雨の中のきみ#28

「笹垣さんって、バイトしてるんだっけ」

「してるしてる。前に話したことあるかもしれないけれど、引越し屋で荷物運びしてるよ」

「小柄なのにすごいな」

「間宮さんはバイト経験とかある?」

あまり詮索したくないとは思いつつ、間宮さんのことを知りたいという気持ちも十分にあるので聞いてみる。働く間宮さんを見てみたいし。コンビニとかで働いているのであれば、是非見学に行きたい。間宮さんは嫌がるかもしれないけれど。

「バイト経験はないな」

「バイト経験は、ってことは正社員やパートタイムで働いたことはあるの?」

「正社員かどうかはわからないが労働経験はある。あると言っていいと思う。それが自分の義務を果たすという意味であれば」

「自分の義務」

予想外の返球に悩む。自分の義務とはどういうことだ。自分がやるべきこととか、自分がやらなくてはいけないこととか、そういうことだよね? たとえるなら学生が勉強するとか、子供が遊ぶとかそういうこと? でもそれは労働ではないな。労働というのは対価をもらって働くということだ。

「それは労働経験とは言わないと思うよ。それで対価をもらっていたのならあれだけど」

「どうだろう。対価と言えるものはあったし、それで生活していたのだが」

「なら労働かなあ」

「具体的な説明がないから、笹垣さんを混乱させてしまっているのだろうな。すまないがこれ以上の説明は無理だ」

「こちらこそ聞き出すような言い方をしてごめん。ただ間宮さんがどういう過去を持って生きているのか知りたかっただけだから気にしないで」

きっとこれ以上この会話を続けても間宮さんを困らせてしまうだけだから、適当なところで切り上げた方がいいのだろう。他にもっと穏やかに話せることはないのだろうか。

「最近雨多いね」

「もうすぐ梅雨だからな。そうなれば俺は毎日のように笹垣さんと会うことになるだろう。もちろん笹垣さんが嫌でなければ」

「嫌じゃないよ。間宮さんがいるから、最近は雨の日が楽しみだもの。でも雨の日って、どれくらいの雨からいるの? 霧雨とか煙雨とかでも大学に来るの?」

「それくらいだとこないな。道路が混んだり、自転車で移動できないくらいの雨だとここにいる」

そうなのか。今まであまりその辺の切り分けを考えたことがなかったな。

「大学に来るのは朝から雨が降っている時だけ?」

「基本的にはそうだ。夕立とか夜からの雨の時は来ない」

「なんで?」

「秘密だ」

間宮さんはいたずらっぽく笑って紫煙を吐き出す。

むう、そんな顔されたら何も言えなくなってしまうではないか。それもいつか聞けたらいいな。できればわたしが卒業する前に。

「他に聞きたいことはあるか?」

「聞きたいこと?」

「笹垣さんは俺のことが知りたいんだろう?」

どうやらすっかり見透かされていたらしい。ならばとことん聞いてみようか。

「じゃあ、なんでわたし以外の人の目には映らないの」

「そうなのか? 自分では気にしたことがなかったな」

それは嘘だ。特に理由はないけどそうだと思う。だって間宮さんの目は笑っているもの。聞きたいことがあるかとは言いつつ、たぶんそれに対して答える気はないのだろう。なんだか遊ばれているなあ。わたしが拗ねたような顔をしたからなのか、間宮さんはますます笑みを深くする。

「すまない。そう怒るな。俺にも事情があるんだよ。だが一つだけ教えようか」

「なに?」

「俺はね、大事な人を理不尽な暴力から救いたくてここにいるんだ」

「理不尽な暴力」

「そうだ。世の中には時としてそういうことがある」

それなら身に覚えがある。一方的で、理不尽で、残虐な暴力の話。

……。

いや、考えないようにしよう。自分でトラウマスイッチを押す必要はない。それにそういうことが目的なら、やっぱり間宮さんは悪い人じゃないのだ。それがわかっただけでも収穫だと思う。

「なら、わたしもわたしのことを教えてあげる」

「是非に」

「わたしね、間宮さんのことすごく好きだよ」

「それは……どういう意味で?」

「友達になりたいってことだよ」

間宮さんが、嬉しそうな、でも悲しそうな顔をしたのは何故だろうか。でもそれは一瞬で消えてしまって、目の前にはいつもの笑顔。やっぱり間宮さんはわたしとは友達になれないのだろうか。

「ありがとう。俺も笹垣さんのことは好きだ。だけど」

「いいよ、言わなくて。わかっているから」

聞きたくなくて口を挟む。だってこの間その話をした時から状況はなにも変わっていない。だから間宮さんが言っていた、わたしに欠けているものはまだ欠けたままなのだ。それをわたしは自分で見つけるか、時が来て間宮さんが教えてくれるのを待たなくてはいけない。

「困らせてごめん」

「いいよ。間宮さんのことで困るのは嫌いじゃないから」

「……笹垣さんはもう少し男心を学んだ方がいい」

? どういう意味だろうか。わたしはなにかまずいことを言ってしまったのだろうか。だけどそれを聞いたら、ますます呆れられてしまうような気がして聞けない。

男心。

女心ですらわかっているとはいいがたいわたしには難易度の高い話だ。家に帰ったら男心で調べてみよう。少しはなにかわかるかもしれない。

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