第十の掟

「第十の掟。魔法使いは、この世にただ一人となるべし」

「魔法使いは、この世にただ一人となるべし」

「これは最も重要な掟だ。魔法使いというものは、孤独こどくをおそれてはいけないんだ」

「友達を作っちゃいけないの?」

「そういう意味じゃない。ぎゃくに、この世にただ一人にならないと、友達は作れないよ」

 どういうことだろう。あたしが首をかしげていると、お父さんは笑って続けた。

「例えば美由は、友達と意見が食いちがってしまったら、どうする?」

「……あたしがまちがってるのかなあ、ってなやむと思う」

「そうか。まあ、そういう人もいるが、世の中には『相手がまちがってる!』と決めてかかる人も同じくらい大勢いる。中には悪い魔法使いというのがいて、あの手この手で人をあやつり、自分の意見にしたがわせようとするから、気をつけなければいけない」

「悪い魔法使い?」

「そうだ。彼らは魔法を悪用して、ねらった相手を、自分と同じ考え方をするコピー人間に作り変えてしまうんだ」

「コピー人間……」

「別な言い方をするなら、魔法奴隷どれいだな。悪い魔法使いは、周りじゅうの人を自分のコピー人間にして、一つの魔力集団を形成するんだ。その集団は、一見よくまとまった良い集団に見える。でも、それは独裁どくさい国家みたいなものだ。一人の権力者けんりょくしゃの周りに、たくさんの奴隷が集まっただけだ。みんなきらわれるのがこわくてびくびくしているおくびょう者ばかりで、だれ一人おたがいを友達とは思っていない」

 なんとなく分かる気がした。思えば、学校にはそういうグループがたくさんある。

「こうした魔力集団は、自分たちにしたがわない他の魔力集団や個人を、こうげきせずにはいられない。もともと他人を魔力でこうげきして、したがわせることで作られた集団だからだ。そういう魔力争いは今も世界中で起こっている。一番大きいのが、戦争だ」

「人間どうしの争いは全部、魔力で他人をコピー人間にしようとして起こってるの?」

「その通りだ」

 これはすごい話だ。口げんかから戦争まで、全ては魔力のしわざだったのだ!

「魔法使いは、世界の幸せのために働かなくてはならない。だから、そんな集団の一員になってはいけないんだ。独裁者や奴隷たちは、意見のちがう者をおそれる。でも正しい魔法使いは、他者との違いをおそれず、尊重そんちょうするんだ」

「それが『ただ一人になる』ってことなの?」

「そうだ。だれのコピーにもならず、自分のコピーも作らず、この世にただ一人の、独立した人間になることだ。そういう人間どうしだけが、本当の友達になれるんだよ」

 なるほど──と、あたしは大きくうなずいた。が、同時に一つの疑問ぎもんも生まれた。

「でも、この掟を守っていれば、悪い魔法使いにはならないはずでしょ? だったらどうして世の中には、悪い魔法使いなんてものがいるの?」

「それはね、美由。全ての魔法使いが掟を知っているわけじゃないからさ」

「え?」

 どういうことだろう。魔法使いになるには、掟を知らなければいけないんじゃなかったのか。あたしがそう考えると、お父さんは魔法でその気持ちを読み取って答えてくれた。

「世の中には、三種類の人間がいるんだ。まず、全く魔法を使えないふつうの人たち。次に、魔法をよく知っている〈正式な魔法使い〉。最後に、〈名無しの魔法使い〉だ」

「名無しの魔法使い?」

「うん。〈正式な魔法使い〉のやることを見てまねしてるうちに、独学で魔法を覚えた人たちのことだよ。ちゃんと先生について教わっていないから、全部の魔法は知らないし、気まぐれに魔法を使ったり使わなかったりする。当然、魔法の名前も付けてもらっていない。だから〈名無しの魔法使い〉っていうんだ」

 なるほど、無免許の魔法使いみたいなものか。

「それで掟も知らないんだ……」

「そうだ。でも、必ずしも全員が悪い魔法使いになるわけじゃない。むしろ良い魔法使いばかりだよ。ふつうの人たちと同じように、常識や道徳心があるからね。お父さんだって、お母さんと出会って〈正式な魔法使い〉にしてもらうまでは、〈名無しの魔法使い〉だったんだよ」

「そうなの?」

「うん。まさか自分が魔法使いだとは夢にも思ってなかった。つまり〈名無しの魔法使い〉には、魔法を使っているという自覚がないんだ。だから魔法がうまくなると、つい調子に乗って悪いことをしてしまう人も出てくる。魔法で人をいじめて楽しんだり、コピー人間にして利用したりね。なにしろ自分に強い魔力があるとは知らないから、『みんなもそうすればいいのに』とか、『あやつられるほうが悪い』とか、そんなふうにしか思っていないんだよ」

「できない人たちの気持ちが分からないんだ……」

「そういうことだ。しかも、そもそも魔法使いの義務を知らないから、人を幸せにしようという発想もない。相手がどんなにいやがっていても、お構いなしだ」

「こまるなあ。そういう人たちにこそ、ちゃんと魔法を教えてあげればいいじゃん」

「学ぶ準備ができていればね。でも、悪い魔法使いになってしまうような人は、たいてい準備ができてない。いつも人をバカにしてるから、誰かを『先生』だと思ったりできないんだ。そういう人に無理やり魔法を教えても、そもそも魔法の存在を信じないだろう。だからもう、放っておくしかないんだよ」

 そうか。あたしが魔法の存在をすんなり信じたのは、お父さんの話だったからだ。知らない人が急にこんな話をしてきても、たぶん聞く耳を持たなかっただろう。

「あーあ。世の中の親がみんな〈正式な魔法使い〉だったらよかったのに……」

「本当にそうだね……。でも、人間がみんな魔法に耐えられるわけじゃない。さっきも言った通り、もし心の弱い人に魔法を教えたりしたら、その人は世界がこわくて生きていけなくなってしまうだろう。人にはそれぞれ、どうしても超えられない『能力のかべ』がある。だから、世界中が〈正式な魔法使い〉になるなんてことは、ありえないんだよ」

「うーん……。でも、悪い魔法使いにだって、魔法に耐えられる心の強さはあるんでしょう? だったらその親もそうなんじゃないの? なんで先祖代々〈正式な魔法使い〉じゃないの?」

「それはね、心の強い人の親が、必ずしも心が強いとは限らないからだよ。弱い親から強い子が生まれることもあるし、その逆もある。だから、ふつうの人の子供が〈名無しの魔法使い〉になったり、〈名無しの魔法使い〉の子供がふつうの人になったりする。そういうものなんだ。美由だって、もし〈正式な魔法使い〉にならないと決めれば、お父さんとお母さんの子供なのに、ふつうの人か、〈名無しの魔法使い〉になるんだぞ」

 ああ、そうか……と思いかけて、あたしはすぐに気がついた。

「でもさあ、あたしはもう掟を全部知っちゃってるわけじゃん? だったらもう、ふつうの人とも〈名無しの魔法使い〉ともちがうでしょう? だから、もし〈正式な魔法使い〉にならなかったとしても、掟を破る心配はないよ」

「だめだ。魔法のことは秘密なんだから。もし美由が〈正式な魔法使い〉にならないと決めたら、この話は全部なかったことにする。今夜の記憶を美由の心から完全に消し去って、二度と思い出せないようにする。そういう魔法があるんだ」

「ええー!」

 どうしよう。あたしは悪い魔法使いになんかなりたくない。でも、もし〈名無しの魔法使い〉になったら、知らないうちに掟を破ってしまうかもしれないのだ。ここであたしは、今夜一番の心配事について質問してみた。

「じゃあ……、もしさあ……、もし掟を破ったら……、どうなるの?」

 するとお父さんは、今夜一番の真剣な顔をしてこう答えた。

「全て自分に返ってくる。人に悪い魔力をぶつければ悪い魔力が返ってくるし、人の心を見破らなければ魔法に失敗するし、自分の心を決めつければ〈シャドウ〉に支配される。そして、魔法で人を不幸にすれば、その分だけ自分も不幸になるんだ。これは魔力の法則みたいなもので、必ずそうなってしまう。この世には魔法警察けいさつも魔法裁判所さいばんしょもないけれど、魔法のばつは自動的に下されるようにできてるんだよ。〈名無しの魔法使い〉はそれと知らずに掟を破るから、どんなに罰を下されても自分が原因だとは気付かない。そうしておいて、『この世はひどい場所だ』とか思っていたりする。残念だが、これもしかたのないことなんだ……」


 ──祭壇の前に沈黙ちんもくが流れた。お母さんの写真があたしを見つめている。ともすれば混乱しそうな頭を、オレンジのアロマがすっきりさせてくれていた。お父さんの話はよく分かった。人は一人では幸せになれない。幸せになろうと思ったら、周りの人を幸せにしなければならない。反対に、周りの人を不幸にすれば、悪い魔力にかこまれて、自分も不幸になるというわけだ。なんてあたりまえの話だろう。あたしは何度もゆっくりうなずいて、今夜のお父さんの話を全て飲みこんだ。

「……分かった」

「よし」

 そう言うとお父さんは、再びあたしの両肩を持ってくるりと自分のほうへ向き直らせた。

「さあ、これで掟は全部だ。ちゃんと覚えてるか?」

「ええと……」

 あたしは指を折りながら、掟を最初から順に一つずつ思い出していった。

「魔法のことは秘密、準備のない者に教えるな、魔法の名前は名乗っちゃだめ、いつも心安らかでいろ、受けた魔力は返せ、人の心を見破れ、人の心を決めつけるな、自分の心を見破れ、自分の心を決めつけるな、この世にただ一人となるべし!」

「よろしい。言っとくけど、これをノートに書いたりしちゃだめだよ。秘密なんだからね」

「あ、そっか。分かった」

「じゃあ、今夜はここまで。あとは美由が自分で考えて、魔法使いになるかどうか決めなさい。たんじょう日になったら、決心を聞くからね。あと一週間あるから、じっくり考えるんだぞ」

「はい」

「じゃあ、今日はもうおふろはいいから、歯をみがいて、おやすみ」

「うん」

 ──これが、その夜の出来事だった。

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