純騎士の実力

 かつて武神と呼ばれた女神に対して、とある王国の人類が謀叛を起こした。

 彼女の参戦によって、その王国が戦争に敗北したのだ。その敗走によって王国は敵国によって搾取され、貧困に陥った。

 それに憤慨した国民は女神討伐のために立ち上がり、近隣諸国も巻き込んで億を超える軍勢で立ち向かった。

 だが女神はそれらを、たった一つの魔術で一蹴した。

 繰り出したのは、億を超える兆の刃。武神と呼ばれる彼女が貯蔵する、無限の剣。武神の名に相応しいその数と一本一本の神聖な光輝は、一瞬で億の軍勢を貫いた。

 まさに一瞬。刹那の内。

 その偉業は今でも語り継がれ、彼女の不敗神話として残っている。その武神の名は生憎と歴史から消去されているが、その偉業に人類は名を付けた。

「“消失されし億軍隊ヴロヒ・オノマゼティ・イレイピオ”。かの武神の偉業を再現するには魔力が足りませんが、この数でも充分にあなた方を倒せるでしょう。そうは思いませんか、純騎士じゅんきしさん」

 永書記えいしょきの背後を中心に、彼の頭上に浮かぶ数億にも及ぶ数の剣。これが神話の一部を体現したものだということを、純騎士は知らない。

 わかっているのは、これだけの剣が一斉に降ってくれば、決して無事では済まないということだった。

 が、彼女の前にこの裁判所を現出するため突き立てた剣を抜いた裁定者さいていしゃが立つ。両手に西洋剣を握り締めた彼は、まるで永書記を見上げているようだった。

「あなたが庇うのですか? 純騎士さんだって違反すれば、断罪するでしょうに」

 彼は答えない。もう紙切れも出さなかった。

 おそらくだが、純騎士を今守ろうとしている理由は今、永書記が言った通りだ。

 現在、戦争のルールを犯そうとしているのが永書記であり、それに巻き込まれようとしているのが純騎士だ。

 故に守るのは純騎士であり、永書記は断罪する。それだけなのだ。彼の意志には、純騎士のことも永書記のこともそれくらいしか感じていないだろう。

 だがそれでも、この首なしの騎士が加勢してくれるのは充分に嬉しい。この状況を打破するには、彼の協力は必須なのだ。

 魔術の素養がない自分は、そうするしかこの場を切り抜ける道はない。

「まぁいいです。どのみちあなたは、いつしか消そうと思っていたところです。ここで消してしまえるなら、幸先がいいというものでしょう」

 すべての刃が魔力を帯びて、小刻みに震える。今か今かと発射の時を待っているすべての刃が、純騎士と裁定者に向けられた。

「さて、では蹂躙です。せめて必死にもがくか、せいぜい踊るように散ってください。でないと、億もの刃を出した意味がありませんので」

 十本。一斉に投射される。

 それがぶつかると魔力が炸裂し、黒煙を立ち上らせる。

 今の一撃で屠れたと思った永書記だったが、その期待はわずか三秒後に裏切られた。

 煙を片手で払い除け、裁定者が健全な姿を現す。

 炸裂の衝撃と衝音によって、永書記には理解が追いつけなかったが今、裁定者は手にしていた二本の剣で、すべての射撃を叩き落としたのだ。魔力による炸裂も、届かない距離で。

 最初と変わらず永書記を見上げている様子の裁定者に、見上げられているのだろう永書記は一瞬真一文字に結んだ口で、嘲笑を向けた。

「さすがにたった十本では、傷一つ付けられませんか……そもそも質より量で勝負するこの魔術で、少数を飛ばしたのが間違いでした。ですので――」

 数は、数百万の単位。

 厖大な数の刃が魔力を帯びて震え、発射されるのを待つ。そして狙いを定めるその最中にも、永書記は次の魔術のだろう記述を筆記していた。

 この魔術で仕留められないと思ったのか――いや、おそらくはこの魔術で仕留められなかった場合の保険だろう。どのような魔術を書いているのかは知らないが、相当な威力なのは見当がつく。

 だが今はこの刃の大群だ。これをどうにかしなければ、生きるなど無理だ。ここを切り抜けなければ、次などない。

「六千万×五〇……約三〇億。“有数にして無数の刃ペリソッテロイ・アポ・イナ・ディセカットミリオ”……原初に降り注いだ武神の雨。とくと喰らって死ぬといいよ。裁定者!」

 震える刃が、次々に投射される。その数は永書記の言った通り、六千万。現実を見れば、その数の刃を防げるはずもない。

 故にこの刃を見た瞬間、純騎士は逃げようとした。一歩、右へ踏み出そうとした。

 そうしなかったのは、目の前に大きな背中があったからだった。黒に覆われた巨大な背中。背後の何かを前方の脅威から護る、漆黒の壁。

 六千万という数を前にしても、臆することなく剣を構えるその姿。まるで永書記が書き記す、神話にも出た英傑のようだ。

 その首なしの英傑は両手を大きく持ち上げると、力強く振り下ろした。

 それが魔力的な何かをまとっていたのか、ただの怪力が呼んだ一撃だったのか、知ることは今のところ叶わない。

 だがその二振りによる一撃は、鼓膜をつんざく衝音と轟音を交わらせ、三〇億の群れに跳びかかる。

 一瞬にして軍勢を呑み込んだその一撃は虚ろに消えると、その場を静寂で包み込む。

 振動によって金属音を立て続けていた三〇億が消えて、その静寂はあまりにも大きく感じる。そう思ったのは純騎士だけでなく、記述していた永書記もまた、その様だった。

 そしてその静寂の中で、裁定者は剣を向ける。次は其方だと、その姿で語っているようだった。

 武神が残した神の逸話。発言できたのは、そのごく一部だ。禁忌の魔術を使おうと、単なる人間である永書記に神の行いをすべて再現するのは不可能だからだ。

 だがだとしても、この現状はあり得ない。

 例えごく一部だとしても、今解き放ったのは神の一撃だ。人間がどうこうできる代物じゃない。

 刃の一本がこの世界で言うところの災害であり、ただの生物はこれに準じて巻き込まれて、死ぬしかないのだ。

 なのにこの目の前の首なし貴族は、たった二本の剣を思い切り振り下ろしただけで発動したエネルギーだけで、三〇億もの災害を同時に消し去ったのだ。

 あり得ない。人間ではない。

 いやそもそも、首がない状態で生きている時点で、彼はもともと人間ではないのだろうが。

 にしたって、単なる生物ではない。この神話大戦大陸に生まれた、新たな怪物の類かそれとも――

「あなたは……もしかして、神なのですか……」

 裁定者は答えない。ただ切っ先を向けたまま、永書記の次を待っているだけだ。

 余裕、と永書記は受ける。

 その余裕に憤った永書記の筆記速度は上昇し、あと十数行というところをわずか数秒で書き上げた。無論、史実と一切の違いない文章を。

 書き上げたのは火焔の神話。炎を司る戦神が、悪魔と呼ばれた種族を三日三晩燃やし続けたという業火。

 その戦神の名はまた知らない。が、記述したいのは火焔そのもの。神の名などどうでもいい。その火焔の名を、その当時の人間はこう名付けた。

「“東の果てから西の果てまで燃えていくバーニング・マン・ティス・コーラス”……! 刃が効かぬのならその体、焼き尽くしましょう!」

 法廷を駆け巡り、火焔が走る。漆黒も焼き尽くす火焔は裁定者を取り囲み、包み込むように襲い掛かった。

 その隙に、永書記は次なる魔術を記述する。あえて短く、記述に時間のかからないものを選んだらしく、先ほどと比べてかなり速かった。

 魔術としても事象としても名のない拘束は、青色の鎖となって裁定者を繋ぐ。だがそれ一本では、怪力の裁定者は止まらない。

 が、一瞬だけ、縛った一瞬だけ止まった。

 その一瞬で永書記は二本目三本目と複数現出し、重ねて裁定者を縛り、繋ぐ。さすがの裁定者でもどうにもできないのか、灼熱の火焔に焼かれながら、全身に力を入れた状態で硬直してしまった。

「あなたは後でにしましょう。面倒です。先に始末しやすい方から……?」

 純騎士が、今さっき裁定者が炎に囲まれているときよりずっと後方に下がっていたことに今気付く。だが決して逃げたわけではなく、レイピアを手に構えていた。

「まさか、僕に抗うと? 純騎士さん、知ってますよ? あなたは魔術の素養がまるでないと。三度出た戦争でも一切魔術を使った形跡がなく、あなたはその剣のみで勝ってきた。まさに騎士……! ですが、禁忌の魔術を使う僕に、あなたの剣など届かない。あなたは僕に触れることも叶わず、僕に利用されるのです。

 さぁ、こちらに来てください。無抵抗で来てくだされば、最後には生かして帰しましょう。まぁ抵抗されないために、利き手と片脚は奪いますが……それで済むのですから、ありがたく思っていただかないと」

「今知りました……あなた、意外とおしゃべりだったのですね」

「それが何か?」

「生憎と、自分より喋る異性は好きではありません。男性は寡黙くらいが調度いいのです」

 そう、そこの首なしの騎士のようにね。

「……だから、それがどうしたって言ってるのですが?!」

 裁定者を縛っている鎖が、高速で伸びてくる。裁定者ですら、火焔に焼かれているとはいえ避けられなかった鎖だ。避けきれるはずもない――

 と思っていた。

 鎖が、木っ端微塵に砕け散る。何事もなく、ただ自壊したように見えた永書記だったが、純騎士のレイピアを持つ腕が、たった今突き刺したのだと言わんばかりに伸びているのを見て思考を変えた。

「あなたに協力しませんよ。何度も殺されるだなんて冗談じゃない。そんな発想が浮かぶ人間に、世界の命運を分ける玉座に座ってほしくないですね」

「っ……ぁ、は?」

「確かにあなたの言う通り、私は生きることにのみ執着して勝利を目指す、言うなればバカ女です――が、誰に勝利させてはいけないか、誰を座らせてしまったら世界が危ういかは見切れますよ。あなたをこのまま勝たせては、例え生き残っても私は今までの暮らしなどできやしない。なので、あなたに抗います」

「……子供ですか、あなた」

「ただ今まで通り生きたいだけです。今の私には、それ以上のことは何も」

「だから譲れと言っているでしょう! その命を利用してあげます! だから差し出してください! 潔く、抵抗なく、その剣を捨ててこちらに来てくださいよ、大人しく!」

「お断りします。あなたよりも、私の方がまだ玉座に座るに相応しい」

 永書記の過度に低くなった沸点を、軽く怒りが越えていく。

 この戦争になんの意識も未練もなく、ただ死にたくないから勝利を目指す彼女よりも、自分の方が天界の玉座は相応しい。

 本能だけが残された頭は、何度思考してもその答えに辿り着き、同時に彼女にその答えを否定されたことに立腹する。

 そして握りしめているペンを折り、魔術書を破ってしまいそうになるのを必死に堪え、その怒りを超高速の筆記に費やした。

「裁定者が縛られている今、僕が裁定しましょうか! 罪人はあなただ、純騎士! 無欲にして無力。勝利に意味のない勝者など、この世で最大の罪だ! 死刑を執行します!」

「やれるのなら、やってみればいいではないですか」

 永書記の魔術が、再び発現される。だが同時、純騎士の姿が白銀の残光を光らせ、消えた。

 

 

 

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