第八の掟

「第八の掟。自分の心を、できるだけ見破らなければならない」

「自分の心を、できるだけ見破らなければならない」

「これは、魔法から身を守るための心構えだ。自分の心を気にかけない人間は、かんたんに魔法にかけられてしまうし、魔法にかかっていることにも気付けないからね」

 なるほど、今度は防御魔法だ。これは大事なことだな、と思った。魔法で人にあやつられるのは、やっぱりこわい。防ぐ方法があるなら、一安心だ。

「いつも自分の心を見破っていれば、絶対に魔法にかからないの?」

「りくつではね。でも、絶対にってことはありえないな。自分の心を全て見破りつくすなんて、とても無理だから。人間である以上、どうしても自分の心を無視することはある」

「自分の心を無視? そんなことってあるの?」

「あるさ。人間だれしも『理想の自分』を持っているからね。理想とちがうことをやってしまったり、考えてしまったりしたとき、人間の心には『こんなの自分じゃない!』という、すさまじい拒絶反応きょぜつはんのうが起こるんだ。すると人間は、そういう自分の考えや行動そのものを無視してしまう。そうして、無視したことさえ忘れてしまうんだ」

「ええー……?」

 にわかには信じられなかった。自分のしたことや考えたことを、自分の意志で忘れるなんて、そんなことが本当にあるんだろうか。

「『こんなの自分じゃない』って思った、ってことも、忘れちゃうの?」

「そうだ。思った瞬間に忘れてしまう」

「信じられない……」

「うん。不思議な現象だね。でも、例えば、『とても大事なことなのに思い出せない』なんてことはないかな? そういうところをよくさがすと、心のひびわれが見つかるかもしれないぞ」

「心のひびわれ?」

「そうだ。ほら、氷山の話を思い出してごらん。──〈考え〉は、〈気持ち〉の上をあちこち歩き、氷にうつった出来事や、自分のすがたを見て回る。ところがときどき、理想とちがう自分を見つけて、『こんなの自分じゃない!』と思ったとしよう。するとその瞬間、足元の氷がバコッとわれるんだ」

 あたしが想像の氷山にぼんやり立っていると、とつぜんはげしいゆれが起こり、足元の氷がバコッとわれた。

「うわあ!」

 と、あたしはおどろいて飛び退いた。向こう岸がゆっくり遠ざかっていく。

「ひびわれは一本ではすまないぞ。『こんなの自分じゃない!』と思うたびにどんどんふえて、〈考え〉のおよぶ範囲はんいは、どんどんせばめられていくんだ」

 お父さんの言葉通り、足元に、バコッ、バコッと、どんどん新しいひびわれが発生した。あたしはそのたびに後ろに飛び退いてにげたが、とうとうしりもちをついてしまった。ようやくゆれがおさまり、おしりをなでなで立ち上がると、目の前には、一番大きなひびわれが、真っ青な口を開けていた。底も見えないほど深く、向こう岸は何メートルもはなれている。

「〈考え〉は、このひびわれを飛びこえることができない。つまり、ひびわれの向こう側にうまっている記憶は、もう思い出せなくなるんだ」

 想像の氷山は、ひびわれだらけで、痛々しかった。自分の〈気持ち〉がこんなふうになってしまったら、きっとつらいだろうな、と思った。

「氷がきずだらけだね……」

「その通り。このひびわれは、心のきずそのものだ。人間は、あまりに深くきずついたとき、その痛みを感じないように、こうしてひびわれを作って〈考え〉を遠ざけるんだよ」

「へええ……」

「さて、こうして美由の心には、四つのエリアができたわけだ」

「四つ?」

「そう。氷山を上から見ると、一番手前のひびわれと〈理解の地平線〉が交わって、ちょうど田んぼの『田』みたいになっている。人間の心は、こうして四つに分かれているんだ」

 あたしは再び想像の氷山の上に立ち、真ん中の一番高いところまで登ってみた。見わたすと、東半分はひびわれだらけ、西半分は歩き回れる氷原だ。そして、〈理解の地平線〉をへだてて、南半分は太陽の光をあびて明るく、北半分は暗い影になっている。北西・南西・南東・北東。以上、四つのエリアだ。

 お父さんは、あたしが想像し終わるのを待って、話を続けた。

「一番目は〈秘密のエリア〉。〈理解の地平線〉の向こうの、歩ける場所。ここは、他人には見えず、自分だけが入れる、いわば『心の王国』だ。美由以外、だれも知らない小さな国だよ。そこでは自分は王様で、想像の中でだけなら、何だって思い通りにできるんだ」

 そう言われて、あたしは氷山の北西を見下ろした。そこは、暗かったけど、落ち着く暗さで、あたしの部屋のつくえやいす、本だな、洋服だんす、クッション、ベッドやなんかで作られた、かわいいお城が建っていた。小さいころ遊んだ、なつかしいおもちゃもいっぱいある。どれもあたしのお気に入りのものばかりで、いかにも居心地がよさそうだった。

「二番目は〈開放のエリア〉。〈理解の地平線〉のこっち側の、歩ける場所。ここは、自分も他人も入ることができる、いわば『心の公園』だ。人はだれかとコミュニケーションを取るとき、必ずここを相手に向ける。だからみんな、このエリアだけはきちんと整えて、見られてもはずかしくないようにしているね」

 そう言われて、今度は氷山の南西を見下ろしてみた。そこにはゴミ一つ落ちておらず、学校のつくえやいすが整然とならんでいて、校庭の遊具も置いてある。真っ白な氷原は太陽の光をあびてきらきらかがやき、とってもきれいだった。あそこで友達と遊んだら、楽しそうだ。

「三番目は〈盲点もうてんのエリア〉。〈理解の地平線〉のこっち側の、ひびわれだらけの場所。ここは、自分からは見えないのに、他人からは丸見えになっている。つまり『心の死角』だ。魔法使いは、ここをねらって魔法をかけてくる。気をつけないとずかずか上がりこまれて、心を好き勝手に作り変えられてしまうぞ」

 そう言われて、あたしは氷山の南東に目をやった。すると、なんと知らない人たちがボートで乗り付け、岸辺を勝手に遊び場にしていた! テントを張っている人や、雪だるまを作っている人、ひびわれに糸をたらしてワカサギつりを楽しんでいる人なんかもいる。あたしの心の上なのに! 想像とはいえ、とてもいやな気持ちになった。

「四番目は〈未知のエリア〉。〈理解の地平線〉の向こうの、ひびわれだらけの場所。ここは、自分も他人も入れない、『心の暗闇くらやみ』だ。何がひそんでいるか分からないぞ。こういう場所を放っておくと、自分で自分の〈気持ち〉が理解できなくて苦しむことになるし、それをだれも助けてあげることができない。人間の心の中で、一番危険きけんな場所だ」

 そう言われて、最後に氷原の北東を見下ろしてみた。そこには深くきりが立ちこめており、おくに行くほど真っ暗で、目をこらしても何も見えなかった。自分の心の上なのに、なんだか知らない土地のようで、すごく不気味だった。

「さあ、人間の心の四つのエリア、全部覚えてるか? 安全な順に言ってごらん」

 いきなり現実に引きもどされ、あたしは新しく覚えた言葉をいっしょうけんめい思い出そうとした。てんじょうには、祭壇のライトの四角い光が、ぼんやり二つならんでいる。

「ええと……、一番安全なのが、自分だけが入れて、他人は入れない〈秘密のエリア〉」

「そうだ」

「次に安全なのが、自分も他人も、みんな入れる〈開放のエリア〉」

「正解」

「あぶないのが、自分は入れないのに、他人は勝手に入れちゃう〈盲点のエリア〉」

「その通り」

「一番あぶないのが、他人も自分も、だれも入れない〈未知のエリア〉」

「よーし。さあ、これでもう分かっただろう。魔法にかからないようにするには、できるだけ心のひびわれを作らないこと。あんまりりっぱすぎる『理想の自分』を思い描かないことだね。次に、〈盲点のエリア〉や〈未知のエリア〉のような心の危険地帯を減らし、安全地帯を広げる努力をすることだ」

「じゃあ、〈秘密のエリア〉を広げるのが一番いい?」

「安全だけを考えればね。でも、それだと変なやつだと思われちゃうよ。いつも自分の気持ちをかくしてばかりいたら、だれとも仲良くなれない。だから、〈開放のエリア〉を広げるのが一番いいと思うよ」

「うん」

 確かにそうだ。あのきらきらかがやいてる場所が広ければ、気持ちがいい。

「でも、ひびわれはどうするの? 向こう側には行けないんでしょう?」

「だいじょうぶ。心のひびわれは時間がたてば治るから。ひびわれの向こうへ行けるようになったら、そこへ〈考え〉をめぐらせて、探検たんけんするんだ。そうして、いろいろな記憶を発見しては、そのときの〈気持ち〉をふみしめる。人にかけられた魔法は、こうやって解くんだよ」

「人にかけられた魔法って、どういうもの?」

「それはね、美由。お前の心に植え付けられた『他人の考え』だよ。魔法とは、相手の心に自分の考えを植え付けることだ。魔法使いは、そうやって人間をあやつるんだよ」

「やっぱりこわいじゃん。魔法は人を幸せにするんじゃなかったの?」

 あたしが不安な顔をすると、お父さんは笑って言った。

「だから、相手を幸せにする考えを植え付けてあげればいいんだよ。それはプレゼントみたいなものだ。どうせいつか見破られてしまうんだから、見破られたとき相手に喜んでもらえるような魔法をかければいい。それが魔法使いの作法さほうというものです」

「そっか」

「いずれにせよ、ずーっと自分の心を見破らないでいると、本当に他人の考えでしか動けない人間になってしまうから、気をつけなきゃいけないぞ。いつも自分の〈気持ち〉を見て回り、だれかに植え付けられた考えがないか、よく確かめるんだ。プレゼントはちゃんと受け取って自分のものにしないと、くれた人にも失礼だし、他人のものを使って生きているという点に限って言えば、どろぼうと同じだからね」

「はい」

「では、次」


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