滅悪魔術

 すべてをぼす。故に滅悪種。

 彼女の歩いた土地には一切の人命は残らず、文明は滅びの運命を歩く。

 滅びと殺戮のみが彼女の存在意義であり、存在価値。だがそんな難しいことは、永遠の少女には理解しがたいものである。

 故に彼女は存在理由を求める。さながら思春期を迎えた子供のように、宇宙誕生から疑問を抱くように、明確なものなどない答えを求めて殺戮する。それが彼女だ。

 そんな彼女だが、自分のいた場所が変わっていたことに驚いていた。

 誰も来ない深淵の中で寝ていたはずなのに、目を覚ませばどこか知らない草原の上。辺りを見渡しても、まったく知らない場所。

 元々どんなところに行っても土地勘など皆無の彼女だが、深淵は違う。深淵は、自分の力が生まれた場所。自分の魔術の源だ。その深淵の力でもって、魔術師は彼女に力を与えた。

 そのことを知ったのは十年前だったか二〇年前だったか。忘れてしまったが、初めて深淵に辿り着いたときに悟ったのだ。

 だから深淵は心地よかった。安心できた。常人が入り込めば五分とかからずに狂い死ぬ深淵も、彼女からしてみればゆりかごだった。

 そんな安心できる場所からいきなりまったく知らない場所に移動させられて、滅悪種は少し泣き顔。百年も生きた彼女だが、姿も心もまだまだ幼い子供だった。

 まるで迷子にでもなったかのような心情で、彼女は泣くのを堪えている。だがその涙を助長させるかのようなタイミングで、それは襲ってきた。

 滅悪種を餌かと思ったか、古代の恐竜にも似たオオトカゲが全速力で走ってくる。大顎を開いて鋭い牙を剥け、轟く咆哮で滅悪種を脅しにかかった。

 いつもならその怯えで脚がすくみ、獲物は逃げられずに捕食されるだろう。

 だが相手は滅悪種。体も精神も子供だが、その実力は一種の対国兵器。故にオオトカゲを葬ることなど容易く、彼女の腕の一振りでトカゲの首が消し飛んだ。

 それで危機は去ったのだが、滅悪種の脳にはここは危険な場所だと刷り込まれた。故にオオトカゲを殺しても、滅悪種の魔術は止まらない。

 滅悪種の体から湧き出る純黒が、広大な草原を侵食していく。それに触れた動植物は一瞬で死に絶え、草原は死臭の漂う泥沼と化した。

 それでも滅悪種の暴走は止まらない。

 体から湧き出る純黒はとどまりを知らず、大陸の地下へと侵食する。地を喰い泥を喰い、みるみるうちに底を深くしていった結果、草原は純黒で満たされた超巨大な水たまりとなった。

 その中央で、未だパニックになっている滅悪種は泣く。泣き続ける。自分を殺す敵が現れたことに、恐怖を隠しえない。

 今までだって狙われなかったわけではなかった。百年前からずっと、自分を殺しに来る敵はいた。時には国そのものが、命を狙いに来たことだってあった。

 故にその度に、彼女は泣いた。暴走し、今のように世界に一時のくぼみを作り、その場に底なし沼を作り上げることで自分を守ってきた。

 自分から敵を殺すことに、恐怖はない。自分から殺しに行った敵に、反撃されるのも怖くない。傷を受けるのだって怖くない。

 だが敵から、敵の方から殺しに来られると途端に怖くなる。

 自分の知らない術で殺しに来るかもしれない。自分では敵わない敵なのかもしれない。敵の正体がわからない。それらの理由から恐怖を増長させ、暴走してしまう。

 そんな、まるで子供のような自分勝手な理由で、彼女は百年で数百の国を滅ぼした。

 そんな彼女の暴走を、いつしか人々はこう呼んだ。世界を滅ぼす邪悪の魔術――滅悪魔術と。そのことを、彼女本人は知らない。

 彼女は恐怖から五分も泣いた。その五分間で、今さっきまで広大な草原だった場所には巨大な水たまりができた。触れた瞬間に命を奪う、死の水たまりだ。

 その水上で、彼女はようやく泣き終えた。袖で涙を拭い、おもむろに立ち上がる。とにかく安全な場所へ。誰も来ない場所に行こうと、足を進ませた。

 彼女はこれが、玉座を巡る戦争だと理解していない。自分が参加者に選ばれたことも、これが天界に行ける——自分の夢が叶うチャンスだということも。

 故に逃げるように彼女は行く。

 誰にも襲われず、自分から襲える場所。再び自分の存在証明を得るために、誰かを殺せる場所へと。

 誰よりも臆病で誰よりも強い、そんな滅悪種の旅が始まる。その旅路を邪魔する者は、今のところ誰もいなかった。

 

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