集結

「おぉおぉ、やってるやってる。こりゃ祭りだなぁ、まるで。収穫祭を思い出すぜ」

 収穫祭なんて比べ物にならない激戦によって上がる粉塵や爆炎を見下ろして、魔天使まてんしは笑う。

 翔弓子しょうきゅうしとの戦いから三日経つが、彼は未だに彼女と戦った山脈から降りていなかった。むしろその天辺まで登り、山に住む魔獣の肉を喰らいながら傷を癒していた。

 途中、何度か過去を夢見たせいで夢見が悪いが、特別気分までは悪くない。むしろ今は、遠くで巻き起こっている激戦の戦火を見ることができて、ご機嫌である。

 そして魔天使は今、もしかしたらこの戦争ゲームを左右するかもしれない選択をしようとしていた。

 見られる戦火と感じられる魔力から、現在の戦場は三つ。

 一つは余裕で視認できる巨山が落下した場所。そもそもその落下した衝撃と轟音で跳ね起きたわけなのだが、あれには正直驚いた。

 何せつい昨日最後に見たときはそこにあった山丸ごとがそのまんま引っ繰り返って、今はもういつ崩壊するかわからない状態で聳えているのだから驚くしかない。

 おそらく戦闘そのものは終わっただろうが、相当の激戦だったと予想できる。となれば勝者は――例え決着が着いてなくても両者疲弊しているはずだ。

 ならば今こそ首を狩る好機と言える。距離もそこまで遠くない。逃がすことはないだろう。

 だがもし、この所業を楽々やるような魔術師だったなら、話は別だ。

 そんな化け物を相手にするのは面倒だし、気が引ける。まぁこちらも、人間になり切れない怪物ではあるが。

 まぁわざわざ狩りに行ったのに逆に狩られてしまっては意味がない。こちらは戦いたいのではなく、勝ちたいのだから、そこら辺の動機はしっかりしておかないと。

 まぁ、今のところかなりの好奇心で戦況を見ているのだが、それも一応は勝利のためだ。

 ただ勝利を目指す。そんな機械的な勝ち方はもう飽きた。これからは、楽しんで勝つのだ。人生楽しんだ者勝ちだと、あいつの親父も言っていた。これからは、そういう勝ち方をするのだ。

 と、いけない。危うく勢いで決めかけた。他にも戦場はあるのだ、まだ悩もう。

 二つ目は何やらとても静かな場所。最初に挙げた巨山が落ちた戦場を、真正面に見ることができる場所だ。

 何やら高度な魔術結界が張られているようで、戦場はその中のようだが――というかまず、結界魔術自体が高度な魔術なので、この結界は最上級と言えるだろう――この結界を破るのは難しい。

 おそらくこの結界を破るために魔力を消耗し、乱入する頃にはヘロヘロだろう。それでは意味がない。何度も言うが、負けるために行くのではないのだ。

 ということでここはパス。そもそも戦えないのでは、話にならない。

 さて、となると三番目。ここが一番楽しそうで勝てそうだ。

 何より立ち上る爆炎。煌炎こうえんと呼んでも過大ではない美しい炎。同じ炎の使い手としては、無視できない相手だろう。

 立ち上っているということは、相手は空にいるということか。ならば相手は翔弓子か。そこが少し面倒だが、だがあの煌炎の使い手に会えるのなら、まだその面倒も軽く見える。

 少し距離が遠いのも面倒だが――

 大陸の面積は、記述されている神話通りならばとある大国のおよそ二倍。実際の数字にすると、一四三九万五五〇〇キロ平方メートルというなんとも想像することすら怠惰しそうなものなのだが。

 だが元天使からしてみれば、この大陸もまた星という規模で見れば極小の地面に過ぎない。翼があった頃ならば、この程度の距離を飛行するのに最速を出せばおよそ一時間弱というところだ。

 これでも天界にいた頃はとある天使と最速を競っていたのだ。故に数少ない自慢である。生憎と、自慢する相手が今はいないのだが、それはいいとして。

 さて、大陸の端から端まで移動するのに、翼があれば一時間弱。

 ならば今、ここから炎巻き起こる戦場までとすれば、どれだけの時間を要するか。計算はいらない。勘でわかる。

 大体五分だ。

 遠いとは言ったが、それは他と比較すればで、実際はそんなものだ。ここから五分でそこに着く。

 そんな移動手段があるのなら、大陸にある玉座なんてすぐに見つかるだろうと言う人間がいるかもしれないが、生憎と今は翼がないのだ。

 翼がない自分が今飛ぶには、引き金を引かれた銃弾のように自身を撃ち出すしか手段がない。つまりは直線でしか飛べず、途中停止することもできない。

 しかもこれには一々準備がいるわけで、その最中に獣やら敵に襲われると面倒極まりないのだ。だからやりたくない、基本的には。

 だが移動先が直線状にあって、途中で止まる必要もない。そしてその移動先に面白いことがあるのなら、話は別ウェルカムだ。場合によってはケースバイケース、とも言う。

 好奇心だけで戦場を選ぶなと自らに念押ししたはずだが、結局はこうだ。興味関心が勝ってしまう。

 だがこれこそ、生物らしい。知恵の実を口にした原初の夫婦のその子孫。そんな感じがするではないか。

 機械仕掛けの思考回路しか与えられていなかった頃では、得られなかった充足感。俺は生きているのだと、実感できる感覚。俺はこの星に生まれた生物の一個人なのだと、考えられる思春期的思考。

 いい、実に。俺は、今

「待ってろよ? 今、行くからな……」

 先ほど、この移動手段を銃で例えたが、用意した術式はもっと原始的な弓やパチンコ、もしくは翔弓子の武器でもあるボーガンに近い。

 魔天使の背中には今、炎で編んだ糸が繋がっており、糸の先は頂上に聳えていた岩にくくり付けている。弾丸である自分は後退しながら大きく糸を引っ張り、糸が完全に張られた状態でとどまっている。

 あとは足を離すだけだ。

 一見原始的だが、これが意外と飛ぶ。まぁ無論、これだけではないのだが。

 軽く跳ねながら、後方に身を引く。糸は強く引き絞られ、キリキリと音を立てて燃え上がる。

 限界まで身を引いて、糸が切れるか否かと言う音を立てたとき、魔天使は足を離した。

 留め金を失ったボーガンは、魔天使という矢を大気を裂いて放つ。撃ち出された弾丸である魔天使は、さらに自ら背から炎を放ち、ブースターをかけて豪速で飛んだ。

 その姿はまるで――いや事実、炎の翼を持った天使のようだった。

 赤が混じった白髪には灰を被り、鋭い眼光を放つ黒の双眸は獲物を見つけて光る。ちゃんと切っていない爪は鋭利で、笑うと剥きだす八重歯は文字通り犬のように鋭い犬歯。

 こうして語るとまるで悪魔のような姿だが、しかしそれでも彼を天使だと感じるのは、彼から溢れ出る炎もまた、神々しく輝き燃える煌炎であるからだろう。

 少女が擦ったマッチの灯火と同じくらい儚く、しかし美しい炎は、軌道線上に白煙を残していく。

 体を回転させながら戦場へと突っ込んだ魔天使は、まさしく弾丸のごとく巻き上がっていた炎と光の壁を突き破って戦場に立った。

 戦っていたのは、予想通り翔弓子。そして、黒の修道服に身を包んだ、龍の尾と瞳、そして鱗を持つ見た感じ半人半龍のシスターだった。

「煉獄の魔天使……」

 翔弓子がいたことは予想通りだったが、まさか反応まで予想通りとは思わなかった。

 だがまぁ実際、同じ天使として、機械的な思考をまだ持つ翔弓子の行動パターンがわからなくもなかったが。

「よぉ、おまえ俺を殺すんじゃなかったのかよ、え?」

 実に機械的に、無感情かつ無表情で自分を見下ろしている翔弓子に、わざと挑発的な言葉を投げかける。

 しかしながら、機械的な思考処理を施すよう設定された彼女の脳が命令した次の命令は、彼女に首も傾げさせず嫌悪の眼もさせず、ただ自身の戦いの間に入ってきた最終目標に向けて、ボーガンを向けさせるだけだった。

 無言でただボーガンを突き付けられただけの魔天使は、不適に口角を持ち上げる。

「おいおい、せっかくこっちから来てやったんだぜ? 一言もなしかよ。傷付く――」

 背後から大振りされた鎌を、かがんで避ける。さらに体を回転させた勢いで振られた鎌を垂直に跳んで回避し、その鎌の石突の上に着地した。

「おいおい、血の気の多い女だな。嫌いじゃねぇが、相手は選ばねぇとてめぇが死ぬぜ、ドラゴンシスター」

「あんたも参加者なんでしょ? どっちにしても敵なら、殺しておくべきでしょ!」

「ハハ! だから、相手を選べって!」

 石突に乗った魔天使を振り払って、龍道院りゅうどういんは再び鎌を振る。

 だが魔天使は振るわれた刃に手を乗せると、その刃の上で片手倒立。そのまま態勢を龍道院に向けて倒す。

 倒れて来た魔天使に驚いた龍道院は固まってしまい、そのまま魔天使に股で顔を挟まれて倒され、鎌を取り上げられてしまった。

 必死にもがくが、龍の血を引く力でもビクともしない。魔天使は龍道院の上に乗ったまま、龍道院の鎌を吟味していた。

「ほぉ、こりゃあ上物だな。龍の牙か? 普通の鎌であんな火力をまとえるなんて思っちゃいなかったが、なるほど納得だぜ。てめぇの種族の形見かなんかか?」

「あんたに話す義理ないでしょうが! さっさとどいて! 殺す気がないんなら! んでもって死んで! 私の手で!」

「どけるか、そんな堂々と殺人宣言されて。まぁ、確かに? てめぇはまだ殺さねぇがな」

「ハ……?」

「見たぜ、てめぇの炎。滅茶苦茶綺麗だな」

「!?!?」

「眩しいくらいの熱の中に鋭さがある。おまけに鋭いくせして柔軟だ。

 かつて炎帝なんて呼ばれた龍の炎は、浴びると同時に刃物に触れたみてぇに斬られたなんて言うが、それにかなり近い攻撃的な炎だ。

 炎は熱が命なんて言う馬鹿は多いが、攻撃で語るなら鋭さだろうよ。炎も刀や剣と同じ、熱の刃を見る。

 てめぇのそれは、まさに一級品だ。こんな上物の鎌なんてなくたって、てめぇの炎は真っ二つだろうよ。それこそ、炎帝の鱗すらな」

 龍道院は言葉を失った。絶句ではない、驚愕からだ。

 今まで、龍の姿の一部を持つ自分は忌み嫌われてきた。世界中の国々から追われ、狙われてきた。生きているだけなのに、生きていることが罪だと言わんばかりの刃を向けられてきた。

 その刃を、今まですべて弾いてきた。

 化け物、怪物、悪魔。湧き上がる罵詈雑言を燃やし尽くし、斬り尽くしてきた。

 だから知っている。善意こころのない言葉への対処法も、悪意こころの籠った雑音を吐き捨てる敵の殺し方も。

 でもだからこそ、彼女は知らない。純粋な称賛への接し方を。心の籠った褒詞の受け取り方を。

 自分の目を見て言った彼の称賛と褒詞。どう応えればいいのかがわからない。

 それを悟ったのだろう、魔天使はあぁぁと呟く程度の声で啼く。そしてなんだか申し訳なさそうな顔をして、後頭部を掻き始めた。

「てめぇあれか、そのなりじゃあ人間共に追い回された口だろ。気持ちはわかるぜ。俺も天界から札付けられた身だからな。俺は成人してたからいいが、てめぇは幼かっただろうから、大変だったろうな」

「あ、あんたに、関係ないでしょ?」

「あぁ関係ねぇよ? 関係ねぇとも。だからこれは俺の勝手だ。てめぇに同情するのも俺の勝手。んでもって、てめぇをから護ってやるのも俺の勝手だ。だから、気にすんな」

 突然魔天使が立ち上がったと思えば、上空から放たれた矢を片手で弾き飛ばす。

 傷も残せぬほどの虚弱な矢を飛ばした翔弓子は無表情だったが、なんだか少し不機嫌なようにも見えた。

「不意打ちたぁな。頭が一番利口だと計算したか? あ?」

「……何故」

「ハ? 聞こえねぇよ! んだって?!」

「私を倒しに来たと言いながら、何故他の参加者と戦いもせず談話し、あまつさえ私にずっと背を向けているのですか。いくら計算しても、理にかなっているとは出ませんでしたが」

「……てめぇ、まさか。いやまさかとは思うが……」


「妬いたのか?」

 ずっと無表情だった翔弓子の顔に、遂に表情が現れる。現れたのは、赤面。

 薄い水色の虹彩を縮こませて目を見開き、口はぽかんと開く。頬から鼻を跨いでもう片方の頬を赤く塗り、思考を停止させた。

 すぐさま硬直を解くが、フルフルと首を振って何か言おうと口をせわしなく動かす。しかし舌が回らないようで、なかなか言葉が出てこなかった。

 故に先に、その様子を見た魔天使が笑って言う。

「そうか! てめぇ妬いたのか! 放っておかれると寂しくなるタイプかてめぇ! 可愛い性格してんじゃねぇか!」

「ヴぁ、ばば、ば……かを言わないでください。そんなことはありません。私はそんなこと――」

呂律ろれつが明らか回ってねぇだろうが! やっぱ天使も生き物だぜ、図星突かれて翻弄されるなんてよ!」

「こ、この……あなたはまた私達を侮辱して……!」

「そう感じるか? だが生憎と、そうやって恥じらってそれを隠すために怒って、てめぇもやっぱりただの可愛い女の子だったぜ」

「か、かわ? ……かわ、いい……?!」

「ハ! 昔から女見る目はいいんだ俺は! さっさとてめぇのその機械的な頭ぶっ壊してやるよ! ただの女の子にしてやらぁ!」

 冗談なのか本気なのか。

 だが魔天使の目は本気だ。宿している炎も、煌々と燃え上がっている。

 それに対して、翔弓子は思考が停止している。今さっきまで淡々と、ただ自分がすべき次の行動を計算していた頭は、魔天使の言葉を受けて崩壊しかけている。

 自分でもこんなに脆かったのかと思うほど、彼女の脳内構造は簡潔だった。

 そしてそんな翔弓子に、今まさに攻撃しようと魔天使が跳躍の構えを見せたそのときだった。

「煉獄の、魔天使……?」

「あ?」

 少し離れたところから、声がした。呼ばれた気がした魔天使が振り返ると、そこには一人の女騎士。だがまるで見覚えがなく、彼女が何故自分のことを知っているのかと思えば、可能性は一つしかなかった。

 天界から地上に送られた、魔天使の手配書。彼女が騎士団に通じる者なら、行き渡っていたはずだ。魔天使の討伐命令が。

「まさか、あなたが参戦しているとは……!」

 警戒心を露にした表情で、女騎士はレイピアを抜く。そして魔天使が騎士か天使かで迷ったその一瞬を見て、光線のような速度で突進してきた。

 国のため、あなたには――!

 んだあいつ、速過ぎるだろ?!

 あの騎士、あの鎧に刻まれた国紋は、確か……

「エタ、リア……?」

 魔天使目掛けて突進した、エタリアの純騎士じゅんきし

 彼女の胸部の鎧に刻まれた白花をモチーフとした国紋を目にした龍道院から、激しい煌炎が爆発した。

 

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