孤児院の龍道院

 今日もどこかで子供が死んだ。戦争か、飢餓か、災害か。何にせよ、今日もどこかで何人もの子供が死んだだろう。

 そう思うと心が痛む。世界最強の種族の血が流れているだけの自分では、どうしようもない現実だ。耐えるしかない。

 だが辛い。こうしている間にも、またどこかで子供が酷い目に遭っているのではないだろうかと考えてしまう。考えてしまうと辛い。

 だが自分には何もできない。自分にできることと言えば、この小さな名もない孤児院にいる子供達を守ることくらいだ。それしかない。

 だが最近、孤児院が危ない。今までは寄付金でなんとかやってきたが、このご時世に孤児院に寄付してくれる人など乏しいものだ。もうお金がない。

 お金がなければ何もない。ボロボロの孤児院を修繕することもできず、今日も子供が怪我をする。子供達の体が、心が、荒んでいく。

 それを直に見ている自分が、何もできないのが許せなかった。この孤児院のために、体を売っているシスターもいるというのに。自分には何もできない。こんな体をしている自分には。

 見るも醜いその姿。龍と同じ瞳に尖った耳、首筋から体の至るところにある龍族の鱗。そして尾骨から生えている、隠しようもない龍の尻尾。

 この姿で、今まで散々迫害を受けた。いじめられ、罵られ、人々から避けられた。

 何が世界最強の龍族だ。世界で一番強いなら、何故人間達は化け物と呼んでくるのだ。何故こんなにも人間が怖いのだ。何故こんなにも、皆の視線が冷たいのだ。

 嫌いだ。嫌い嫌い嫌い、大嫌い。

 人間の——特に男が嫌いだ。男ばかりだ、自分を罵るのは。自分を蔑むのは。自分に唾を吐いてくるのは。だから男は大嫌いだ。存在自体が不潔だ。

 人間なんて、ずっと子供のままでいればいいのに。大嫌いな男でも、子供ならまだ可愛げがある。自分のことを差別しない、むしろカッコいいなどと言ってくれる。だから子供は好きだ。

 あぁ本当に、何故子供は大人になるのだ。大人になって、自分だけを守る存在になってしまう。子供は皆を、自分以外を守れる強さを持っているのに。何故大人になるとそれを捨ててしまうのか。

 悲しい、寂しい。子供達の成長が、大人への一歩が、寂しくてたまらない。何故人間は成長するごとに、醜くなってしまうのだ。

 龍の瞳に鱗に尻尾と、異形の姿を持つが自分だって龍の血を持つだけの人間の女性だ。だがそれでも、普通の人間の進化の醜さに吐き気がする。

 本当に、子供が生きていればいい。大人なんて死ねばいい。戦争をし、子供達を傷付ける老害など、さっさと死ねばいいのだ。

 あぁもう、何故子供はこんなに愛らしいのか。何故大人はこんなにも醜いのか。どれだけ問うたところでわかるわけはないのだが、それでも問いたい。何故なのだと。

龍道院りゅうどういん様!」

  数人のシスターが、ノックもせずに入ってきた。危ない危ない、こんな危険思想が書かれた日記を、見られてしまうところだった。

「どうしたの? また喧嘩でもした?」

「この孤児院を取り壊せって! 街の人達が!」

「嘘でしょ?! え、今どうなってるの?!」

「マザーが止めてるけど、あの人達力づくで来てて——龍道院?!」

 シスター達の制止も振り切って、龍道院は窓から飛び降りる。地上三階の高さなど、彼女からしてみれば臆することもない。世界最強の血は、こういうことに使うのだ。

 そのまま走り、玄関へと回り込む。するとシスターの言った通り、マザーが両手を大きく広げて人々を食い止めていた。しかしその虚弱なバリケードも、もう崩壊寸前だ。

 龍道院は跳ぶ。生憎と翼は持っていないが、跳躍力は人間を越えている。そのありえない跳躍力で高く跳ぶと両手に炎を宿し、死神のそれとも言える漆黒の巨鎌きょれんを握り締めた。

「マザーから……離れろぉぉ!」

 今まさにマザーを殴り飛ばそうとしていた男の鼻先が吹っ飛ぶ。さらに横に薙ぎ払った鎌の風圧で、後方の数人が吹き飛んだ。龍族の怪力は馬鹿にならない。

「龍道院!」

「マザー離れて! よくもこいつらぬけぬけと……! 許さない!」

 鎌の刃先に炎が走る。それを見た最前列は最速で逃げ出した。が、人の列そのものはなくならない。街の住人が呼んだのだろう武装集団が、前に出てきた。数人が魔術のため、詠唱の体勢に入る。

「私に喧嘩売ろうっての? 上等、全員斬り殺してあげるわ」

「龍道院、殺生はなりません。落ち着きなさい。それにこんなところで戦ったら、孤児院が——」

「孤児院には指一本触れさせないわ! 触れさせるものですか! あんな汚い手を!」

 放たれる、雷、水、大気の槍。時間差で襲い掛かってくるそれらを一撃で斬り飛ばした龍道院は、深く沈みこんだ。

 そして跳ぶ。高く、そして速く跳ぶと鎌を振りかぶり、着地と同時に斬りかかる。剣で受けようとした男の腕をその剣ごと斬り落とし、男に絶叫させた。

 その男を蹴り飛ばし、後方の魔術師を吹き飛ばす。さらに右方から斬りかかってきた男の斬撃を鎌で受けると、体ごと回転して斬り払う。そしてもう一度斬りかかってきたところに拳を叩きつけ、鼻の頭をへし折った。

「取った!」

 殴り飛ばしている隙に、もう一人が腕を掴む。もろに腕を捕まえれた龍道院は、感じる悪寒と共に片手で投げ飛ばし、押さえつけ、石突で重ねた両手を貫通させた。

「触んな、人間の男が!」

 背後に控えていた魔術師から、再び槍が放たれる。それをまた斬り裂くと、跳躍で目の前に跳んでその両腕を斬り飛ばした。噴き出す血に濡れるが、灼熱の体温に一瞬で蒸発する。

 その後再び斬りかかってきた男を殴り、その胸倉を捕まえて最後の魔術師に向けて投げ飛ばし、戦いを終えた。

 せっかく雇った兵団があっという間に返り討ちを受け、住民はたじろぐ。そして彼らはいつものお決まりの台詞を残して、走り出した。

「化け物だぁ!」

「逃げろ! 殺されるぞ!」

 化け物。怪物。好きに言ってくれる。まったくこれだから大嫌いだ、人間の大人は。とくに男。今の集団の中に、女はそれほどいなかった。少しとはいえ、この孤児院の存在を理解している証拠と言えるだろう。

 まったく、どうせ自分のことしか考えていないのだろう。だから兵団を使って孤児院を潰そうなどと考えられる。不届き者だ、今度本当に一人くらい殺してやろうか。

「龍道院」

「マザー、無事で――」

 マザーは歳だが、全体的に体が大きい。しわくちゃで大きな体で、龍道院を強く抱擁した。炎をまとう龍族の熱い体を、躊躇なく抱き締めた。

「龍道院……」

「ま、マザー……苦しい」

「あぁ、ありがとう……あなたのお陰で、孤児院は守られました」

「そんな、当たり前のことをしたまでよ。あいつらが悪いの。子供を育てることの大変さもわからないで、文句ばかり並べて、挙句の果てに孤児院を潰そうだなんて。子供の重要さも知らない、バカの集まりだわ。……でも心配しないで、マザー。

 私が天界の玉座を取って、子供達が誰一人傷付かない世界にしてみせる。玉座に座れば、どんな力も思うがままよ。権力だって魔術だって、幸福だって手に入る。だから、私がいない間お願い。武器を取ってでも、子供達を……」

「もちろん。私達ではあなたのようにはいかないだろうけれど、でも、それでも、子供達を守るのが私達の使命です。必ずやり遂げてみせますとも」

「えぇ、必ずよ」

 龍道院の足は、昼寝中の子供達の元へ。現状をまだほとんど知らない子供達は、スヤスヤと無垢な寝顔を見せていた。

 この寝顔が、彼女の唯一の安らぎだ。無垢な子供達が、安心して寝られる環境こそ、この世界のあるべき姿なのだ。そう思う。

 だからこそ、この戦争に勝ち抜いて玉座を。玉座さえ手に入れれば、世界を統べる天界の権力が手に入る。そうすれば、子供達が健やかに育つ世界にできる。そうすれば、もう子供達に不幸が訪れることもない。

 だから自分は勝つ。勝って玉座を手に入れる。そのためならなんだってしよう。殺生だってする。誰だって殺そう。大嫌いな男なら、そりゃあもう遠慮なく。

 例えそれが、大好きな子供だったとしても。


           戦争開始まで、あと二日。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る