雨の中のきみ#3
そして待ちに待った雨の日。いつもより少しおしゃれをして、いつもより少し早い時間に家を飛び出る。そしていつもの場所に彼はいた。大丈夫、落ち着いて。普通におはようと声をかければそれでいい。
「あの、おは、おはようございまひゅ!」
……思いっきり噛んでしまった。恥ずかしい。彼は一瞬ぽかんとした後、とん、と煙草の灰を灰皿に落として首をかしげる。
「それ、俺に言ってる?」
「え、はいそうです。あなたに挨拶をしました」
「……きみ確かこないだ煙が目に入っちゃった子だよね。あの時はごめん」
「いえ、お気になさらないでください。わたし笹垣由依と言います。あなたの名前を聞いてもいいですか?」
一見わたしは落ち着いてしゃべっているように見える。でも本当はどっきどきのばっくばくなのだ。莉々が傍にいたら笑うに違いない。それくらい緊張していて落ち着かなくて、訳が分からなかった。わたしはちゃんとまっとうな日本語を話せているのだろうか? 彼は不審に思っていないだろうか。変な奴だと思われていないだろうか。
「俺の名前知りたいの?」
「はい知りたいです」
「それはなんで?」
なんでってそりゃ、あなたのことが知りたいから、あなたに興味があるからです。でもそれを簡単に言ってしまっていいのだろうか。興味本位で他人に接触するような奴だと思われてしまうのではないだろうか。今のところ彼から嫌われることでわたしにデメリットはない。共通の知り合いがいるわけでも、同じ時間を過ごしたわけでもないからだ。それでもできれば嫌われたくはない。
「答えられないような理由?」
「理由を言ってしまったら嫌われてしまうかもしれません」
「そもそも知り合いでもなんでもないから嫌うもなにもないと思うけど」
「では、あなたのことが知りたいからです。あなたと友達になってみたいからです」
ああ、言ってしまった。これで拒否されたら凹むなあ。でも彼は相変わらず不思議そうに首をかしげたままだ。これは拒否されてるわけではないのだろうか?
「なんで俺と友達になりたいの?」
「気になったからです。雨の日だけ大学に現れて授業に出るでもなくここで煙草を吸っているだけの人がどんな人なのか知りたいと思ったからです」
「ふうん? よくわからないけど、そうなんだ。友達かあ。いたことないからよくわからないんだけど、友達ってなにをする人?」
「一緒にごはんを食べたり雑談したり並んで歩く人のことですよ」
「俺はそういうのできないけど」
できない? それはどういう意味だろうか。まさか地縛霊みたいにその場から動けないわけじゃないよね? ならば一体なにを言いたいのだろう。やっぱりただ拒否されているだけなのだろうか。
「あの、名前教えてもらえませんか」
「まあそれくらいならいいか。俺の名前は間宮月夜。きみは笹垣由依って言ってたよね」
「間宮さん、ですね。ありがとうございます。覚えました」
「ところで笹垣さん、授業はいいの?そろそろ一限の時間だけど」
「あ、やば。一限終わったらまた来ます、間宮さん、また後で!」
「ちょ、笹垣さ、」
時間が本当にぎりぎりだったので間宮さんの静止を聞かずにその場から離れる。
間宮月夜。
月夜ってすごくきれいな名前だ。黒髪黒目の間宮さんにはぴったりの名前だと思う。結局友達にはなれなかったようだけど、それでも名前を聞けただけで十分嬉しい。今度から名前を呼んで声をかけることができるようになる。それにしても間宮さんは本当に近しい人がいないみたいな口ぶりだった。やっぱり一人で生きているのだろうか。一限の授業中はずっとぼんやりとそんなことを考えて過ごしていた。
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