第四日

 うす暗い林のかげに、赤い鳥居が立っていた。そのおくに、白いお墓がぽつんと一つ、あわい光を放っている。ふらふら近づいてみると、それはお墓じゃなくて、お母さんの祭壇だった。なんでこんなところにあるんだろう。ぼんやり見つめていると、ふいに「こんにちは」と声をかけられた。ふり向くと、スーツすがたの太ったおじさんが、にこにこしながら立っている。「うちはね、『○○開放』という活動をやってるんだよ」。何開放って言ったんだろう。聞き直そうとしたところへ、ぼうず頭の男の人が小走りにやってきた。「先生、手術の準備が整いました」。校長先生は「ああ、ありがとう」と言って、ぼうず頭の人と二人で祭壇を手術台に乗せた。「メス」と校長先生が言う。ぼうず頭の人が校長先生にメスを手渡す。あたしは「やめて!」とさけんだが、校長先生は「でも、少子化だからね」と言い、鏡にシューッとメスを当て、まあるく切り取ってしまった。ああ、お母さんの祭壇が切りきざまれてしまう。次に先生は鏡を三日月形に切り取った。そうして、校長先生は丸い鏡を、ぼうず頭の人は三日月形の鏡を持ち、それぞれ西と東に分かれて歩き始めた。赤い雲がたなびく西の空には丸いあなが、青い雲がうずまく東の空には三日月型のあなが開いている。二人がそれぞれの穴に鏡をパチンとはめると、空のてっぺんに備え付けられたUFOみたいな手術用ライトを反射はんしゃして、太陽と月がぱあっと光った。あたしは菜の花畑の真ん中に立ち、きょろきょろとそれを見上げた。ああ、でも、これで少子化が解決するのなら、しかたないのかもしれないな。そう思って手術台の上を見ると、お母さんの祭壇には、丸と三日月の二つのあながぽっかりと開いていた。こんなになっちゃって、お父さんになんて説明しよう。こまったな、こまったな……。


 目が覚めてこんなに安心した夢はない。現実じゃなくて本当によかった。あたしはパジャマのまま下までおりて、祭壇の無事を確かめた。

「よかった……。お母さんおはよう」

 あたしが祭壇を見つめていると、鏡の中の台所からお父さんがひょこっと顔を出した。

「おはよう美由。どうかしたのか?」

「ううん、なんでもない」

 あたしは作り笑いでごまかし、急いで洗面所せんめんじょにひっこんだ。最近見ている変な夢のことは、お父さんには話せない。理由は分からないけど、なぜかそう思うのだ。


 午後になって、あたしは外出した。今日こそは定期券を買うのだ。バス会社の営業所は、駅の二つ手前の停留所から歩いてすぐという中途半端ちゅうとはんぱなところにあった。建物もお役所みたいで、なんだか入りにくい。勇気を出してドアを開けると、もわっとする熱気につつまれた。エアコンのききすぎだ。あたたかいというより、暑い。すぐに「いらっしゃいませー」と声がかかった。カウンターに青い制服を着たおばさんがいて、ニコニコしながらこっちを見ている。他に係の人はいない。あたしは少し迷ってから、そのカウンターへ向かった。

「通学用の定期券がほしいんですけど」

「一人で買いに来たのー。えらいわねー。通学定期、買うの初めて?」

 まるで幼稚園の子に話しかけるみたいな言い方だ。ああ、いやな感じ。ずーっと同じニコニコ顔なのも気持ち悪い。宇宙人が人間そっくりに化けているみたいだ。

「はい」

 あたしはおずおず返事した。青い制服の宇宙人おばさんは、ニコニコ顔をぴたっと固定したまま、少しも変化させない。あたしはむねがざわざわして、落ち着かない気持ちになった。

「じゃあー、身分証と、通学証明書は、持ってきたかなー?」

 あたしはお財布から保健証を取り出し、手さげからクリアファイルに入った通学証明書を取り出した。これは、柏小のときの担任たんにんの先生が桜谷小の先生からもらってきてくれた書類で、お父さんから「すごく大事だから絶対になくすなよ」と言われたやつだ。それをわたすと、宇宙人おばさんはデスクから用紙とボールペンを取り出した。

「はーい、じゃあー、こちらにお名前と、生年月日と、ご住所と、お電話番号、書けるかなー」

 あたしはだまって用紙に書きこんだ。カウンターが高くて書きづらい。宇宙人おばさんをぬすみ見ると、まだ同じニコニコ笑いを顔にはりつけている。ほっぺはつかれないのだろうか。

「じゃあ次はここですねー。乗るところと、おりるところに、しるしをつけてくださいねー」

 次の場所には停留所の名前がならんでいて、それぞれにチェックを入れる四角がついていた。あたしは自分の使う停留所にチェックを入れた。

「それじゃあ次はいつから使うかなんだけどー、学校の始業式、いつか分かるかなー?」

 あたしはだまって「四月八日」と書きこんだ。

「はーい。そしたらー、次の『三ヶ月』って書いてあるところに、丸をしてくださーい」

 次の場所には、一ヶ月・三ヶ月・六ヶ月、と書いてあって、どれか一つを選ぶようになっている。定期券の有効期間だ。宇宙人おばさんは三ヶ月を選べと言ってきた。どれを選ぶかはあたしが決めることなのに。でも、実際あたしがほしいのも三ヶ月の定期でまちがいなかった。自分がこれからやろうと思っていることを先回りして指図さしずされるのは、本当に気分が悪い。食べようと思っていたものを、横からひょいっと取られちゃった気分だ。

「んー? ここですねー」

 と、宇宙人おばさんが「三ヶ月」のところを指さした。考え事をしてただけなのに、分からなくてこまってると思ったんだろう。あたしはいらいらしながら「三ヶ月」に丸をつけた。

「それじゃ次は、『延長えんちょうする』に丸をしてー、ここに終業式の日付けを書いてくださーい」

 宇宙人おばさんは、また勝手にあたしのやることを指図してきた。なんだか自分が頭の悪い子にでもなったような気がしてくる。これはお父さんから聞いて知ってたのに。一学期は三ヶ月以上あるから、通学定期は使える期間を少しのばしてもらえるのだ。あたしは「延長する」に丸をつけ、「七月二十四日」と書きこむ。

「じゃあ最後にー、カードの種類が三つあるんだけどー、どれがいいかなー」

 宇宙人おばさんは三まいのカードを手に持って説明を始めた。

「これは『ピッ』てタッチするだけのカードで、一まい五百円。でもその五百円は、カードを返してもらったらお返しできますからねー。で、こっちは機械に通して使うカードで……」

「ICカードでお願いします。千円チャージしておいてください」

 あたしは宇宙人おばさんがしゃべり終わる前に返事してやった。これもお父さんと相談して、もう決めてあったことだ。ICカードならなくしても再発行してもらえるし、お金をチャージしておけば、区間外まで行けたり、コンビニのレジで使えたりもする。

「はーい、それじゃあ、九千九百五十円ですねー」

 宇宙人おばさんは言葉をさえぎられてもニコニコ顔をくずさない。あたしが昨日お父さんから預かったお金をはらうと、いすをスッと動かして横を向き、パソコンにデータを入力し始めた。宇宙人おばさんはだれかに似ている気がする。昔会ったことのあるだれかだ。でも、それがだれなのか、どうしても思い出せない。

「転校かなー? お友達たくさん出来るといいねー」

 宇宙人おばさんはモニタから目をはなさずに言ってきた。どうやら柏小と桜谷小の合併のことは知らないらしい。それは構わないけど、だったら転校だとか勝手に決め付けないでほしい。いちいち説明するのもめんどうくさかったので、あたしはずっとだまっていた。

 宇宙人おばさんの作業が終わり、パソコンの横の機械からシュコッと定期券が飛び出てきた。保健証を返してもらい、おつりと、レシートと、定期券を受け取る。一人で買えた。宇宙人おばさんはニコニコ顔のまま、「はーい。なくさないようにねー」と言った。この笑顔を見ているとなぜかむねがざわざわして、不安で不安でたまらない気持ちになる。あたしは「どうも」と言ってにげるようにドアへ向かった。後ろから宇宙人おばさんの「ありがとうございましたー」という声がかかる。気持ち悪い、気持ち悪い。早く家へ帰ろう。


 外へ出ると、思いのほか風が強くなっていた。街路樹がいろじゅが体をのけぞらせながらビュウビュウさけびを上げている。電線も、びゅるる、びゅるると鳴いていた。春先にはよくこんな風の日があるのだ。しまった、昨日あたたかかったので、今日は上着を着て来なかった。編み目のあらいセーターを通して、寒さが骨までしみこんでくる。さっきまでの暑い室内で、服の中にびっしょりかいていたあせが一気に冷えて、冷水を浴びたようになった。

 この冷たい風と宇宙人おばさんのせいで、せっかく一人で定期券を買えたのに、気分はすっかり落ちこんでしまった。運の悪いことに営業所のそばのバス停には小屋がなく、近くにコンビニもないので、次のバスが来るまで二十分も寒い道ばたに立っていなければならない。やっとバスが来てあたたかい車内に入ることができたけど、しんまで冷えた体はなかなか温まってくれなかった。ふるえる体でバスをおりると風はいっそう強くなっていて、小山の家まで歩くのにも、風に向かって思いきり体を前にかたむけないと進めない。まるで冷たい川をさかのぼるサケにでもなった気分だ。いつもの倍くらい時間がかかった。

 ようやく家にたどり着き、エアコンをつけ、部屋着に着がえてこたつにもぐりこむ。ああ、あったかい。これでやっと生き返れる。ところがそうしてしばらく体を温めていると、今度はくしゃみが止まらなくなった。頭がぼーっとする。いけない。完全にかぜを引いてしまった。熱を計ってみたら三十八度二分もある。食欲しょくよくはなかったけど、無理やりカップラーメンを食べて薬を飲み、ちゃんと自分の部屋のベッドで休むことにした。ふとんにくるまると、かたのあたりがじわじわ温まっていく感じがしたが、骨はいつまでも冷たいままで、暑いのに寒い。いやな感じだ。それでもこのままじっとたえるしかない。ねむろうと思ったが、こんな時間ではなかなかねむくならなかった。あーあ、早くお父さんが帰ってこないかなあ……。そう思ったとたん、あたしは急に思い出した。

 そうだ、魔法のことを考えなければ。魔法使いになるかどうか、今日を入れてあと三日のうちに決めなければならないのだ。たんじょう日になったらお父さんに返事を言わなくてはならない。ああ、どうしよう。

 またむねがざわざわしてきた。どうしてだろう。神社で「魔法使いになれますように」とお願いしたときから──いや、そうじゃない。最初にお父さんから魔法の掟を教わった夜からだ。あの心にブレーキがかかる感覚の強くなったやつが、神社で感じたざわざわ感なのではないだろうか。そう言えば、変な夢ばかり見るようになったのもあの夜からだ。

 あたしは今までに見た夢を最初から順番に思い出してみた。一つめは、お母さんが生きていてお父さんと仲良くしてた夢。見つからないように祭壇のかげにかくれた。二つめは、自分の息で空が出来る夢。お母さんの祭壇と空中ですれちがった。その次は、アロマキャンドルの中でねむっていた夢。地面に落ちて草をからしてしまった。その次は、お母さんの祭壇が手術された夢。鏡が切り取られて太陽と月にされてしまった。全部お母さんの祭壇に関係がある。ああ、もう少しで何かが分かるような気がするのに、頭がぼーっとして考えがまとまらない。なぜか宇宙人おばさんの顔が思いうかぶ。じゃまだなあ、今すごく大事なことを考えてるのに。でも、宇宙人おばさんのニコニコ顔を見たときも、むねがざわざわしたっけ……。そうだ、あの笑顔はどこかで見たことがある。だれかに似てるんだよなあ……。だれだったかなあ……。何か大事なことを忘れているような気がする。すごく大事なことなのに、思い出せない……。なんだっけ……なんだっけ……。忘れんぼだなあ……。忘れんぼ……忘れんぼ……。


 ねむれないまま悪寒おかんにたえて、何時間くらいたっただろう。お父さんがげんかんのカギを開ける音がして、あたしは心からほっとした。「ただいまー。美由ー」という声が、下からかすかにとどく。安心したせいか、今ごろになってやっとねむくなってきた。お父さんが階段を上がってくる音がする。すうっと気持よくねむりに落ちそうになった瞬間、ガチャッと部屋のドアが開き、お父さんの大きな手があたしのおでこにぴたっとふれた。ひんやりして気持ちいい。

「うわあ! 大変だ! 美由! だいじょうぶか!」

 お父さんのあわてた声が、なぜかくぐもった感じに聞こえる。水の中にいるみたいだ。

「ああ、お父さん、おかえり……」

「おかえりじゃない! どうして電話しなかった!」

「だいじょうぶ、ただのかぜだから……」

「そんなの分かんないだろ! インフルエンザだったらどうするんだ!」

 そこからは、いろんなことがまぼろしの中の出来事みたいだった。お父さんがタオルを持ってきて、かけぶとんをはがし、あせでびっしょりぬれた服をぬがして体をふいてくれた。それからかわいたパジャマに着がえさせ、あたしの体を毛布でくるむと、そのままだっこして運んでくれた。体がふわふわする。ゆうかいされているみたいだ。階段をおり、げんかんを出て、車の助手席へ。お父さんがどこかに電話してる。もうろうとした意識の中で、あたしはねむりの海辺に身を横たえ、打ち寄せる夢と、現実の間を行ったり来たりした。波が何度もあたしの体を持ち上げては、砂浜すなはまの上にやさしく下ろす。車が動き出してあたしの体をゆらしていた。太陽がものすごいスピードで空を走り、昼と夜とがめまぐるしく入れかわっている。夜の産業道路を走る車内に街灯の明かりがリズミカルに差しこんでいた。波にゆられながら砂浜の上に身を起こそうとしたけれど、体に海草がからみついていて身動きがとれない。あたしの体をくるむ毛布の上からシートベルトがかけられていた。「もうちょっとだからな」というお父さんの声が遠くから聞こえる。体がゆっくりと砂にしずんでいく。──第四日。


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