堕天の魔天使

 かつて、彼は天界に叛逆はんぎゃくした。自らを神と称する玉座に座る連中が気に入らなかったからだ。我々の言葉は神の啓示だ、故に万象すべてが聞き届けなければならない。そういう奴らが嫌いだった。

 神は嫌いだ。神はこの星と生物を作り上げると、傍観者へと回った怠惰の具現だ。そんな奴の手の上で踊らされていると思うと、腹立たしくて仕方ない。

 だから叛逆した。具体的には、玉座にいた元大魔術師を半殺しにした。両腕を焼き斬って、腹を焼いてやった。そこまでして死ななかったのが、さすがというか怪物というか、とにかく今でも不思議ではあるのだが。

 とにかくそこまでやって捕まって、天界から堕とされた。天使の証であった翼を失い、魔術が刻まれた剣を失った。

 だがそれでも地上で生きた。生きて生きて生き延びて、今度こそ玉座の奴らを皆殺しにしてやる。それくらいしなければ、この燃え盛る胸の内が治まらない。今度こそ、今度こそ。

 そんなことを思っていたのに、この日彼の腕に刻印が現れた。炎を模した赤い刻印が、彼の魔術を帯びてメラメラと燃えている。その刻印が招待状で、なんの招待を受けたのかはわかっていた。

 故に嘲笑し、激昂し、咆哮した。怒りと可笑しさと悲しみとで、感情が混ざった大声で笑った。しばらく笑って、それが治まると、今度は近くにあった大木に拳を叩きつけてへし折った。

 天界のバカ共め……自分達で堕とした天使を、次の玉座の候補者に選ぶとは。俺が勝ったらどうする気だ。

 わかっているはずだ。俺が勝てば、てめぇら全員皆殺しだと。だがわかっている。この戦争——いや、戦争ゲームで俺を誰かに殺させる気だということも。

 わかっている。わかっているが、負ける気はしない。他八人の参加者を蹴落として、自分が玉座に座ればいいだけの話。

 それにルールは知っている。その分他の参加者よりは有利だ。実力も、そう後れを取ることはないだろう。自分なら勝てる——いや、勝つ。ここまで自分に有利な状況下で、何故負けようか。

「いたぞ!」

 武装した兵士に囲まれる。

 これでもう何度目かわからない。自分の首に賞金がかかって以来、ずっと国と言う国に追われている。地上ではとくに何もしていないが、天界の指名手配だ。地上の国々は少しでも天界に恩を売ろうと、必死なのだろう。

「堕天の魔天使まてんし! 天界への叛逆の罪で、おまえを仕留める! かかれ!」

 数人の兵士が襲い掛かってくる。魔天使は高く跳躍すると、両手を派手に燃え上がらせた。

 着地と同時にそれを振り払い、鎧兜の上から殴り飛ばす。鋼鉄の鎧は一瞬で溶け落ち、素肌を晒す。晒された肌も焼き焦がされ、次の瞬間には全身が燃え上がった。

 かかってくる剣撃や射撃を躱し、体を焼き焦がす鉄拳を叩き込む。だが数が多く、段々面倒になってきた。こういう集団戦闘は、苦手ではないがすぐに億劫になる。

 そこで魔天使は高く跳躍する。自らの両手に炎を宿すと合掌し、炎を合わせた。そうして合わさった炎は巨大化し、宝剣となって燃え盛る。それが地上に叩き込まれると炎が走り、一団を焼いた。

 人をその武装ごと、悲鳴ごと焼き尽くし、灰に変える。降り立った魔天使は、その場で腹を抱えて笑った。炎が焼き尽くし、笑い声が轟く。その様を見たまだ意識の残る兵士は、最期に思った。

 まるで、悪魔のようだ。

 天使とはまるで対極の存在。人を焼き、人の脆弱さを嘲笑う。人の弱さを笑い飛ばす、地獄の悪魔のようだと思いながら、その兵士も燃えていった。

 そんな悪魔の所業を成した元天使は、兵士達から焼け焦げた金銭を奪い取って跳ぶ。翼を失ってもう飛行することは叶わないが、それでもまだ高く跳べる。速く跳べる。

 そうして辿り着いた洞窟に潜り込むと、奪い取った金貨を数える。指でなぞると金貨についた灰が取れ、金色の輝きを取り戻した。輝きを戻した金貨を一枚一枚、懐に忍ばせる。

「今日も殺したのかい? 血の気の多いことだよ。まったく臭くて敵わない」

 洞窟の奥から声が響く。そこにいたのは、全身真っ黒なローブに身を包んだ老婆だった。ローブのせいで顔は見えない。姿も見えない。だが腰が曲がっているのだろうことは、その低身長から察することができた。

「俺を狙ってきてるんだぜ? 殺さなきゃこっちが殺される。奴らが俺を放っておいてくれるなら、俺も隠居できるんだがよぉ」

「嘘を言え、小童こわっぱ。聞いたぞ? 先日おまえ自ら貯蔵庫を襲撃したらしいではないか。何もなければ襲いにかかる。隠居する気などさらさらない」

「あれはおめぇ……酒が欲しくてよ。たまには酔いてぇじゃねぇか。いいだろ? それくらいの略奪はよぉ、許容してほしいぜ」

「無茶苦茶な……まぁそんなおまえに、惹かれた女もいたようだが」

「おぉよ。前の日もデートしてきた。結婚をせがまれたが……する気はねぇからよ。しても俺はあいつと同じ場所にはいれねぇ。だったらおめぇ、あいつが他の男に惚れるのを待つしかねぇだろ。こっちから別れるなんて言ったら、あいつ多分死ぬからよ。そういうんじゃねぇんだ。そういうんじゃ」

「面倒な男だ。それで? 今度はどこに行くのだ?」

「天界の戦争に参加する。あいつらの顔をもう一度拝むのはしゃくだが、玉座に座るのは悪くねぇ。俺が玉座に座って、俺が天界をぶっ壊す。他の奴らなんかにゃ譲らねぇ」

「そうか……なんなら私の目でもやろうか。今まで閉じたことのない目だ。未来を見通すくらいのことはできるが」

「いらねぇよ、んな気色悪いもん。んなものなくったって、俺は負けねぇ。俺は、強いんだ。他の奴らなんか目でもねぇよ」

「……まぁ、善戦するがいい。この戦争、少しはおまえの退屈な人生に水をそそぐだろうよ」

「おぉよ。まぁ期待してな、婆さん。あんたには世話になった。だからもう一度、てめぇに人生をくれてやるよ。てめぇの人生に、水を灌いでやる」

「そうかい。ま、期待しないで待ってるよ」

「……じゃあな」

 それだけ言い残して、洞窟を飛び出していく。そして誰よりも速く、他のどの参加者よりも速く戦争の地へと跳んだ。

 待ってろ天界のクソバカ共。勝つのはこの俺、魔天使よ!


          戦争開始まで、あと八日。

 

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