第六の掟
「第六の掟。人の心を、できるだけ見破らなければならない」
「人の心を、できるだけ見破らなければならない」
「これは魔法の基本だ。全ての魔法は、まず相手の心を見破ることから始まる。これを忘れると必ず失敗するからね。だから忘れないように、こうして掟になっているんだ」
「魔法使いでも失敗するの?」
「そりゃあするさ。魔法使いだって人間だからね。十回に一回成功すればいいほうだよ」
「お父さんでも?」
「ああ。毎日失敗ばかりだ。でも、それでいいんだよ。魔法っていうのは、最初の一回で確実に成功させるなんて、まず不可能なものなんだ。何回も失敗しながら、少しずつやり方を修正する。そうして何回目かでやっとうまくいく。そんな感じだね」
「輪投げみたい」
「そうそう、うまい例えだ。しかも、人間の心は輪投げのピンとちがっていつも動いてるから、よけいむずかしい。そうかんたんに見破れるものじゃないんだよ」
「どうやって見破るの?」
「うん。そのためにはまず、見破れるところと見破れないところの区別がつくようにならないといけない。心は、いろいろな部分に分かれているからね」
「ふうん……」
「人間の心は、例えるなら大きな氷山だ。人によって形や大きさはいろいろで、それが海の上にぷかぷかうかんでいる。氷山の上には、人の形をしたものが立っている。これがその人の〈考え〉だ。魔法の用語で『ロゴス』という。ふだん人間はこの〈考え〉だけを自分自身だと思っている。〈考え〉は人間が目を覚ましている間、ずっと氷の上をうろうろ歩き回っている」
あたしは海にうかぶ氷山を
「寒そうだね……」
「いや、氷山は例え話だ。温度は気にしなくていいんだよ」
「そっか」
あたしは想像の中のお父さんをいつものスーツに変えた。お父さんは笑って続ける。
「この氷山の氷は、周りの出来事や〈考え〉そのものを、鏡のようにうつし出す。一度氷にうつったものは、記憶になって氷の中にうめこまれる。氷山は年々表面が新しい氷におおわれて大きくなり、古い記憶はどんどん深いところへうまっていく。〈考え〉は氷の上を歩き回り、うつし出された出来事や、氷にうまった記憶を見ては、いろいろなことを考える。この〈考え〉の立っている足場が、その人の〈気持ち〉だ。魔法の用語で『パトス』という。海面から顔を出した、まさに氷山の一角だね」
あたしはお父さんの氷山のとなりに自分の氷山を想像してみた。お父さんのは大きくて本物の山みたいなのに、あたしのは小さな
「そして海面の下には、その何百倍も大きな氷のかたまりがある。これがその人の〈魂〉だ。魔法の用語で『カオス』という。暗い海にしずんでるからよく見えないが、この
あたしは想像の中で海をのぞきこんでみた。氷山は水面に近いところしか見えず、下にいくとすぐ、海水の暗やみにとけこむように見えなくなっていた。こわくなって目を上げると、向こうの氷山に立っているお父さんが、あたしと目が合うのを待ってしゃべり出した。
「この〈魂〉の深いところにうまっている記憶は、ものすごく古いか、もう二度と見たくないことだったりするので、かたく氷にとざされていて、たぶん死ぬまで思い出せない。全ての魔力はここからやってくるが、そこに何がねむっているのかは、永遠のなぞだ」
「思い出せないってことは、覚えてるってこと? 忘れたことも、本当は消えてないの?」
「大事な記憶はね」
「すごーい……」
「『忘れる』というのは、もう思い出さなくてもよくなるってことなんだよ。そうして記憶は魂の一部になり、思い出せないかわりに、魔力を出すようになるんだ」
「おおー……」
「以上が人間の心の構造だ。心は、海面から下の〈魂〉と、海面から上の〈気持ち〉と、その上を歩く〈考え〉とで成り立っているというわけだ」
「分かった」
「さて、人間はおたがいに氷山をとなり合わせ、〈考え〉と〈考え〉とで会話を交わすことができる。こうやって〈考え〉は分かり合えるわけだ。それから、氷山のこっち側も見ることができる。ところが、氷山の向こう側にはおたがい目がとどかないだろう? つまり〈気持ち〉は半分も分かり合えないんだ。この、氷山の向こう側へ回りこんで見えなくなるラインを〈理解の地平線〉という。そこから先はその人だけの領分だ。他人からは絶対に見えないし、そこにかくれられると、〈考え〉も見破れなくなる」
「魔法使いでも?」
「うん。魔法使いでもね」
ああ、これで一安心だ。あたしだってお父さんに知られたくないことはいっぱいある。もしもそれが全部見破られてしまうのだとしたら、これからどうしようかと思っていた。でも、あたしの心にも〈理解の地平線〉はあって、その向こう側でなら何を考えてもばれないのだ。あたしは想像の中で自分の氷山をふり返り、その地平線をながめて、ほっと息をついた。
「安心したか」
その声でわれに返ると、お父さんが鏡の中からあたしの目をまっすぐのぞきこんでいた。しまった! たった今安心したのが、もう見破られた!
「おどろくことはない。こんなの魔法のうちにも入らないよ。今までだって、いつもこんなふうに美由の気持ちを当ててきただろう?」
今度はおどろいたことが見破られた! でも言われてみれば、こうやってお父さんに気持ちを分かってもらえるのは、いつものことだった。
「そっか。心を見破られるのって、いやなことじゃないね」
「そういうことだ。魔法使いは別に、相手のいやがることをしているわけじゃない」
「よかった」
だんだん魔法というものが分かってきた。だれにでも、分かってほしい気持ちというものがある。それをちゃんと分かってあげられるのが、魔法使いなのだろう。
「ふつうの人って、本当に人の心が見破れないの?」
「それがね、世の中には、他人の〈気持ち〉どころか〈考え〉すら見破れない人がいるんだよ。分かっていて分からないふりをしているんじゃなくて、本当に分からないんだ」
「信じられない」
「生まれつきそういう障害のある人もいるから、差別してはいけないよ。でも、障害がなくても、他人をきらってばかりいる人なんかはそうだね。美由だって、きらいな人の心なんか知りたくもないだろう?」
「うん」
「きらいな人のことは、だれだって考えないようにする。でも、それは人殺しと同じことだ。だって、頭の中からその人の存在を消してしまうんだから。でもそうすると、その人の心が完全に見えなくなって、逆にその人から魔法をかけられる危険が増してしまうんだ。だから魔法使いは、どんなにきらいな人の心でも、できるだけ見破らなくてはいけない」
「うん……」
そう言われると今度は心が重くなってきた。あたしは今まで、いろんな人の心を頭の中から消してきたと思う。ちょっと意地の悪い子や、あんまり目立たない子の心とか。でも、だとしたら、町ですれちがった知らない人の心なんかも、いちいち見破らなきゃいけないんだろうか。例えば、もしも
「心配するな。『できるだけ』でいいんだよ。掟にもそうあるんだから」
またしても見破られた。でも、やっぱり見破られるのはうれしい。生きている感じがする。あたしは安心した。大量殺人犯にならずにすむことにも、お父さんが、ちゃんとあたしの心を見破ってくれることにも。
「えへへ。よかった」
「はい。じゃあ次」
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