三月の儀式「魔法使いのたんじょう日」

第一日

 ふとんに入っても、なかなかねつけなかった。あたしは今夜、重大な人生の分かれ道に立ったのだ。正直、うれしさよりも不安のほうが大きい。さっきまでは「魔法使いになる」と決めていたのに、一人になったら、とたんにこわくなってしまった。

 魔法使いになるか、ならないか。それは、自分の力で幸せになるか、人に幸せにしてもらうかという問題だ。あたしは今まで、幸せというのは、まどべでひなたぼっこするようなものだと思っていた。あまいおかしを食べるようなものだと思っていた。でも、それだけではなかったのだ。野生動物のように油断なく他人の心に気を配ったり、「こんなの自分じゃない!」と思うほどいやな自分をみとめたり、ときには悪い魔法使いと戦ったりして手に入れる、そういう幸せもあったのだ。それはきっと、ひなたぼっこやおかしなんかより、ずっと素晴らしいものなのだろう。心の強い人間ほど幸せになれる──、それがこの世界の法則だったのだ。

 小さな幸せでよければ魔法なんか必要ない。ふつうの人として生きればいい。でも、せっかく魔法使いのむすめとして生まれてきたのに、それではもったいない気もする。あたしは強くなれるだろうか。魔法を知ったら、どんな世界が見えるのか、あたしはまだ何も知らない。何も知らないまま、どちらかを選ばなければならないのだ。なんてむずかしい問題だろう。

 でも、あたしにはお父さんがついている。お父さんが教えてくれるんだから、魔法だってこわくないはずだ。それにあたしは、放っておいてもお父さんのまねをして自然に魔法を覚え、〈名無しの魔法使い〉になる可能性が高い。そうしたら、うっかりおきてを破って痛い思いをするかもしれない。だったらちゃんと〈正式な魔法使い〉になったほうが安全だろう。

 なにより、幼稚園ようちえんのころあんなになりたかった魔法使いになれるのだ。素直に「なる」と言えばいい。考える必要もないくらいだ。なのに、あたしは何を迷っているんだろう。どうしてこんなに自信がないんだろう。魔法使いになることを考えるだけで、なんだかむねがざわざわして、心にブレーキがかかった感じになる。不思議だ。この感覚は一体何なのだろう……。

 そんなことを、あたしはねても覚めても考え続けた。朝起きて顔をあらってるときも、朝ごはんを食べているときも、通学路を歩いてるときも、教室で授業を受けてるときも、休み時間も、放課後も、帰り道を一人で歩いてるときも──。そうやって考えながら家につき、げんかんのドアを開けると、今日はお父さんが先に帰っていた。お父さんの黒いくつの横に、女物の赤いくつがそろえて置いてある。お客さんが来てるらしい。「ただいまー」と声をかけたが返事がない。居間のほうから楽しそうな話し声がする。居間の手前にある和室のふすまを開けると、中は真っ暗だった。夜なのになんで電気がついてないんだろう。手さぐりでスイッチを入れる。こわれているのか、なぜか電気がつかない。しかたない、祭壇さいだんのライトをつけよう。和室を横切り、手さぐりで祭壇の横にあるスイッチをカチッとおす。ぱあっと光が満ちあふれた。お昼だ。居間のほうを見ると、お父さんとお母さんがソファにすわり、紅茶こうちゃを飲みながら笑顔でおしゃべりしている。あたしはあわてて祭壇のかげにかくれた。見つかってはいけない。だってあたしはまだこの世に生まれていないのだから。気付かれないうちに早くにげなくちゃ。でも今立ち上がったら見つかってしまう。むねがどきどきする。でも、あたしは透明とうめいなのでだいじょうぶかもしれない。自分が鏡にうつるかどうか確かめたい。祭壇の上にはいつものように、花と、アロマキャンドルと、写真立てが置いてある。そうだ、写真立てのガラスにうつしてみよう。そうっと手をのばして写真立てを取る。ひっくり返してみると、入っていたのはあたしの写真だった。写真のあたしが口を動かして言った。──あんたなんか、魔法使いにはなれないよ──。


 今朝は変な夢を見た。あんまりよくねむれていない。まあ春休みだし、一日中ねぼけていてもだいじょうぶだ。お父さんは魔法のことを一言も言わない。いっしょに朝ごはんを食べている間も、「今日はどうするの?」とか、ふつうのことしか言ってこない。なんだか昨日のことまで夢だったような気がしてくる。あたしが「今日は新学期用の新しいノートとか体育着とかうわばきとか買いに行く」と言うと、「午後の三時ぐらいまでには帰るんだよ」と言ってお金をくれた。あたしは仕事に出るお父さんを見送り、お皿をあらい、お店の開店時間を見計らって、十時ぐらいに家を出た。


 産業道路ぞいの大型ショッピングモールにはいろんなお店が入っている。ここのスポーツ用品店に学校指定の体育着とうわばきが置いてあるから新学期までに買ってもらっておくようにと、終業式の日に先生から言われている。あたしが四年生まで通っていた市立かしわ小学校は、少子化で児童数が減ったため、新学期からとなり町の桜谷小学校と合併がっぺいすることになった。合併というのは二つの小学校が合わさって一つになることだけど、実質的には柏小がなくなって桜谷小に吸収きゅうしゅうされるかっこうだ。そういうわけで元柏小の子供だけ、新しく桜谷小の体育着やうわばきを買い直さなくてはならないのだ。

 スポーツ用品店に入ると、「お、せたかみゆー」と声をかけられた。学校の仲良しグループの久里戸くりど歩音あゆねちゃんだ。お母さんといっしょに来ていた。歩音ちゃんはいつもふざけてあたしの名前をこんなふうにフルネームでよぶ。以前「なんで?」ってきいたら、「面白いから」と笑ってはぐらかされた。歩音ちゃんのお母さんに「こんにちは」とあいさつすると、「一人で来たの? えらいわねえ」とほめられた。

 買い物をすませてお店を出ると、歩音ちゃんが「このあとどうすんの?」ときいてきた。

「新しいノートとかえんぴつとか、あと手さげカバンとか買おうと思ってる」

「なんだ、じゃあいっしょに行こうぜ。あたしも手さげ買うから」

 そう歩音ちゃんにうながされて、いっしょにファンシーショップへ行くことになった。歩音ちゃんのお母さんは、「二人でだいじょうぶよね?」と言って、お店の前にあったタバコをすうためのブースに入って行く。あたしたちは二人だけでお店に入り、手さげやポーチのコーナーを見つけて、あれこれ手にとって選び始めた。あたしは今使ってるアニメのキャラクターの手さげが子供っぽくていやだったので、無地のシンプルなトートバッグを選んだ。あたしの好きな薄黄色うすきいろのやつで、ちょうど一個しか残っていなかった。あたしはそれを買い物かごに入れた。するとその瞬間しゅんかん、「せたかみゆー!」と歩音ちゃんがあたしの名前をよんだ。

「じゃーん!」

 歩音ちゃんはそう言って、笑顔でピンクの手さげをかかげて見せた。どこかのご当地キャラクターのイラストが入っている。うちの地元のじゃないけど、全国的に有名なキャラクターだ。あたしの好みとはちがうけど、歩音ちゃんは気に入ったらしい。

「いいんじゃない?」

 とあたしが言うと、歩音ちゃんはその手さげをあたしに持たせ、自分もその色ちがいのやつを持ってきて、「でしょ?」と大きな鏡の前にあたしとならんで立ってみせた。

 歩音ちゃんはかわいい。学年で一番だと思う。こうやってポーズを取ると、まるで雑誌ざっしのキッズモデルみたいだ。その横で同じように手さげを持って立つあたしは、ダンゴっ鼻だし、目は小っちゃいし、お世辞にもかわいいとは言えない。歩音ちゃんの友達はみんなかわいい子ばかりなのに、どうしてあたしなんかと友達でいてくれるのか、本当に不思議だ。

「じゃあこれにしよう」

 と歩音ちゃんが言う。もう決定したよ、という感じの声だった。ああ、おそろいで買おうって言ってるのか。あたしはやっと気がついて、だったらこれでもいいかな、という気になった。あたしはご当地キャラクターの手さげを買い物かごに入れた。次は文具だ。歩音ちゃんは買わないみたいだったけど、「これかわいい」とか言いながら付き合ってくれる。とちゅう、一回だけ「ちょっとトイレ」と言ってどこかへ消えた。あたしは無地のシンプルなノートやえんぴつを選び、もどってきた歩音ちゃんといっしょにレジへ向かった。

 レジでお金をはらっていると、歩音ちゃんの買い物かごの中に、さっきあたしが買おうとした薄黄色のトートバッグが入っているのに気がついた。ご当地キャラクターの手さげは入っていない。歩音ちゃんは「ああ、これ? 気が変わっちゃった」と言ってかわいく笑う。あたしは「そうなんだ」とあいまいに笑い返した。

 ファンシーショップを出ると、歩音ちゃんのお母さんが薄黄色のトートバッグを見て「あら、いいの選んだわね」と軽くほめた。「でしょ?」と歩音ちゃんはうれしそうに笑った。

「これから上のレストランに行ってハニートースト食べるんだけど、美由ちゃんも来る?」

 ふいに歩音ちゃんのお母さんにたずねられて、あたしはわれに返った。すると、歩音ちゃんがかたごしにこっちをふり返り、無表情な目で「どうする?」と聞いてきた。

「……ああ、あたし、まだ買うものあるから」

 あたしはうそをついた。理由はない。歩音ちゃんはぱっと笑顔になって、

「そっか、残念。じゃあまたね」

 と言って肩ごしに手をふる。あたしも「じゃあね」と手をふり返し、ならんで去っていく二人のせなかを見送った。


 その後あたしは、特に用もないのにショッピングモールの中をぶらぶらうろついた。過疎かその町とは言え、お客さんは大勢いる。品ぞろえのいいお店が他にないからだ。春休みだけあって子供連れのお母さんも多い。あたしはぼんやり考えた。せっかく夢の中でお母さんに会えたのに、なんでこそこそかくれたりしたんだろう。あれは、あたしが生まれる前の世界だったんだろうか。それともあたしが死んだ後の世界だったんだろうか……。ふいに夢の中で感じた居心地の悪さがよみがえり、その場からにげるように歩を早めた。

 自然と足が向かったのは、いつもアロマキャンドルを買うオーガニック専門店だった。祭壇の引き出しにはまだたくさんストックが残っているので、別に今日買い足しておく必要はなかったんだけど、一個だけ買って、家に帰った。夕方になり、夜になった。──第一日。


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