雨の中のきみ#38
「おはよう、間宮さん」
「おはよう、笹垣さん」
翌朝、ハンカチとトリュフをかわいい紙袋に入れて持ってきた。気に入ってもらえると嬉しいんだけどな。
「間宮さん、これ、昨日借りたハンカチとお礼の品です。よければ受け取ってください」
「そんなの気にしなくてよかったのに」
「わたしがお礼したいと思っただけだから」
「そう? じゃあありがたく受け取る」
間宮さんはわたしが差し出した紙袋を笑顔で受け取ってくれた。そして中を覗き込んでラッピングされたトリュフを取り出す。
「チョコ?」
「うん。チョコトリュフ。口に合えばいいんだけど」
「食べていい?」
「どうぞ」
丁寧に開けられるラッピング。間宮さんはまじまじと手にしたトリュフを眺めてから口に放り込んだ。どうだろうか。反応がない。おいしくなかったのかなあ。わたしが試食したときは大丈夫だったのだけれど、間宮さんの口には合わなかったのだろうか。
「あの、いかがでしょうか」
「うまい。超うまい。もしかして手作り?」
「うん、そうです。やっぱりわかる? 不格好だったかなあ」
「そんなことないよ。うまいしちゃんとできてる。個包装してなかったのとラッピングが緩かったから手作りかと」
鋭いよ間宮さん。そういうところちゃんと見てるんだな。確かにわたしはあまり器用ではないため、そういうところが甘くなってしまう。
「ありがとう」
「どういたしまして」
でもまあ、間宮さんがおいしいって言ってくれたからそれでいいか。
「なあ、他にも何か作れるのか?」
「レシピがあれば大抵のものは作れると思うけど、うち調理器具がそんなにちゃんとそろっていないから、泡だてたりふるいにかけたりするものは作れない。食べたいものでもあるの?」
「うん、生チョコ食べたい。ほら、この時期生チョコって売ってないから」
「わかった。今度作ってくる」
間宮さんのお願いを二つ返事で了承すると満面の笑みが返ってきた。それくらいどうってことのないことだから、いくらでも言って欲しい。生チョコなら昨日買ってきた材料の残りで作れるし。本当のことを言えばザッハトルテとかフォンダンショコラとかガトーショコラとかそういう凝ったものを作りたいけど、うちにはミキサーがないから作れない。
「あ、ごめん」
「なにが?」
間宮さんが何かを思い出したように顔を上げた。なにか謝られるようなことがあっただろうか。
「笹垣さんに借りたハンカチ、持ってくるの忘れた」
「ああ、いいよ別に。気にしないで。なんだったらあげるし」
「すまない。次に会う時は必ず持ってくる」
別にいいのだ。それにわたしのものを間宮さんが持っているというのも悪い気分ではないし。猫がマーキングするときの気分とはこういうも事なのだろうか。わたしが間宮さんと関わったという証を残すかのように、間宮さんの私物にわたしのものを紛れ込ませる。
……一見すると彼女持ちの男に他に女がいることを匂わせる浮気女のようだけど気にしない、気にしない。
「そうだ、今度紅葉狩りしようか」
「どこかに行くのはちょっと」
「そうじゃなくて。大学の中に紅葉の気が群生している場所があるでしょ。そこでお弁当でも食べよう。それくらいの移動なら大丈夫でしょう」
「それはいいな。じゃあ十月の後半くらいにしようか。だが雨の日でもいいのか?」
「東屋があるから大丈夫だよ」
そう言えばわたしが間宮さんとなにか約束をするのは初めてではないだろうか。雨の日に会うというのは約束したわけではなく、わたしが勝手に押しかけているだけのことだ。だから初めての約束。すごく楽しみだ。間宮さんも同じように思ってくれているといいな。
本当のことを言えば間宮さんとやってみたいことや、してみたいことはたくさんあるけれど、それはもうしばらく先までお預けだ。だってまだわたしには足りていない。なにが足りていないかすらわからないのだから。
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