雨の中のきみ#11
ある晴れた日にわたしはいつもの通り大学に行く。晴れているから間宮さんはいない。それでも授業があるし、今日はゼミもあるから休むわけにはいかないのだ。
午前中に授業を受けて午後はゼミに向かう。間宮さんはいないとわかっているのにいつもの場所で立ち止まってしまう。間宮さんが晴れの日になにをしているかはわからないけれど、今はまだ深く聞かない。ていうか聞いてもはぐらかされてしまうし。
「今日は認知について説明します。認知とは人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のことをいいます。認知についてウィキペディアにはこのように書いてあります。『感覚や知覚とならぶ深層の心理を表現し、外界にある対象を知覚し、経験や知識、記憶、形成された概念に基づいた思考、考察.推理などに基づいてそれを解釈する、知る、理解する、または知識を得る心理過程、情報処理のプロセスで認知科学では、人間の知的な働きをその応用側から、工学や医学、哲学、心理学、芸術学などの分野または学際分野から総合的に明らかにしようとする。また認知距離という人間が対象となる空間や人間などを認知することができる、人間が自分自身を起点として認知している空間や事象の地理的、心理的な広がりである認知領域内部の事物に対する距離(認知距離)がある。』
とまあこんな感じですが、要するに人が知覚を用いて今までの経験をもとに感じ取る認識、解釈のことだと思ってもらえばいいですね」
淡々とした江藤教授の説明が続く。江藤教授の説明はいつもわかりやすい。最初に長文で説明して、そのあとそれを要約するのが江藤教授の話し方だ。
そこでふと莉々の言葉を思い出す。
「ゼミの先輩に聞いたら誰も間宮さんのこと知らなかったよ」
それを聞いた時はただ間宮さんが最近現れた人だからだと思っていた。でもそうじゃなかったら? 今までもずっとそこにいたけれどただ誰もそのことを認知できないだけであったとしたら? なんて、突拍子もないか。誰の認識にも残らない人間なんてドラマか漫画の中にしかいないだろう。それに少なくともわたしと莉々は間宮さんの存在に気が付いている。他の人だって気づいているけど気にしないだけだ。
いや、待てよ。それを認知できていないというのではないか。そもそも知覚できていないとしたら。知覚とは動物が外界からの刺激を感じ取り、意味づけすることだ。間宮さんの存在に気づいていてもそこに意味づけができていなかったとしたらそれは知覚しているとはいえず、ひいては認知できていないということになる。
……背中を冷たいものが走った。
知覚できていなければそれは記憶に残らないし意識にも止まらない。だとしたらわたしと莉々以外の誰が間宮さんのことを知っていると言えるのだろう。わたしは間宮さんが誰かと話しているところも、誰かが間宮さんの話をしているところも見たことがない。ゼミの友達にだって間宮さんのことを話したことはないし話題に上がったこともない。莉々の先輩たちは誰も間宮さんのことを知らない。間宮さんは、何者なの。
「認知は『統覚』と『連合』の二段階にわかれた処理です。統覚は、風景などの知覚から形を取り出す働きであり、その形が何であるのかを判断する働きが連合といいます。つまりこの両方のプロセスを経て初めて人は物事を認知するわけですね。それらの働きがなければ認知という動作は生まれません。例えば皆さんは毎日乗っている電車からの風景を気にしたことがありますか? 最初は気にしていてもいずれ気にしなくなり知覚しなくなる。それが認知から外れた、という働きになります。脳は新しい刺激には鋭敏ですが、慣れると感覚がマヒして『統覚』と『連合』のそれぞれの働きが鈍くなります。そうやって人は慣れて忘れていく生き物です」
江藤教授の説明は続く。知覚と慣れ。それを聞いてますますわたしはわからなくなる。他の人々は間宮さんを最初から認知していなかったのか。はたまたその存在に慣れてしまって忘れてしまったのか。どちらも有り得そうだけど、どちらかと言えば後者であってほしい。最初から誰にも認知されないなんて怖い話ではないか。
では何故わたしと莉々は間宮さんを認知できたのか。よくよく考えてみると最初に間宮さんを気にしだしたのはわたしで、莉々はわたしからその話を聞いて意識したから気づくことができたのではないか。つまり間宮さんを認知できたのはわたしだけではないのか。
まさか、そんな。間宮さんは目立つ人ではないし、友達がいるわけでも、授業に出ているわけでもないから誰も気にせず話しかけないだけだ。だから誰も『間宮月夜』を個人として認知していない。ただそれだけのことだ。
自分で思いついた勝手な発想で間宮さんを怖いと思うなんてどうかしている。そんなことで彼の正体を探ろうなんて馬鹿げた話だ。なんとなく間宮さんに申し訳ない気持ちになった。間宮さんはどこにでもいる普通の人でなんとなく印象が薄いなんだ。たまたま近くにある大学の喫煙所に煙草を吸いに来ているだけで普段はきっと普通に生活をしているに違いない。あまり深く追求しないでおこうと決めたばかりじゃないか。間宮さんが嫌がることはしたくないし、嫌われるようなこともしたくない。ゆっくり仲良くなって、それで卒業までには友達になれればいい。でもなんとなく怖くて、ゼミのあと友達や江藤教授と話している時、間宮さんのことを聞くことはできなかった。
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