Innocent Knight

 書き上げたのは、かつて栄光と名誉を欲しいがままにしたとある帝国の威光。

 かの帝王はこの神によって与えられた光輝によって民を従え、神々によって繁栄を約束された。

 神を除く生物すべてを跪かせ、ひれ伏せさせ、従える。

 “神の後光・王の威光エンピストスィニィ・フォティナ”。

 これで純騎士の戦意を完全に削ぎ、コントロールしてしまおう。

 生憎と光を浴びている間しか効果がないし、一分間照らすだけでも厖大な魔力を消費するので、使いたくはなかったのだが。

 まぁいい。必要となれば、両腕と両脚を斬り捨ててしまえばいいだけのこと。四肢がもがれたところで、殺さなければなんの支障もこちらにはない。

 彼女が後にどう生きようとどう死のうと、こちらには関係のない話だ。

「“神の威光エンピスト”――!」

 文字通り鈍い鈍音と、重い衝撃が左肩にぶつかる。

 見ると自らの左肩の皮が引き裂かれ、肉が剥がれ、骨が砕けて散っている。簡単に言ってしまえば、左肩が一部なくなっていた。

 さながら、小さくとも高速の砲撃に撃ち抜かれたかのように。

「な、ぁ……?!」

 現状の理解が追いつかない。鈍い痛みが、後から脳を痺れさせる。沸騰した血液が流れ出て、寒気を感じる。

 痛い痛い痛い痛い痛い。

 内部の痛みで心を壊した脆い体が、外部からの痛みを受けて初めて悲鳴を上げる。全身を駆け巡る痛みは永書記えいしょきを悶絶させ、魔術の発動を停止させた。

 熱い、痛い、熱い、痛い、熱い熱い熱い、痛い!

 全身を駆け巡る絶句の苦痛と高熱が、永書記の体を硬直させる。その硬直を解くことができず、永書記は困惑した。

 脳内はこの状況をなんとかしろという命令と、非常事態を告げるエマージェンシーコールが鳴り響いている。

 うるさい、うるさい、五月蠅うるさい!

 脳内を駆け巡る電気信号に乗算する形で、自らの体に黙れと命令する。自らの中に沸き起こっている非常事態宣言をも完封し、押さえつけた。

 それと同時、ほんの少しだけ冷静になった頭が、状況の理解を始める。

 貫かれた左肩。

 滴り落ちている血痕。

 そして赤く濡れていたが今払われた純白のレイピア。

 その三つさえ見られれば、理解するのは難しくなかった。なんだこんな簡単なことか、とさえ思う。

「……やってくれましたね! 純騎士じゅんきしさん!」

 永書記を貫いた純騎士が、再び構える。レイピアを持ちながら、その構えはまるで刀を持つそれだったのが印象的だ。

「次は右肩です。それとも他がお望みですか? わかりました。実は額のど真ん中を貫くのが、一番得意なんです」

「隠してましたね……? そんな性格だったとは、知りませんでしたよ! もっと慈悲深い、聖女のような方だと思っていたのに!」

「慈悲の深い聖女が、レイピアなんて人殺しの道具を持ちますか? 敵国の人間を殺す戦争など、参加できますか? 私は自分と、自分の周りの方の命しか大切に思えない、冷たい女ですよ」

「この……!」

 見誤っていた。

 この女、思えばただの騎士ではない。三度の戦争に貢献し、勝利へと導いた崇高なる騎士だ。

 魔術の才能がないと見て油断していた。自分が禁忌の魔術を使えるからと油断していた。すべてはここまで、彼女相手にしていた油断が原因だ。

 だが、それはもうしない。油断なんてしない。全身全霊で捕まえる。四肢をぐだなんて冗談半分だったが、もう本気だ。本気で捥ぐ。

 ことわざにもある、窮鼠猫を嚙むだなんてことはもうさせない。この窮鼠の歯も、腕も脚もすべて落とす。

 そして堕とす。永遠の苦痛と、死と生の狭間へと。

「もう、本気で――」

「二度突き」

 静かに囁かれたその単語の意味を理解するのに、約一二秒ほど要した。だがその一二秒では遅かった。

 彼女の二度の突きに反応し、回避するか防御するかを選択し、それを実行に移すのは。一二秒では遅すぎた。

 彼女の刺突は、二撃でも三秒を切っていたのだから。

 理解必要速度の四分の一の速度で、純騎士は跳躍し、二度突き、着地する。本来魔術師ですらない永書記には、決して見切れない速度だった。

 その速度に反応しきれず、永書記は刺された右胸と左脇腹を見下ろす。ジワリと染み出て来た赤血が体を冷やし、開いた傷口が熱を持つ。

 再び鳴り響いた脳内エマージェンシーコールを、永書記は必死に押さえつけた。

「こ、の……!」

「前に話しましたよね。私が率いた少数精鋭の騎士達の話を。彼らの特徴も、基本魔術も、身体能力も教えました。なら、気付いたはずです」


「私の方が、そんな彼らよりも強く優れているのだと」

 永書記の体に悪寒が走った。

 純騎士に魔術の才能がないことは知っていたし、実際彼女が率いた騎士団のことも、情報としては知っていた。

 彼女達の情報を知っているからこそ、当然のことに気付けなかった。

 純騎士は、その騎士団を団長に続いて束ねてきた実力者なのだということを。

 世界でも指折りにして頂点に立つ騎士の王国の代名詞とも呼べる騎士団の副団長が、普通なはずなかった。彼女はそこらの二流騎士団長の首をも、平気でもって来れる怪物なのだ。

 そんな実力者でありながら、野心を持たず、欲と言えば何一つ今までと変わらない平凡な暮らし。ただ平和に、平凡に、生きていたいだけだなんて。

 まさしく純心。この世界に汚されなかった、稀有の象徴。それが彼女、純騎士だ。

 その彼女が今、大きく体勢を変えた。

 片脚を限界まで前に突き出し、体勢を低くしてレイピアを平行に構える姿勢。明らかな突撃体勢であることは、見てわかる。

 だが今までと違うのは、純騎士の体から魔力を感じることだ。

 微量で、とても希薄ではあるが、確かに魔力だった。彼女の体から、まるで蒸発する水分のように立ち上っている。

 それを見た永書記はすかさず王の威光を発現しようとするが、そこで気付いた。

 ページが、王の威光を記したページが破かれている。

「そんな、一体、いつ……!」

 即座に脳内で行われるフラッシュバック。

 そこには、今喰らった二度突きの前に一瞥したページの記憶。確かに王の威光を記し上げた、文章の並んだページだった。

 ――と、言うことは。

「あの一瞬で?!」

 彼女は三秒の間に跳躍し、二度突き、着地したのではない。跳躍し、二度突き、ページを破り、着地したのだ。

 その証拠に、この裁判所のところどころで燃えている火焔の中で、今さっき破り捨てられたページが煌々と燃えていた。

「バカな……そんな……!」

 純騎士は現在突撃の構え。

 自身の魔術の発動には、最低でも十秒以上はかかる。

 だがそのわずか十秒の間に、純騎士ならば最高で十一は刺してくるだろう。確実に死ぬ数だ。

 つまりはこの段階で、決着していた。それを、永書記は今計算してしまった。敗北に打ち震える巨翼はしおれ、強く握り締めていたペンは音を立てて落ちた。

「ちょ、待って、待ってください……僕は、僕は負けるわけにはいかないんです。王の命を守るため、我が愛する祖国のため……こんな、こんなところで死ぬわけには……!

 そ、そうだ。純騎士さん、取引しましょうよ。一緒に裁定者さいていしゃを倒しましょう。彼ならば、玉座の場所も知っていますよ。えぇ、絶対に。

 大丈夫です僕を信じてください。もう裏切りません。もう何も企みません。あなたの言う通りにしましょう、あなたの勝利のために動きましょう。なんでもしましょう。欺瞞も虚栄も偽りもない。あなたのための魔術師になりましょう」

 あれだけ大口を叩いていたというのに、永書記はまるで三下の雑魚に成り下がってしまったかのようだ。

 涙ながらにこれからの服従を誓い、命を乞おうとしている。

「悪い話ではないですよね。あなたは生きられるんだから。そう、あなたは生きられるんだ! だから、だから一緒に生きましょうよ純騎士さん。僕と、僕とあなたでこの戦争に勝ちましょう、ね?」

「……では、一つだけ問います。真実を持って答えてください」

「は、はいなんでも! なんでもどうぞ!」

「永書記さん……」


「あなたは、そうしてなんでもすると言って命乞いする人間を、私が今まで何人殺してきたか、知っていますか?」

「え……?」

 それは、一瞬の内。刹那などという単位ではまだ遅いとすら感じられる、生物の限界を遥かに超えた速度だった。

 誰にも見えなかっただろう。純騎士の今の突きを。

 突きだとわかるのは、彼女が握り締めているのがレイピアであるからで、見えたからではない。

 目にも留まらぬのではない、目にも入らぬ早業だった。

 その一撃で、永書記の行動が停止する。眉間には大きな空洞ができ、突きの勢いが強すぎて、首が後方に向かってへし折れている。完全に、もう何事も発せない。

 永書記は死んでいた。

 純騎士はレイピアを濡らす血を払い飛ばし、ゆっくりと収める。

 同時に裁定者が作り上げた裁判所は火焔を巻き込んで消え、二人と一つの死体は滝壺へと戻って来た。

「終わったのですか……?」

「いかにも」

 また、唐突に喋った。

 そしてもういつの間にか永書記による拘束はなく、黒馬に乗っていた裁定者が純騎士を見下ろしていた。

「見事だった、エタリアの純騎士。少しすれば、其方に現在の玉座の場所と、次に玉座が現れる場所が開示されるであろう」

「その……殺してしまわない方が、よかったですか、やっぱり」

「……判決は、無期懲役だった。故に牢の中で息絶えようと、知ったことではない。それに私は動けなかった。其方の迅速な処置に感謝する」

「……あなたは、何者なのですか?」

「それは言えぬ。が、これだけは言ってもいい。私は其方の味方ではない。が、敵でもない。其方がこの戦争のルールを犯そうとしたとき、私は其方の首を刎ねるために現れる」

「そう、ですか……」

 なんだか寂しかった。

 彼の実力はおそらく、まだ半分も見られていないのだろうが、それでも、もしこんな人が隣にいてくれたら、これから心強かったのにと思わざるを得ない。

 この三日間、他の誰かといたものだから、まったくもって寂しがりになってしまった。

「では、私は行く」

「はい」

 黒馬の手綱を引き、裁定者が背を向ける。そのまま走り去っていくのだろうと思ったそのとき、裁定者は馬を止めた。

「一つだけ。最後に繰り出した其方の……実に見事で、美しかった」

「え……」

「では、其方がルールを犯さないことを祈る」

 黒馬の手綱を強く引き、裁定者は行ってしまった。

 一瞬で姿が見えなくなってしまった漆黒の首なし騎士の後姿を、純騎士はいつまでも見続けていた。

 さながら、またこの戦争で会う気がするだのと、乙女心を大回転させながら。

 だからこのときはまだ、気付くことも考え付くこともできなかった。

 自らを殺そうとした憐れな男をただ殺しただけという理由のこの殺人が、後のこの戦争を大きく左右するということに。

 一人の参加者が減ったことを感知した参加者達は、純騎士への警戒と好奇心を持ち合わせて、彼女に肉薄してくるのだった。

 

*リザルト:戦争ゲーム三日目*

*脱落者:リブリラの永書記/脱落理由、戦死* 

*勝者:エタリアの純騎士 残り参加者:八名*

 

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