雨の中のきみ#12

昔の話。わたしの実家は地方都市の住宅街にある。母親は専業主婦で父親はサラリーマン、三歳下の弟がいる。貧乏ではあったが普通のどこにでもある核家族で、同じ市内に祖父母が住んでおり年に何回か顔を出す。普通の家庭。普通の家族。当たり前の幸せ。一見そう見えるのが我が家だった。その内情は別として。

閑話休題。

昔のことなんて思い出すと反吐が出そうになる。わたしは母親のことも父親のことも好きではない。正直に言ってどちらも嫌いだ。一言で言ってしまえば性格が合わないのだ。もちろん完璧な人間はいないし、完璧な両親もいない。それを踏まえた上でわたしは彼らとはそりが合わない。わたしがまだ子供だからかもしれないし、大人になりきれていないから許すことができないでいるだけかもしれないけれど、それにはまだ時間がかかる。弟のことは嫌いではない。彼も彼らの被害者であるという意識があるからであろう。それと、わたしは姉なのに彼を守ることができずに一人で家を出てきてしまった。本当だったら弟も連れて逃げるべきだったのかもしれない。でも今のわたしに自分以外を養う経済力はない。まだほんの学生でしかないわたしに当時中学を卒業したばかりの弟を守るだけの余力はなかった。

時折お節介な人に『両親と仲直りしなよ』とか『たまには顔を見せに帰った方がいいよ』とか『ご両親も心配しているよ』と言われることがある。まったくもって余計なお節介だ。仲たがいしているわけではく、わたしが一方的に嫌っているだけであって、両親、とくに母親がわたしを心配していることも知っている。しかしだからといって早々実家に行く気にはなれない。またかつての悪夢が再来したらわたしは今度こそ首をくくるだろう。お節介な人に悪気がないことも、ただの親切心であり、一般論を述べているだけであることも最近ようやく理解した。だから言われたときは『そうだね、近いうちに顔を出そうかな』なんて言ってごまかすようにしている。それでその場が丸く収まるならそれでいい。本心など喋っても空気を悪くするだけだし、相手に気遣われるのも煩わしい。だったらなんでもないことのように聞き流して、なにも言わなければいいのだ。

今ではそもそも家族と数年会っていないことを人に言うこともしない。だって言ったら先ほど述べたようなお節介なことを言われるってわかっているから。相手に余計な情報を与えないのも自信を守るすべのひとつだと思う。本心なんてさらけ出す必要はない。相手が誰であろうと、その相手に合わせてそれっぽいことを言っておけばだいたいの人間関係は丸く収まるのだ。それが、わたしが今まで生きてきた中で学んだ処世術だった。

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