雨の中のきみ#8

「莉々はさ、好きな人とかいるの?」

「いない。いまそれどころじゃない」

「だよねー。論文書き終わりそう?」

「終わらないと思ったら書けなくなりそうだから考えないようにしてる」

ある晴天の日の大学の図書館にて。莉々と勉強をしていた。わたしは授業の復讐と予習。莉々はゼミの論文の作成。わたしと莉々は学科もゼミも違うので受けている授業もだいたい違う。同じなのは全学課共通の言語学や統計学くらいだろうか。だから一緒に勉強する意味なんてないのだけれど、腐れ縁的ななにかの力により一緒に勉強することが多い。

「莉々は最近間宮さん見た?」

「見てない。だって晴れてるじゃん」

「そうだよね。わたしも見てない。晴れの時はなにしてるのかな。やっぱり学生じゃないんだろうな」

「ゼミの先輩に聞いたら誰も間宮さんのこと知らなかったよ」

「そうなんだ? ってことは最近やってきた人ってことか。そういえばわたしも二年生の途中まで気づかなかったしなあ」

そう思い返してみるとわたしが間宮さんに気づいたのは二年生の時の夏くらいだろうか。大学に向かっている途中で大雨が降ってきて慌てて構内に飛び込んだらそこに背の高い黒っぽい人が立っていた。だからその人は雨宿りしているのかなって思ってそれくらいの意識でしかなかった。その後ちょいちょい雨に日に見かけるようになって雰囲気の柔らかさや、長い指が気になって……そんな感じで間宮さんを意識するようになったんだっけか。

「やっぱり由依は間宮さんのこと好きなんじゃないの」

「だからそういうのじゃないって。友達になりたいの」

「じゃあなんでわたしに好きな人がいるかどうか聞いたのよ」

「それは……。なんでだろうね。莉々が忙しそうにしてたからちょっかいかけたくなった」

「張り倒すわよ、あんた」

莉々が本気で嫌そうな顔をしている。ごめんと謝ってそれで許してもらう。

でもそうだね。なんでわたしは莉々にそんなこと聞いたのだろう。わたしは間宮さんが好きだ。でもそれは恋愛感情ではなく親愛とか友愛とかそういうものだ。間宮さんとキスをしたいとか手をつなぎたいとかそういうことは一切思わない。だというのに莉々にそんな話をしてしまったのは何故。

ああ、あれかな。この間間宮さんが憧れの人がいるって話をしていたからかな。他人に興味のなさそうな間宮さんがそんな風に誰かのことを話すのは初めてだった。だからそのことに違和感を抱いたのかもしれない。優しいけど優しくない間宮さんが思うのはどんな人なのだろうか。背の高い間宮さんだから相手の人もすらっと背が高いのだろう。ちびっ子の自分には縁遠い話だ。

そのことに対してなにも思わないわけじゃない。だけどそれに対する感情に名前を付けることができないでいる。莉々ならなんと呼ぶだろう。それを愛とか恋とかいうのだろうか。そんな簡単なものじゃないのだけれど、世の中意外と単純だから、そう呼ばれてしまうのかもしれない。でももしかしたら本当にそんな簡単なことで、わたしが難しくしようとしているだけなのかもしれないな。

思考と文章はシンプルに、というのが江藤教授の口癖だ。そうだ。だからもっと簡単に考えてみよう。わたしは間宮さんと友達になりたい。それ以上でもそれ以下でもない。ただそれだけのこと。間宮さんの憧れの人が気になるのは、あまり間宮さんぽくない思考だから気になるだけだ。

「莉々は誰かのことを好きになったことある?」

「由依のことは比較的好きだけど」

「わたしも莉々のこと好きだよ」

「そりゃどうも。はぐらかしたつもりだったんだけど、回答としてそれで当たってた?」

「うん、問題ない。好きには愛とか恋とかもあれば友情とか親愛もある。それでいい」

そう、それでいい。それ以上でもそれ以下でもないのだから。

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