永書記の魔術

 純騎士じゅんきし永書記えいしょきの二人が出会い、交渉が成立してからおよそ半日が過ぎた。

 二人はまだ玉座へとは向かわず、森の中を錯綜していた。理由としてはまず、当面の食糧確保を今のうちにしておきたかったからだ。

 この先この森のように、食糧を確保できる場所があるとも限らない。移動するのはこの大国三つ分はあろうかという大陸。玉座を見つけて座るために、一体どれだけの時間と労力が必要となるか、わかったものではなかった。

 なので今のうちに蓄えておきたいのだが……

「あの、大丈夫なのですか?」

 少し後ろを歩く永書記に、思わず声を掛ける。六本足のクマを担いで持ち上げている永書記は、もう虫の息で目の焦点があっていなかった。

「だ、だい……じょうぶ、です……まだまだ、これくらい……」

 全然大丈夫そうに見えないから声を掛けたのだと、彼は気付いていない。いや、気付けないほどに疲労困憊している様子だ。

 どこか休める場所を探さないと、玉座を探させる前に死んでしまうかもしれない。そうなっては困る。

 自分で殺して死ぬのなら利益もあるが、勝手に死なれてはなんの利益にもなりやしない。せっかく玉座を見つけるだなんて能力があるのだ、ここで使わないで死んでなんの意味がある。

 とにかく休める場所を探さなければ。

 しかしここは生憎森の中。屋根は折り重なる木々の枝葉しかなく、休める場所はどこにもない。

 さてどこにしようかと思っていたそのとき、目の前から轟音が響いてきた。見ると前方から、半日以上前に純騎士が撃破したムカデの同種がうねって来ているではないか。

 あれは面倒だ。腐食と溶解の毒液を吐いてくる。喰らったが最後、肉どころか骨まで溶けてしまう。最悪だ。

「永書記さん、そのクマ捨ててください。走りますよ」

「え、でも――」

「いいから早く! そんなもの担いだまま、逃げ切れると思っているのですか?!」

 クマを捨て去り、全力で走る。それならまだ、逃げ切れるチャンスがある。

 だが遅かった。ムカデは獲物である彼女達に気付き、大口を開けて突進してきた。唾液なのか、草木を腐食させる液体を撒き散らす。

「逃げますよ!」

「……大丈夫です」

 そう言って、永書記はクマを捨てる。だが逃げるわけでもなく純騎士の前に立ち、ずっと脇に挟んでいた本のページを開いた。

 そして右手に何かを現出して握る。見ると、それは大きな目玉に似た模様を持つ、孔雀類の大きな羽で作られた趣味の悪い色をしたペンだった。

 開いた空白のページに、永書記は何かを書き記す。その筆記速度は尋常ではなく、タイプライターよりもずっと速い。そうして手を動かしながらも、口はその書き記す文章を絶えず繰り返していた。

「祖は神殺し。祖は神祖殺し。祖は神子殺し。神と並ぶ者を相殺するものであり、神と相対せば無敗。されど人に向ければ全敗。獣に向ければなお全敗。主よ、神殺しの神槍を進呈せよ。神殺しの神槍を進呈せよ。祖を人の手に握らせ、崇拝に当たらぬ脆弱なる神を、この地上に引きずり落とせ」

 ムカデと二人の距離が、あと十数メートルまで迫ってきた。ムカデの勢いは加速するばかりで、減速する様子など微塵もない。

 獅子の頭で鋭く光る牙を剥き、襲い掛かってくる。だが永書記は距離を取るでも逃げるでもなく、ただ書き記し続けた。

 そして残り数メートル――時間にして残り四秒ほどで、最後の詠唱を終えた。

「主よ、脆弱なる神に神判を。邪悪なる心に制裁を。この槍この一投において、すべての神は地に落ちる。西暦七一六年、神殺し伝説最終章・破より抜粋。我らが主による対神兵器、神殺しの神槍ロンゴミニアド、始動」

 突如として、上空の雲も何もないところから雷が落ちる。それは永書記とムカデとの間に墜落し、その眩い閃光と轟音でムカデの目と耳を刺す。

 驚いて身をのけ反らせ、速度を完全に殺したムカデが咆哮している間に、永書記はその墜落してきた閃光を掴み取る。

 そして助走なしの体勢から腕力だけで、ムカデ目掛けて投擲した。

 その閃光はムカデの頭を一撃で吹き飛ばし、血の雨を降らせる。そしてさらに追撃の閃光が雷電となって、残ったムカデの巨体を焼き尽くした。

 頭を失ってもまだ動くムカデの体がのたうち回る。が、その体を燃やす炎はいくらもがいたところで消えず、また他の木々に燃え移ることもない。炎は確実に、対象であるムカデの体のみを焼き、灰に変えていた。

 そんな光景を目の当たりにして固まっている純騎士をよそに、永書記は再びクマを担ぎ上げる。本はまた脇に挟み、ペンはどこかへと消していた。

「さぁ、行きましょう」

「え、えぇ……」

 と、そこまでは格好良かった永書記だったが、クマを担いでの移動にはすぐヒーヒーと根を上げ、結局すぐに休憩となった。

 場所はないので、近くの木の下だ。

「先ほどの、あれがあなたの魔術なのですか?」

「えぇ、まぁ」

「凄い威力でしたね。大魔術……いえ、超魔術に匹敵するかもしれません」

「たしかに、さっきのあの槍は超魔術によって作られた代物です。だけど僕の魔術自体は、そうすごいものではありません」

「? それはどういう?」

「僕の魔術は、今までの歴史上に実在した魔術や事象を書き記し、この場に顕現させるというもの。事細かに、しかも九分九厘事実と合っていないと顕現できないという束縛があります。ですがもし十割事実と適合したものを書き記せば、この魔術は大魔術にも超魔術にもなる。そういう魔術なんですよ」

「それは、やはりすごい魔術なのでは?」

「そうかもしれません。だけど、九分九厘合っていないと発動しないので、やはり使えませんね」

「それはどういう……」

「永書記というのは、個人の名ではありません。僕の祖国リブリラで、継承される称号です。世界の事象すべてを書き記し、まとめる人間。それが永書記です」

「世界の事象、すべてを……」

「だから、正直純騎士さんの名前だけは知ってました」

「え、何故?!」

「エタリアの騎士団は有数の騎士団ですから。そこの副団長ともなれば、記述されますよ。確か純騎士というのも、エタリア騎士団の女性騎士に送られる称号だとか聞きましたが」

「えぇ、まぁ……」

 ということは、私のことは全部筒抜けで? じゃあ、最初から知っていた? え、でも、名前だけはと言っていたから姿までは知らなかったということか?

 頭の中で、色々な情報が錯綜する。リブリラの存在は知っていたが、永書記なんて称号もその仕事も聞いたことがない。

 もっともリブリラとエタリアは東西南北で考えれば正反対の位置にあるし、馬を飛ばしても一ヶ月近くかかる距離。

 しかも永書記の称号と職務はリブリラ内でも国家機密なので、他国の一騎士が知る由もなかった。

 だがその相手と言えば、こちらの情報をほぼすべて握っている。純騎士の称号についてもエタリアの、しかも騎士団内でしか知られていない事実のはずだった。

 ならば彼は知っているのかもしれない。今目の前で語り合っている純騎士が、魔術の才能を持ち合わせない、騎士であるということを。

 ならばわざわざ言う必要はないか。情報が筒抜けならば、わざわざこちらから改めて言う必要はないし、確認させることもない。

 何せまだ、信用し切ってはいない。彼が自分を裏切ることは、充分に計算に入れておかなければならない。だから自分からは絶対に言わない。

 それがわかっているのかそれとも天然か、永書記は自分の魔術を明かしたというのに――無論、彼の魔術についても真実が語られたとは限らないが――純騎士の魔術を聞いてはこなかった。

 必要ない、ということなのだろう。おそらくは。

 ならばこちらも言わない。それが今、この二人の距離感だ。実際の距離は数センチ。だが心の距離はずっと、相手のことが見えないくらいに離れている気がした。

「さて、では早速ですが、玉座を見つけてください。ゲームなどと称された戦争など、さっさと終わらせてしまいましょう」

「いいですけど、多分今日中には終わりませんよ。玉座の位置を把握できても、そこに二四時間以内に着かないといけないんですから」

「当てもなく放浪するよりはマシです。そういう文句だったはずですよ。それとも、まさかできないとは言いませんよね」

「だ、大丈夫です。わかりました、やってみましょう」

 そう言って、永書記は再び本を開いてペンを握る。そしてまた高速でペンを走らせ、同時に呟くように詠唱した。

「精霊の導きを、川の上流から流れる聖水を我らに恵み給え。悪霊の吐息。厄災の神速。精霊よ、我らを守り給え。我らを守り、導き給え。

 東の病に聖なる薬を。西の災害に神の啓示を。北の悪心に鉄槌を。南の死に天使の光を。

 精霊よ、今我らを導く主となりて、我らの求める啓示を示し給え。寛大なる導きを、光輝ある啓示を我らは求。

 我らが求めるは天の玉座。神の座に近付く天の施し。精霊の主たる我らが主よ、我らの脚を導き給え。いざ、我らの脚を光ある王城へと。

 神童説序章・二の段。第一〇二項。失せ物探しの崇拝曲・黎明より」

 永書記の本が輝きだし、それと同時に瞳に光が宿る。薄い赤色に光ったその目は、魔術が紡ぐ遥か遠い場所へと飛んで、どこかに隠れ潜む玉座を見つめていた。

 時間は五分。それ以上は魔力が持たず、目にも物凄い負担がかかる。故にこの魔術の限界は、一日五分とかなり短い。だがその短時間でも、充分な長さだった。

「ここから……五時の方角……九〇〇キロ先。ここよりも小さな森の中、です」

「九〇〇キロ……」

 絶望的な距離だ。とてもじゃないが二四時間――いや、もう半日経っているから一二時間。ともかくそんな時間で着ける距離ではない。無謀だ。

 今ある玉座は諦めるしかない。玉座を見つけたところで、こうなっては意味がないと、その事実を今改めて理解した。

「わかりました……次は二四時間後……でも意味ないですね。一日捨てて、三六時間後に勝負を決めましょう」

「はい、すみません」

「玉座の位置は、あなたのせいではないですから」

 それだけ言って、休憩を終わりにしようとクマを担ごうとした純騎士の手が止まる。感じ取ったのだ。先ほどのムカデと同じく、突進してくる何かを。

 また大陸固有の獣か。にしては感じられる魔力量がえげつない。こんなものがぶつかってきたら骨なんて残らないと思うほど重く、それでいてとてつもなく速い。

 その速さのまま、真っすぐこちらに向かって走ってきている。とてもじゃないが――回避し切れない。

 そう察した純騎士は抜刀する。何がなんだか理解できていない永書記は、何事か聞こうと純騎士に問おうとした。

 が、問えなかった。

 見たのだ。純騎士の横顔に光る、鋭い眼光を。横から声なんてかけられれば、答えるまえに剣で応えてくると思わざるを得ないほどの殺気を籠らせた、その眼光を。

 そしてその眼光のまま、純騎士は駆け出す。回避できないのならば真っ向から向かうだけだと、腹を括ったのだ。

 そうして数百メートルの距離を走ったそのとき、その怪物の姿を見た。純騎士を見て、咆哮するそいつは両手の斧を振り上げて突進してくる。

 そして勢いよく振り下ろされたその斧を体勢を低くして純騎士が躱すと、そいつは突然ブレーキをかけて停止し、再びその場で咆哮した。

 攻撃を避け、速度を奪われた純騎士もまた停止する。そのとき目の前にいた怪物は、二メートルを超す巨体に六本の腕を生やし、その腕一本一本に斧を持った、異修羅いしゅらと呼称されこの戦争ゲームに参加した、知能なき闘争本能かいぶつだった。

 

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