ヴォイの骸皇帝
とある大陸で最大にして、最古の帝国があった。その土地からは無数の黄金が出土し、宮殿や家の屋根がすべて黄金の混じった土でできていることから、この大陸ではこの国を黄金の帝国と呼んだ。
その帝国を治めるのは、たった一人の皇帝である。彼はたった一人で国をまとめるカリスマを持ち合わせると同時、たった一人で国一つを相手取ることができる大魔術師だった。
自らの体に魔術刻印を刻み、誓約によって生き永らえること千年。千年間生きてきた。千年間無敵の大魔術師が、そこにいた。
彼の名を、いつしか人々はこう呼んだ。
「皇帝陛下、少々お耳に挟んでおきたいことが」
従者の一人が耳打ちする。とは言っても、骸皇帝に耳はない。
とうの昔にその肉と皮膚ごと崩れ落ち、今では全身漆黒の骸骨だ。黒の骨身に、無数の金色の刻印が光っている。だからこそ、彼は骸皇帝と呼ばれていると言っても過言ではない。
「何、この私に
「そのような情報が……いかが、致しますか」
「放っておけ」
「は?」
「放っておけ。謀叛など何年ぶりか。楽しみではないか、この私にどのような謀叛を企むのか。調度退屈していたところだ。平和な国はいいものだが、平和すぎるのもよくないな」
髑髏の顎を大きく開いて、大声で笑う。骸皇帝には眉も目玉も唇もないため表情が読みにくいが、彼は感情の豊かな男だった。よく笑い、よく怒り、よく嘆く。その荒ぶる感情が、人々を魅せているのだと思わざるを得ない。
そしてその夜、骸皇帝は一人王座に座していた。普段なら早くに寝てしまうが、企てられていると聞かされた謀叛がどんなものか、楽しみで仕方がなくて眠れないからだ。
そうして待っていると、目の前の石扉が開いた。少しだけ、わずかな隙間が開いただけ。そこから誰も入ってこない。
だがしばらくすると、隙間から紫の霧が入り込んできた。見るからに怪しい。毒ガスの類であることは察することができる。さらに同時に照明が消え、天井付近の天窓が一斉に開く。するとガスマスクを着けた武装兵団が、垂らしたロープを伝って飛び降りてきた。
そのまま刃を手に、突っ込んでくる。刀に剣にナイフ、長さの異なる刃が振るわれ、骸皇帝に突き立てられた。すべて的確に、骸皇帝の
「取った!」
「……何をだ」
全身を刺されている骸皇帝の口が動く。瞳のない目は光を宿し、自分に刃を突き立てている集団一人一人のガスマスクを一瞥した。
「フン、剣で私を仕留めると同時、毒ガスで確実に殺しに来たか。狙いは悪くない。が……貴様ら一体、何年私の部下をやって来たのだ! 恥を知れ!」
骸皇帝の魔力が噴き出す。自らに刺さったすべての刃を叩き折り、刺していた集団を吹き飛ばす。王座から立ち上がった骸皇帝は杖を現出し、高々と掲げて噴き出す魔力を杖の先端で光る宝玉に集束させた。
「敵を知り、己を知ることが勝利への道である……兵法の常識であろうが! 貴様ら一体何を学んでいた! そのような戦いも知らぬ奴など、我が国には必要ない……死ね」
杖の石突で、床を突く。すると宝玉に集まっていた魔力が流れ出し、巨大な津波となって集団に襲い掛かった。
黒い津波が集団を呑み込み、引きずり込む。扉の隙間から毒ガスを流していた兵士をも呑み込み、敵すべてがその場から消えた。
「“
呑み込まれた集団が、波の中から這い出てくる。ただしその体からは肉が剝げ落ち、衣服もズタボロに破れ、全身骸骨の化け物となって出てきた。
呼吸もしていない。臓器もない。ただしそれでも生きている、生きた死屍となって、なんの目的も理由もなく、ただ遅い歩みで行進する。重い石扉にぶつかると砕け散り、ただの残骸となって再び波の中に飲み込まれて消えた。
すべての骸が砕けて消えると、骸皇帝はつまらなかったと吐息する。そして魔力の波を自らの中に治め、おもむろに王座へと戻った。
そして今の騒動で落ちたベルを魔力で拾い、鳴らす。今さっきガスが入ってきた扉を押し開けて、二人の侍女がやってきた。金髪と銀髪の少女だ。
「骸皇帝、いかがなさいましたか?」
「何なりと、お申し付けくださいませ」
「喉が渇いた、金髪は水を持ってまいれ。銀髪は他の者を使い、宮の窓をすべて開けよ。毒ガスが使われた、換気する」
「「かしこまりました」」
彼女達がそれぞれの仕事をしに行く代わりに、メイド姿の女性が入ってくる。彼女はそのメイド姿には似つかわしくなく、一本の槍を握り締めていた。
「皇帝陛下、先ほど謀叛を企んだ賊を拘束しました。ただいま拷問中でありますが、吐くかどうか」
「よい。おそらく吐くまえに死ぬだろう。むしろこの短時間でそこまでやったおまえ達を褒めよう、よくやった。それで、例の件はどうした」
「はい、こちらにリストをまとめました。目をお通しください」
そう言って、メイドはどこからともなく取り出したリストを手渡す。数枚に渡るリストを一瞬で見た骸皇帝は、そのリストを燃やしてしまった。
「やはり国を任せられるものはいないな」
「皇帝陛下にご子息がいらっしゃれば、少しはマシだったかと思いますが」
「まぁよい……夜が明け次第、大臣らを集めよ。一人に国を任せるのはやめた。大臣全員なら、なんとかなるだろう。私がいない間、持たせてみせよ」
「しかし皇帝陛下、お言葉ですが……例の戦争に参加した者は勝利したとしても、その後の一生を天界で過ごすと聞きます。ならば例え足りなくとも、後継者を選ぶべきなのでは?」
「……確かに、その通りかもしれん。それが正しい。が、ここは私が百年かけて国にし、百年かけて帝国にし、八百年間守ってきた、私の帝国なのだ。皇帝は私以外にありえない。他の誰が、この国を守れるのだろうか」
「ならば……戦争参加を、拒否なさってはいただけませんか? 我々にとっても、皇帝はあなた以外にありえない。あなたなら、きっと天界からも帝国を守れる。私達は、そう信じているのです」
「それはならん! ……それはならんのだ。天界には逆らえんのだ。
かつて地上に、一人の王がいた。すべての魔術を極めた男と言われ、剣の達人だった。彼は誰にも負けない王だった。誰にも負けたことがなかった。
そんな彼は、天界よりの使者に恋をした。両想いだったが、彼女には天界でべつの親が決めた婚約者がいた。彼女を奪おうと、王は軍勢を連れて立ち上がった。
が、王は天界に何もできぬまま、生涯最初で最期の敗北を期した。何も、何一つ、反撃すらできなかった。王は魔術を殺された。王は剣を砕かれた。無敗の王は、すべてを殺され死に絶えた。
それが天界の力なのだ。天界を治める者には、地上ではありえない力を与えられる。奴らは私以上の怪物だ」
「そう、ですね……すみません。余計なことを」
「……が、もしだ。もし、天界の玉座につき、彼らと同じ力を宿すことができたなら……私は、その怪物を倒せる存在になる。
そう、倒せるのだ……そうなれば! 国に帰るも自在! 帝国は再び我が国となり、天界の力を宿した私の支配によって、この国は更なる繁栄を得る!
私は! ……神になるのだ」
興奮のあまりに立ち上がったばかりの腰を下ろす。その体に血は流れていないが、体中の血が沸騰するような興奮で今、骸皇帝の頭は
「故に私は、この戦いに参戦する。玉座を手に入れ、天界の力を手に入れ、すべてを手に入れる。故に待て、しかして希望せよ。私の凱旋を」
「かしこまりました、皇帝陛下」
メイドは思っていた。骸皇帝ならば必ず勝てると。
天界落としの王の再臨か、皇帝は現在この世界に溢れる魔術の九割を身に着け、禁術すらも手玉に取る大魔術師。さらに複数の誓約によって不死身。弱点はあるということだが、それが露見したこともない。
そう、皇帝は無敵だ。今までに一度の敗走もなく、勝利を逃したこともない。得られる勝利は必ずすべて手に入れる、そんな人だ。
その皇帝が、千年で帝国を築いた皇帝が負けるはずもない。負ける姿など、想像できない。彼の敗戦など、考えるまでもなくありえない。
信じればいいのだ。彼の勝利を。我らが絶対的皇帝陛下の凱旋を。
「今日はもう寝るがいい。明日、大臣らを集結させよ」
「はい。おやすみなさいませ、皇帝陛下」
おやすみなさいと言われた骸皇帝であるが、彼は眠らない。眠る必要性がないのだ。
だから寝る必要はない。骸皇帝は月夜を仰ぐ。
千年かけて創り上げた、自らの帝国。人々が行き交い、人々が交流する国。千年かけて創り上げた理想の国。この国を一時でも手放さなければならないことは、少々心苦しいものがある。
だが、これは一時のもの。たった数日。それだけの間のこと。自身は絶対無敵の骸皇帝。この大陸——否、地上のすべての魔術師の頂点に立つ絶対の帝。
負けるはずがない。一体誰が、この骸皇帝を倒せるというのだろうか。
そうだ、この退屈な日常を壊してほしくて、誰か自分を殺せるくらい強い奴の誕生を願っていた。が、そんなのはありえない。
自分を越えてくる戦士も、魔術師も、神も、悪魔も天使も何もかも、絶対に現れない。だって千年、生まれてこなかったのだから。千年、現れたことなどなかったのだから。
だから絶対にありえない。勝つのは自分以外にありえない。どこから誰が来るのかなんて関係ない。勝つのは自分だ。
「楽しもうではないか……常勝の王の再来——否、かの伝説を超える。私が、天界を落とす」
戦争開始まで、あと七日。
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