修羅がいなくなって、修羅の間も随分落ち着いたな」

「だな。四六時中無限に戦える上に、無限に武器を召喚できるなんてどんな化け物だよって話だぜ」

「兄貴の剛修羅ごうしゅらも相当な化け物だったが、あれは別格だったよな」

「しかし、兄弟そろって戦争に参加するなんてことあるのか? 監獄ここから参加者に選ばれた奴が釈放されるのは恒例って聞いてるけど……」

「それだけ奴らの種族は、世界に有害ってことさ」

 若い看守達の話に入ってきたのは、わずかに髭が残った顎を撫でる中年の男。

 長年この修羅の間の看守を務め、現在は修羅の間の看守長である彼。腰に差した和国の名刀一本で、絶えず戦い続ける猛者共の相手をし続けて来た強者だ。

 冠する名を、醜監視しゅうかんし

 名の由来は、彼には目がないからだ。生まれつき、彼には目がない。眼球どころか、それがはまる空洞すらない。

 邪神かそれとも悪魔の仕業か、彼は瞳を持つことなく生まれて来た。その代わりに大きく成長した鼻と耳。そして高身長にしては細すぎる体。

 異修羅のような異業種でなければ、龍道院りゅうどういんのような混血でもない。ただ目がないというだけであり、そのない部分を補うために成長した姿が、世の中でも醜いとされたからこの名がついた。

 故に彼は、絶えず目を布で覆っている。醜いと呼ばれることを決して嫌っている様子は見せないし、むしろ喜んでいるかのように狂気に身を寄せる彼だが、目のある個所を伏せていることが何よりの証拠と言えた。

 そんな彼は比較的、コミュニケーション能力が高い人間だ。

 視界がないというハンデをものともせず、こうして若い看守ともよく話す。若い彼らにとっても怖い上司ではなく、とても頼りになるよき先輩として映っていた。

 故に彼らは、醜監視のことを看守長や先輩と呼ぶ。同じ階級の同期すら、彼のことは冠された名で呼ばなかった。

 そんな後輩達に、醜監視は悠々と語り聞かせる。

「奴らはベルサスって小国で作られた、人造魔導生物なのさ。一生尽きぬ体力と魔力、そして戦いしか考えられない本能。食事、排泄、睡眠。生活に必要なすべてを不要としてまで戦い続ける生物兵器、それが奴らだ」

「でもベルサスって確か……」

「あぁ、随分前に滅んだ国だ。黄金の帝国、ヴォイとの戦争で千人もの生物兵器を投じたが、骸皇帝がいこうていの操る不死の軍には勝てずに敗北。

 国は壊滅した……が、千人の生物兵器のうち、数体が生き残っていた。それがベルサスの真の最終兵器、修羅シリーズ。それが前回戦争に出た剛修羅と、今回出た異修羅のことだ」

「ってかそうなると、異修羅って今何歳なんだ……?」

「さぁな。人造生物は基本的に寿命が短いと聞くが、はてさて奴らは普通ではないのかもしれん。剛修羅とも何度かやり合ったが、あれが早々に死ぬとは思えなかったしな」

「え……?」

「どうした、何かおかしなこと言ったか?」

「あぁ、いえ」

「なんでもないですよ、ハハ」

「そうか?」

 戦争って確か五〇年に一度だよな……?

 ってことは剛修羅が戦争に出たのは五〇年前……

 監獄の中の時間の流れは、外とはかなり違うけど……それでも相当な年経ってるよな……

 看守長、今いくつなんだ……?

「まぁ、とにかくだ。奴らは一国の最終兵器になるために、無尽蔵の体力と魔力、そして戦うことに疑問を抱かないように闘争本能のみを与えられた。異形の姿もまた、戦うためのものでしかない」

「そう話を訊くと、なんだか可哀想に聞こえますね……」

「あぁ、なんか同情しそう」

「奴はその同情すらわからない。視界に入った生物はすべて敵と認識する上に、戦場がなくなればすぐに次の戦場に移動するからな」

「そういえば異修羅が発見されたのは、ヴォイとの戦争からずっとあとの、別の戦場でしたね。でも、あそこは海を渡らないといけないのにどうやって……」

「なんだ、知らないのか? 奴の体にはもう一つ、特殊な転移魔術が施されている。それは、とある条件下でのみ発動する転移魔術だ」

「その条件って、まさか……」

「異修羅の目の前から戦いがなくなり、また同時に別の戦場があるとき。異修羅はその戦場に強制的に転移する。つまり奴はこの戦争ばかりの世の中で、常に戦場で戦い続ける怪物ってことだ」

 同時刻、神話大戦大陸・アトランティア。

 エタリアの純騎士じゅんきしにドラゴンシスター龍道院りゅうどういん

 堕天の魔天使まてんしに天界の翔弓子しょうきゅうしと四人もの参加者が集う場所で、異修羅の咆哮が轟いていた。

 絶叫の凄まじい音量と振動に、聴力のいい龍道院は思わず耳を塞いでその場にしゃがむ。

 その前で、純騎士は戦争初日での永書記えいしょきとの共闘を思い出していた。

 凄まじい戦闘能力にセンス、そして鉄塊のごとき強靭な体と剛腕では収まらないトン単位の怪力。そして何より、純騎士の人生上レイピアで貫けなかった男だ。

「なんだなんだ? この戦争は女ばっかかと思ったが、ちゃんといるじゃねぇかゴリゴリの男――あ?」

 上空を見上げた魔天使は、光を見る。それは突如出て来た異修羅に向けて神々しい翼を広げる巨槍を向ける翔弓子だった。

「“回避不可能アナッポ・フィクストス”――!!!」

 初日に魔天使を撃った光の巨槍。一日二発が限度の、翔弓子の切り札。

 魔天使と初めて戦ったあのときと同じく、初手から切り札を出してくる翔弓子の頭脳回路には驚くしかない。

 しかし実際、彼女はまだ子供。その場を切り抜けるための最善手を考える力はあっても、までを考える力は乏しい。

 現に今、翔弓子は自身の最大出力がまったく効かない相手に対してどうするか、まったく考えがまとまらなくなってしまった。

「は?! 化け物かよ、あいつ!」

 周囲一帯は焼け野原。地面は抉られ、大気中の酸素が焼かれて呼吸すら苦しいこの状況下。

 魔天使のように元より炎を操る魔術師でなければ、火傷は必至。さらに防御をすり抜ける呪術系統魔術に、敵を認識して追撃することから、まさしく名の通り回避不可能な魔術だろう。

 対処法としては、前回の魔天使のように槍そのものを相殺するしかない。

 しかし今、出て来たばかりの異修羅には現状を理解する時間の途中であり、飛んできた槍に気付いたのは、まさに槍の先が自らの目の前に来ている時。

 すなわち今、異修羅はなんの防御も相殺もすることなく、槍の直撃を受けて尚、直立不動していた。

 それを見た翔弓子はもちろんのこと、威力を知る魔天使も今威力を見た純騎士と龍道院も驚きを禁じ得ない。

 異修羅はそんな驚愕がわかることはなく、ただ自分の身に攻撃が来たということだけを実感していた。

 それが、異修羅のスイッチを押す。

 元より隆々の筋肉がさらに膨れ上がり、異形である六腕それぞれに武器を持つ。灰色の鋭い長髪を逆立てて、龍のそれにも劣らない爆音で咆哮した。

 そして、跳ぶ。

 高さ約七メートル。魔天使を確実に射抜くため、会話を成立させるため、そして魔天使の攻撃を回避できる最短距離。

 翔弓子が選んだギリギリの距離を、魔天使とは比べ物にならないくらいの速度で、しかも軽々とそれを上回るのだろう跳躍力で、異修羅は跳んだ。

 三メートル近い巨体が、一瞬で目の前に現れる。ボーガンという中長距離戦を主体とする武器の使い手である翔弓子に、攻撃の術はない。

 数トン単位の直撃を、翔弓子はとっさに展開した魔力による防御膜で受ける。が、魔天使の真似をして作った即席の防御膜など関係なく、異修羅の腕力は防御膜ごと翔弓子の体を斬り裂いた。

 鎖骨の辺りから股にかけて、一直線に入った切り傷から大量の赤褐色が噴き出す。さらに斬撃の衝撃は翔弓子の体を地面に叩きつけ、百数メートルの距離を転げさせる。

 やっと止まった翔弓子にはまだ息があったが、あくまで辛うじて。小さな体に刻まれた傷は大きく、信じられないくらいの量の血が溢れ出てくる。

 傷が持つ激痛と焦熱にやられ、翔弓子は意識を失った。だが、死んではいない。即席の防御膜によって、致命傷はわずかだが守り切った。

 それを斬った感触でわかったのか、異修羅は着地と同時に翔弓子の方を向いて唸る。そしてあと一歩のところで仕留め損ねた天使にとどめを刺そうと、その一歩を踏み出そうとした。

 だがそのとき、龍道院が飛び出す。

 自身の目の前で子供が斬られたという事実。それをただ傍観していたという自己嫌悪。そして彼を放っておけば今後の世界に関わるという警告。その他一切の脳内命令に背中を押され、異修羅目掛けて走っていた。

 鎌を失ってはいるものの、攻撃手段はまだある。右手に高熱を宿し、溜めて溜めて溜めて――

 ――放つ。

「“妖精殺しの爆炎掌打アキィロス・トゥ・ドラコゥ”!!!」

 全力で繰り出した掌打が異修羅の体にぶつかり、激しい爆炎で包み込む。対象は木っ端微塵に吹き飛び、命を絶つ――はずだった。

「まぁ、だよな……」

 比較的、天使というのは都合のいい解釈をするように作られる。

 それは仮に上の無慈悲な命令で仲間が死んだとしても、勝利のためなら仕方ないだとか、天界のためだからとか思わせ、反乱を起こさないためのシステムである。

 元天使であった魔天使もまた、その頃の名残なのか、比較的物事を楽観的に考える癖がある。

 あの技なら通じるだろう。

 あれなら勝てるだろう。

 自身の力量ももちろん踏まえてだが、それでも比較的勝てないという計算はまずしない。

 だがそんな魔天使でも、翔弓子の一撃を無傷で耐えた異修羅に龍道院の放つ苦し紛れにも近い一撃が効くとも思えなかった。

 今の言葉がその証拠。

 その魔天使の言葉通り、異修羅はまるで平然として爆炎を被せて来た龍道院を一瞥の形で睨む。

 そしておもむろに片腕を持ち上げると、勢いよく龍道院の脳天に叩き落とした。

 異修羅の拳とその拳が持つ剣の柄の先が振り下ろされ、龍道院の頭は跳ねることなく地面に埋まる。

 首と繋がっている胴体は数度痙攣すると、尻尾から順に力を失って動かなくなった。

 死んだ……?

 遠目からではわからない。純騎士は首を傾げる。

 だが異修羅がその頭を殴った腕の剣を捨てて龍道院の頭を掘り起こして持ち上げると、龍道院は土を吐くように咳をした。まだ生きている。

 だが異修羅はさらに二本の腕から武器を落とすと、龍道院の胴体と尻尾を掴む。そして骨が折れ、肉が裂けるのではないかというくらいの力で、思い切り龍道院を引っ張り始めた。

 激痛によって急速に意識を取り戻した龍道院の絶叫が、苦しく響く。だがそれを間近で聞いても、異修羅にやめる気配はない。

 骨が砕けるのが先か、肉が裂けるのが先か。どちらにしたって、龍道院は死ぬだろう。

 だが殺す方法など、異修羅にとってはどうでもいいことだ。敵を殺す。それだけが行動原理であり、行動理念なのだから。方法など、なんでもいい。

 激痛から来る絶叫が、その場を飾る。命を乞う悲しい龍の咆哮が、耳を濡らす。だがそれでも、純騎士は動けなかった。

 今の今まで戦っていた敵が、他の敵に殺されかけている。

 この戦争に参加した時点で、皆が敵だ。全員が絶えず自分の命を狙ってくる敵であり、慈悲など掛けてはならないことは当然である。

 しかし序盤はその覚悟が足りず、永書記に騙される形で組んでしまった。その後の結末は、逃れようもないバッドエンドだったことは間違いないわけで、裁定者さいていしゃには感謝してもしきれないのだが。

 故にもう、騙されるわけにはいかない。慈悲を掛けてはいけない。

 相手が誰だろうと、どんな過去があろうと、どんな経緯で参戦していようとも、自らが手を抜けばその自らが死ぬ。

 そういう戦争に、今参加しているのだから。

 ならばここから離脱するべきではないか。

 相手は前回二人掛かりでも敵わなかった怪物。殺すことなど叶わない。逃げるべきだ。玉座の位置も知っている今、戦う理由がまるでない。

 だがそれでも、足が動かない。

 行こうとしない。

 何故ならそこに、悲鳴があるからだ。

 悲鳴が聞こえる。あろうことか、自分の目の前から。痛みに苦しみ、泣き叫ぶ声がする。その声が、純騎士をその場に留まらせる。

 何故なら、彼女が騎士だから。

 悲鳴を聞けば駆けつけて、悲鳴に応え、その悲鳴を救い出す。そのために剣を振るい、敵を屠り、人を救う。

 それが騎士の本懐。他でもない、世界最強の騎士団が掲げる心得だ。

 すべての人間の悲鳴に応え、救うこと。それが味方ならば、障害を斬き伏せよう。それが敵ならば、せめて楽に死なせてやろう。それが誰でもないのなら、迷うことなく救ってやろう。

 人の善意は、決して悪意を生むことはないのだから。

 きれいごとなのは重々承知。そんなにうまくいかないことも、善意が悪意を生むこともあることももちろん承知。

 だがそれでも、思ってしまう。感じてしまう。なんて素晴らしいんだと、心が動かされる。

 そんな理想を掲げる騎士団だったから、そんな騎士団に兄がいたから、今の純騎士はここにいる――

 ――ならば、迷うことなどないではないか。

「白花の騎士よ、我が剣に光を」

 今までに純騎士の名を冠した歴代の女性騎士に、祈りを捧げる。祈りは純騎士の中に満ちる魔力を磨き上げ、光り輝かせる。

 レイピアに魔力をまとわせて、さらに騎士団有数の騎士の力を乗算する。

 騎士団でも怪力だった犬騎士けんきしの怪力の三割。

 騎士団の最高攻撃力である獅騎士しきしの攻撃力三割。

 そして、騎士団でも二番目の速度があった馬騎士ばきしの速力三割。

 それらの力を、騎士団でも指折りの攻撃力と、騎士団最速の自身に乗算。事実、最高攻撃力で放つ攻撃だ。

 もしこれが効かなかったなら、純騎士の攻撃はすべて効かないことになる。故に賭けだ。

「確か、名前は……」

 以前遭遇したとき、永書記が言っていた彼の名前。それを思い出し、肺を大きく膨らませて、そして思い切り踏み込んだ。

「異修羅ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 闘争本能しか持たない異修羅でも、自分の名前くらいは頭のほんの片隅にでもあるのか、名前を叫ばれて反応する。

 そして、凄まじい速度で肉薄してくる純騎士を見て龍道院を投げ捨て、三本の腕を振るって対抗した。

 剣撃と斬撃が衝突し、耳鳴りを誘発するような爆発音にも似た衝突音を鳴り響かせる。

 それと同時、最高速度で突進していった純騎士の体が空高く宙を舞い、そして、背中から着地したあと、動かなかった。

  

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