異修羅戦

 純騎士じゅんきし。それは彼女の名前ではない。

 騎士王国エタリアの騎士団に所属し、副団長以上に昇格した女性騎士に与えられる称号だ。

 求められるのは他者を制する魔術の才能と、他者を圧倒する剣技の才能。しかし彼女は魔術の才能を持たないため、純騎士の名前を冠することは 不可能と言われていた。

 もし仮に名を冠したとしても、誰も彼女を認めない。誰も彼女にはついて行かない。自分よりも劣る指揮官についていくほど、エタリアの騎士は遊べない。

 だから彼女は、すべての努力を剣術にのみ捧げた。すべての時間を、剣術にのみ費やした。魔術と剣術の両面を鍛えなければならない他の騎士達の中で、彼女は剣だけを鍛え続けた。

 その結果、彼女は入団から五年で純騎士の名前を与えられた。剣術においては、歴代副団長最強とまで謳われる存在となった。

 その歴代最強の剣で、今までどのような逆境すら覆してきた。だから戦える、この戦争だって勝ち抜ける。

 そうやって、本当は自信過失な自分を奮い立たせてきた。今回だって勝てる、勝ち抜ける。だから死なない。死ぬだなんて嫌だ。

 そんな、肯定的なんだか否定的なんだかわからない鼓舞の仕方で、純騎士は今、目の前で熱を吐き散らす怪物と対峙していた。

「なんですか……人間?」

 人間ならば参加者のはずだ。この大陸に、今それ以外の人間はいない。

 だが相手は三メートル近い巨体に六本の腕。そして輝く血走り眼。全身タイツに包んだその姿は、まさに異形。人間というより、獣に近い。

 だが後から追ってきた永書記えいしょきは、彼の姿を見て即座に本を開き、ペンを手に取った。

「純騎士さん! その人は参加者です! 数十年前に異次元の牢獄に入れられた異形の囚人、異修羅いしゅら!」

「参加者……」

 やはりそうか。

 だがなんだ、まるで言葉が通じないように思える。こうして対峙していて、人間と向き合っている気がしない。

 彼は強く歯を軋ませ、斧まで軋ませるくらいの強さで握りしめる。そして一瞬だけ息を吸うと、大口を開けて咆哮を轟かせた。

 その咆哮もまた、獣そのもの。まるで人の言葉を憶えているとは到底思えない。そして異修羅は裸足で地面を蹴り上げて、勢いよく肉薄してきた。

 純騎士はその場で高く跳躍し、異修羅の突進を躱す。だが異修羅はすぐさま方向を転換し、空中の純騎士に斧を叩き落とした。

 純騎士の体が軽く吹き飛ばされ、地面をこれでもかというくらいに転げて木にぶつかってようやく停止する。斬撃こそ受けなかったが、衝撃だけで凄まじいダメージを身に感じた。

 そんな一瞬の痛みで硬直している純騎士に向かって、異修羅は再び斬りかかる。

 その場を転げてから立ち上がり、離脱した純騎士だったが、離脱した方向に生えていたもう二本の腕の追撃が逃がさない。

 斧による斬撃をかろうじて剣で受けるが、圧倒的腕力の差にまた吹き飛ばされた。だが今度は、宙返りしてから片膝をついて着地する。

 今の攻防で逃げ切れないと判断した純騎士は、ここでようやく最後の覚悟を固める。逃げ切るのでも勝つのでもない、敵を殺す覚悟だ。

 逃げ切るのは難しい。勝つのはさらに難しい。殺すのはもっと難しい、一番困難だ。だがそれでも、この場を切り抜ける最善手が異修羅を殺すこと。それしかなかった。

 ここでもし逃げきれても、またこの怪物と戦わなければならないなんて精神的に酷だ。ならば厄介な相手はここで積んでおく。

「主よ、あぁ甘美なるかな。絶望の中に、我ら生命は希望を見出した——」

 永書記も同じ覚悟か。何やら詠唱している。

 だがそれに気付いた異修羅は本能的に危険を察知し、目の前の純騎士から永書記へと標的を変えて走り出した。

 マズい、非常に。異修羅の突進を止める手立てが、今のところまるでない。だが止めなければ、武器を持たない永書記は確実に死ぬ。それでは勝利も消える。

 純騎士もまた、走りながら考える。どうすれば止められるか。どうすれば仕留められるのか。普段は回転が遅い頭を、フル回転させて考える。

 だが結局いい案なんてものは浮かんでは来ず、純騎士が思いついたのは古い手だった。

 どれだけ巨体で速くても、横からドつけば意外に柔い。正面から戦うのが苦手な騎士が、一番に習う戦術だ。相手の側面を取り、そこから斬り伏せる。

 生憎と純騎士は正面からもやり合えたのでその戦法はそこまで練習していないが、やるしかない。やらなければ、永書記は死ぬ。

 純騎士は思い切り地面を踏み込んで、全速力で加速する。そして異修羅の側面に回り込み、レイピアで突きに行った。

 が、異修羅はそれを見越していたか、急に方向を変えて純騎士に向き合う。そして大きく振りかぶって、斧を投げつけた。

 投げられた斧が純騎士の肩を斬り裂き、大木をへし折って消える。だが純騎士は静止するどころか加速して、異修羅の懐に入り込んだ。

 そして勢いよく突く。

 ほぼゼロ距離で繰り出した突きだ。回避不可の距離と速度。確実に射抜いたと、純騎士自身思った。

 だがあと数センチ――いやあと数ミリのところで異修羅が後ろに跳ぶ。切っ先は異修羅の腹に届かず、空振りに終わる。

 さらに異修羅は斧を投げた手にどこからともなく剣を取る。そして二本の腕に持った斧と同時に、三本の斬撃を振り下ろした。

 純騎士は剣で受け流し、斬撃が地面を斬り飛ばした威力で吹き飛ばされる。軽い体はまたも簡単に吹き飛び、地面を数度転げてから木にぶつかってようやく停止した。

 転げた際に頭を切ったらしく、額からうっすらと血を流す。そのせいで片目の視界がままならない。

 だがそんなことは好都合――いや、もはや関係ない。異修羅は六本の刃を握り締めて突進してくる。そして未だ片膝をついている純騎士に、大きく斧を振り上げた。

 異修羅の斬撃は重すぎる。腕一本の力が、数トン単位の力だろう。そんな一撃を、女性の腕力と剣が受けきれるわけがない。

 もうダメだと、本気で死を覚悟した。斧の一撃が、やけにゆっくりに見える。走馬燈というものか。今までにもそんな死地を体験してきたが、こればかりは切り抜けられないと悟る。

 すべてを諦めた手からは力が抜け、目蓋はドッと重くなる。そうしてすべてを諦め、異修羅の斬撃がこの身を両断するのを待つ。

 だがいつまで経っても斬撃が来ない。目を開けると、そこに異修羅はいなかった。というか、横に吹き飛んでいた。

 何が起こったか。それは異修羅を吹き飛ばしたのだろう方角を見ればわかることだった。

 永書記の魔術が発動したのだ。ずっと詠唱していた魔術が発動し、斧を振りかぶった異修羅を吹き飛ばした。

 よほど威力のある魔術だったのだろう。まるで鉄塊のような体をしている異修羅が、撃たれた脇腹を押さえて咳き込んでいる。

 だが永書記の方も玉座探しの後で消耗が激しいらしく、膝をついて座り込んでしまった。手から力が抜け、羽ペンも落ちる。

「純騎士、さん……ごめんなさい。僕ももう、限界です……せいぜいあと一回、魔術が使えるかどうかというところ……」

「私では、彼に敵わない……一体、どうすれば……」

「……時間を、稼いでいただけませんか。彼を、どこか遠くに転移させます」

「できるのですか?」

「今の魔力量では心配ですが……なんとか、やってみましょう」

「……わかりました。それでいきましょう」

 他に策も思いつかないし仕方ない。今のこの二人では、異修羅に勝つのは無理だ。ここは逃げの一手で行こう。

 つい先ほど、彼を殺す決意と覚悟をしたばかりだが、勝つしかないと言い聞かせたばかりだが、エタリアの騎士として、恥ずかしい限りだが、仕方ない。

 勝てないものは、勝てないのだ。現実を受け入れるしかない。

「いきます! ……主よ、祖は天と地を行き来する。主よ、我らの枷を解き放ち給え――」

 今の魔術で永書記を危険と判断したか、異修羅は純騎士から永書記に完全に狙いを変えて突進してくる。またどこからともなく刃を取り出し、ブンブンと振り回しながら肉薄してきた。

 そこに再び、純騎士が横から突進する。そして永書記へと向かう異修羅の横っ腹を、全速力かつ全力で突いた。

 先端にのみ魔力を込め、貫通力を上げた一撃。だがその一撃でも、鉄塊のような異修羅の体を貫通することは叶わない。というか、まず刺さってすらいなかった。

 だがそれでも、全力での一撃は異修羅の体を吹き飛ばす。横から飛ばされた異修羅は転げ、二本の大木をへし折ってようやく停止した。

 六本の腕で這うように立ち上がり、異修羅は怒気を含んだ声で咆哮する。そして今の一撃で落とした武器を拾い上げながら、怒りの矛先を再び純騎士に向けて突進した。

 怒りのままに無茶苦茶に刃を振るう異修羅の攻撃のわずかな隙間に、純騎士はことごとく入り込んで躱す。そして一本の斧の一撃を躱すと、その上に思い切り乗って刃を地面に突き刺した。

 あまりにも深く刺さっている刃を抜こうとして、異修羅の動きが一瞬止まる。その一瞬で懐に入り込んだ純騎士の連続突きが異修羅を叩き、最後の一撃でまた吹き飛ばした。

 二転三転後転し、異修羅は大の字に倒れる。だがすぐさま咆哮と共に起き上がり、もはや武器を持たずに純騎士に突進した。

 そんな一瞬で、純騎士は祈る。神にではない。エタリアが称える崇高なる騎士、純騎士へと祈りを捧げた。

「白花の騎士よ、我が剣に光を」

 祈りの言葉と同時に、純騎士のレイピアが光る。そして純騎士もまた異修羅に向かって、全速力で突進した。

 全速力で向かい合って突進し、お互いの一撃を繰り出す。異修羅の鉄拳を駆け抜けて躱した純騎士は、その勢いのまま拳を繰り出したことで空いた胸へと渾身の突きを繰り出した。

 刺さらない突きの一撃が、異修羅の巨体を吹き飛ばす。数メートルの距離を地面にもつかずに吹き飛ばされた異修羅は、倒れるとしばらく痙攣して動かなかった。初めて、異修羅が

「永書記——!」

「主よ、我らは飛ぶ。その胸に宿した白銀の翼で、ただ高い虚空へと。選定の王の夢・第六章三幕。王の戴冠・民の自由より抜粋。東奔西走……!」

 倒れている異修羅に向けて、光の輪が飛ぶ。それは異修羅を捕まえると、一瞬で消してしまった。

 転移魔術が成功したのだ。その証拠に、永書記はもう立てませんとばかりに足腰を弱らせ、座り込んでいる。

「僕の転移魔術は、ただ飛ばすだけです。どこへ飛んだかは僕にもわからない。だけどここから半径二〇キロ圏内にはいないはずです。なので、一先ずは……」

 それを聞いて、純騎士も安堵しきったのだろう。脚から力が抜けて座り込む。ずっとレイピアを握っていた手は、もう痺れて動けなかった。

「とりあえず、お疲れ様でした」

「……そうですね。お疲れ様でした」

 初めての共闘。これでお互いの力は、五割程度わかっただろう。永書記の魔術の威力を知った純騎士は、その弱点を見つけると同時、できることなら敵に回したくないと、強く思ったのだった。

 

 

 

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