第三日

 校庭のモチノキに、たまご型のアロマキャンドルがたくさん実っている。そのうちの一つの中で、あたしは体を丸めてねむっている。他のキャンドルの中にも、一人ずつ子供がねむっているはずだ。やがてキャンドルは順番に枝をはなれ始めた。地面に落ちるとたまごのようにわれ、そこから草が生えてくる。ああ、あたしもああやって草に生まれ変わるんだ。そう思って楽しみに待っていると、とうとうあたしが最後の一個になった。すると木の下にヒコじいがやってきて、「実が全部落ちたら木を切らなくちゃ。税金がかかるからね」と言った。(そんなのだめ!)。もう落ちるわけにはいかない。でも、枝の上には宗像くんや郡くんや桐畑くんがいる。「おい、ライター持ってるか?」と桐畑くんが言う。「持ってるよ」と郡くんがライターを取り出す。「よし、やれ」と宗像くんが言う。郡くんがあたしのキャンドルに火をつけた。(やめて!)。あたしは必死にがまんしたけれど、糸はとうとう燃えつきて、ぷつっと枝からはなれてしまった。無重力の感覚がおへそをキュッとつかむ。キャンドルは地面に落ち、クシャッとわれて、中から薄黄色のろうがどろりと流れ出した。すると、ろうにふれたとたん、緑の草が茶色くしおれ始めた。ろうはどんどん広がり、草原はみるみるかれていく。ああ、あたしのせいだ。他の子供たちは草に生まれ変われたのに、あたしだけはそれをからしてしまうのだ。ろうはじわじわモチノキに近づいていく。いけない、このままではモチノキまでかれてしまう! なのにあたしには何もできない。むねがドキドキする。ヒコじいはのこぎりを構えている。男子たちは木からおり、ろうがモチノキに達するまでのカウントダウンを始めた。十、九、八、七、六、五、四、三、二、一……、「もうやめて!」とあたしはさけび、自分の声で目が覚めた。


 今朝の夢は分かりやすい。昨日の出来事の変形バージョンだ。でも、だからってこんないやな夢じゃなくてもいいのに。ヒコじいまで悪役で出てくるなんて。それにしても、どうして近ごろ変な夢ばかり見るのだろう。心の中に、悪い魔力でもたまっているのだろうか。

 ジーンズとセーターに着がえて一階におりると、もう朝ごはんが出来ていた。昨日の残りのシチューに、トースト、トマトとルッコラのサラダ。あたしがテーブルにつくと、お父さんがパンにマーガリンをぬりながら言った。

「たんじょう日に行くレストラン、『ピッコロ・パエーゼ』にしたいんだけど、いいかな」

 そこはお父さんの友達がやっている小さなイタリアンのお店で、あたしも何度か連れて行ってもらったことがある。店長さんも、おくさんも、とっても楽しい人だ。

「うん。いいよ」

 そう答えながら、あたしは内心、あたしの希望は聞いてくれないんだ……、と思っていた。するとお父さんは、そんなあたしの気持ちを魔法で見破ってみせた。

「ごめんな。今年は十年目の特別なたんじょう日だから、どうしてもお母さんとの思い出のお店でお祝いしたいんだ」

 なるほど、そういうことならお父さんの希望をかなえてあげてもいい。ピッコロ・パエーゼは、お父さんがお母さんにプロポーズしたお店なのだ。

「そっか。わかった」

「よし、じゃあ予約しておくね。で、今日はどこに行くの?」

 また見破られた。どうしてあたしが出かけるって分かったんだろう。

「うん。試しに新しい学校まで行ってみようと思って」

「そうか。だったら、ついでにバスの定期も買っておくといい。あとでお金あげるから」

 と言って、お父さんはトマトを口に放りこんだ。バスの定期というのは、あたしの通学用だ。わが家は住宅街からちょっと外れたところにあり、柏小までの道のりもかなり遠かったのだが、桜谷小はさらにその先にあって、歩くと一時間半もかかってしまう。そういうわけで、学年であたしだけ、特別にバス通学を許可してもらえたのだ。

「あたし一人で買うの?」

 不安になってそうきくと、またお父さんはあたしの気持ちを見破った。

「だいじょうぶだよ。もう五年生になるんだし。もし失敗してもお父さんが買い直してあげるから、まずは自分だけでやってごらん」

 大変なことになった。定期券を買うなんて、生まれて初めてのことだ。


 ダウンベストをはおって、七時ちょうどに家を出る。定期券は後回しにして、まずは桜谷小までの時間を計ってみよう。バス停までは歩いて三十分。しばらく待っていると、五分ほどでバスが来た。こんな大きなバスがあたし一人のために止まってくれるのが、なんだか申しわけない。乗りこむと、車内に乗客は七人くらい。これなら毎朝すわれそうだ。あたしは乗車口のそばのシートにこしを下ろし、流れる景色をぼんやりながめた。

 こんなふうにぼーっとしていられるのも今のうちだけかもしれない。もし魔法使いになったら、常に休まず人の心を見破り続けていなければならないのだ。魔力を受けたらいちいち返さなければならないし、一人でいるときだっって〈こんがらがり〉や〈シャドウ〉をさがして歩かなければならない。うかうかしてると人にあやつられてしまう。一秒たりとも気をぬくことはできない。この世は魔法の戦場なのだ。

 あたしは乗客の大人たちを一人ずつぬすみ見てみた。この中にも魔法使いはいるのだろうか。だとしたら、だれが〈正式な魔法使い〉で、だれが〈名無しの魔法使い〉で、だれがふつうの人なのだろう。──だめだ、ちょっと見ただけでは区別できない。みんな、ただの乗客の顔をしていた。というより、だまってすわっている大人たちは、まるで最初からそこに備え付けられていたバスの部品みたいで、何も考えていないように見える。あたしはバスの車内が海水で満たされ、そこにたくさんの氷山がうかんでいるところを想像してみた。残念ながらここからはだれの〈考え〉も見えない。みんな〈理解の地平線〉の向こう側にかくれている。心を見破られないように気をつけているのかもしれない。そんなことを考えていたら、前にすわっているおじさんと目が合ってしまった。いけない。あたしは大急ぎで目をそらした。

「次は、梅ノ木公園前、梅ノ木公園前。住まいの設計から安心リフォームまで、確かな技術でくらしを支える、藤野建築事務所へは、こちらでおおりください」

 目的の停留所だ。ボタンを押し、バスが停まるのを待って立ち上がる。魔法使いたちは動かない。あたしが歩くのに合わせて氷山をくるりと回し、さりげなく〈秘密のエリア〉をかくす。お金をはらいながら運転手さんをちらりと見た。この人も魔法使いだろうか。やっぱり〈考え〉は見破れない。運転手さんは平らな声で、「ありがとうございましたー」と言うだけだった。


 バスをおり、ネットからプリントアウトした地図をたよりに歩きだす。家や商店がならんでいるのはバス通りぞいだけで、横道に入るとあっというまに田んぼと防風林ばかりの景色になった。田起こしの季節なのに、このあたりの田んぼは耕されていない。休耕田といって、働き手がいなくて放ったらかされている田んぼなのだ。遠くには巨人きょじんのような鉄塔てっとうが何本も立ちならび、送電線をかついでじっとたたずんでいる。空をさえぎるものと言えばそれくらいしかない。さびれた田舎いなかの風景だ。

 十分ほど歩き、ようやく桜谷小に着いた。ケータイを見ると七時五十四分。よし、今日と同じように家を出れば間に合う。でも、バス通りからここまで家らしい家はなかったし、住宅街は学校の向こうだ。これではいっしょに帰る友達は出来そうもない。


 桜谷小学校はその名の通り、校庭の周囲にぐるりと桜の木が植えられていた。今年は開花が早いらしく、花はすっかり五分ごぶざきで、見上げた空にはピンクのかすみがかかっている。それを見上げながらフェンスぞいに歩いて行くと、校庭の南門が開け放たれていた。勝手に入ったらおこられるかな。おずおずのぞきこんでみると、ずっと向こうの桜の下で、親子連れがゴムボールを投げ合って遊んでいた。まだ若いお父さんとお母さん、そしてよちよち歩きの子供が一人。近所の人たちだろうか。

「こんにちは」

 ふいに声をかけられた。おどろいてふり返ると、スーツすがたの太ったおじさんがにこにこしながら立っている。だれだろう。あたしは一応「こんにちは」と返事をした。

「私はこの学校の校長で、榎木えのき秀信ひでのぶといいます。君は初めて見る顔だね。春からここに通うことになった、柏小の子かな?」

 いきなり見破られた。校長先生をやってるぐらいだから、ひょっとするとすごい魔法使いかもしれない。ちゃんとあいさつしなくては。

「はい。瀬高美由です。よろしくお願いします」

「瀬高美由さんか。よろしくね。さあ、そんなとこに立ってないで、お入んなさい。学校を見に来たんでしょう?」

「はい。ありがとうございます」

 あたしはおずおずと校庭に足をふみ入れた。校長先生がいいって言ってるんだから、おこられる心配はない。あの親子連れだって入ってるし。それにしても、どうしてあんな、学校に関係なさそうな人たちがいるんだろう。

「うちはね、『学校開放』という活動をやってるんだよ。こうやって、学校がお休みの日には、地域ちいきのみなさんに校庭を開放して、いこいの場として利用してもらっているんだ」

 ああ、やっぱりこの人は魔法使いだ。あたしが質問しなくても、どんどん答えてくれる。

「そうだったんですか」

 つまり校長先生は今、ここに立って地域の人たちを見守る仕事をしているのだろう。

「春休みなのに、大変ですね」

 あたしがそう言うと、校長先生は太い体をたてにゆらしながら笑った。

「はっはっは。学校の先生には、春休みなんかないんだよ」

 それは知らなかった。あたしは思わず「へー」と声に出して感心してしまった。

「さあ、君もさっそく学校内を探検たんけんしてごらん。校舎の中には入れないけど、それ以外ならどこでも見て回って構わないよ」

「ありがとうございます」

 するとそこへ、ぼうず頭の男の人が小走りにやってきた。上はジャージで、メガネをかけている。その人は足を止めながら、きょとんとした丸い目で、何かめずらしい生き物でも見るようにあたしを見下ろし、「こんにちはー」と独り言のようにつぶやいた。あたしが「こんにちは」と返事をしようとすると、その人はあたしを無視むしして校長先生にしゃべり始めた。

「校長、教頭がおよびですよ。ここは私が代わりますから」

「そうですか。ありがとう。それじゃよろしく」

 校長先生はそう言うと、あたしに「じゃあね」と声をかけて去っていった。ぼうず頭の人はそのままそこに立ち、校長先生に代わって親子連れを見守り始めた。でも、どうやらあたしのことは見えていないらしい。この人は先生なのかな。それとも校務のおじさんなのかな……。話しかけられそうなふんいきではなかったので、しかたなくあたしはその場をはなれた。


 桜谷小の校舎は鉄きんコンクリート四階建てで、一階の一部が四角いトンネルのようにぶちぬきになっており、校舎の反対側へぬけられるようになっていた。校舎の南側に作られた花だんの間を通り、その暗がりへ入って行くと、空気がそこだけ早朝の冷たさを残していた。自分の足音がかべにひびく。

 ふと横を見ると、左右のかべに大きなモザイク画がかかっていた。「平成六年度卒業生一同」と書いてある。どちらも下半分は一面の菜の花畑で、うずまく青い雲がかかれた東側の絵には三日月が、たなびく赤い雲がかかれた西側の絵には太陽がはめこまれていた。太陽も月も本物の鏡で出来ていて、トンネルのてんじょうに備え付けられた丸いライトがうつっている。あのライトをつければ、太陽や月が光って見えるしかけだろう。

 コンクリートが四角く出っ張ったわたりろうかの切れ間を通り、トンネルをぬけたところで何気なくふり返ると、反対側の出口あたりに、黒い人かげが見えた。あたしと同い年ぐらいの男の子のようだ。暗がりの中に四角く切り取られた明るい校庭の景色をバックに、細っこい体がすらりと立っている。まるで一枚の絵を見るようだった。逆光ぎゃっこうで顔や服はよく見えなかったが、どうやらあたしと目が合っているみたいだ。声をかけるにはちょっと遠い。そのまま八秒ぐらいたっただろうか。やがて男の子は、四角い絵のはしっこに、すっと音もなく消えた。

 トンネルの北側には正門があった。こっちが桜谷小の表げんかんだ。正門の横には小さな植えこみと人工池がある。校舎の真ん中には、はばの広い階段かいだんが、くの字に曲がって二階まで続いていた。どうやら桜谷小の昇降口しょうこうぐちは二階にあるらしい。じゃあ一階はどうなってるのかな、と思ってまどからのぞきこむと、図工室や、理科室や、家庭科室が見えた。そのまま校舎にそって東のはしまで行くと体育館があり、西のはしまで行くとプールがあった。どこを見てもまだ自分の学校という気がしない。転校生にでもなった気分だ。初めての桜谷小は、なんだか少しよそよそしかった。

 探検たんけんを切り上げ、校門を出ようとしてふと足元を見ると、鉄のレールの上に小さなアマガエルがちょこんとすわっていた。冬眠とうみんから覚めたばかりで、まだねぼけてるんだろう。あたしはそっとつまみ上げ、「こんなところにいたらあぶないよ」と、池のほとりに放してあげた。


 日差しがあたたかくなってきたので、ダウンベストをぬぎ、わきにかかえて歩く。もと来た道をしばらく行くと、小さな神社にさしかかった。来るときはただの防風林だと思って気づかなかったが、反対側からだと、林のかげにひっそりと赤い鳥居が立っているのが見える。石段は三段しかなくて、境内けいだいのおくに見える社殿しゃでんもボロい。鳥居の額には「羅摩神社」と書いてある。知らない漢字だ。

 毎日ここを通るのだから一応ごあいさつしておこうと思い、中に入ってみた。パグ犬みたいなこまいぬたちが出むかえてくれる。手をあらう場所はなかったけれど、そのかわり木の案内板が立っていた。「羅摩カガミ神社ジンジヤ縁起エンギ祭神サイジン少彦名命スクナビコナノミコト由緒ユイシヨ安政アンセイ年間ネンカン天下テンガハヤリタルニ疫病平癒エキビヤウヘイユ霊験レイゲンアヤカラムトテ上野国カウヅケノクニ小祝オボリ大明神ダイミヤウジンヨリ当地タウチ少彦名命スクナビコナノミコト御分霊ワケミタマツツシミテ勧請クワンジヤウ奉斎ホウサイシタルナリ社名シヤメイヘテ神名シンメイハバカ少彦名命スクナビコナノミコトモチヰタル天羅摩船アメノカガミノフネチナミテクノゴトガウス」と書いてある。ちんぷんかんぷんだったが、ふりがなを読む限り、どうやらここは「カガミ神社」で、まつられている神様の名前は「スクナビコナノミコト」というらしい。

 おいのりをしようと、さいせん箱に五円玉を投げ入れる。パン、パンとかしわ手を打ち、手を合わせて目をとじた。これからよろしくおねがいします。それから──、

(──それから、りっぱな魔法使いになれますように)

 そう念じたとたん、とつぜんむねの中にざわざわっといやな感覚がわき起こった。体の中で何千びきもの毛虫がうじゃうじゃうごめいているようだった。なんだこれは! あたしは居ても立ってもいられなくなって、大急ぎで神社からにげ出した。でも、いやな感覚はあたしの体の中にあるからにげられない。あれた田んぼの間を走りながら、あたしは「アーッ」と大声でさけんだ。さけんでもさけんでも、体の中の毛虫たちはもぞもぞ動くのをやめない。ああ、気持ち悪い! 体を引きむしって中身を全部ぶちまけたい! 夢なら早く覚めてほしい!

 走って走ってバス停にたどり着くと、血管をどくどく血がめぐる感覚のおかげで、ざわざわが少しごまかされてきた。ふつうに車が走っている。夢の中ではなさそうだ。何度も深呼吸しんこきゅうをしていたら、ようやくざわざわがおさまった。よかった。もう家に帰ろう。


 何か大事なことを忘れてる気がするな、と思いながら家にたどり着き、げんかんのカギを開けたとたんに思い出した。定期券だ。でももう今から買いに行く気にはどうしてもなれない。明日でいいや、ということにして、その日はぼんやりテレビを見て過ごした。もう一つ、何かとても大事なことを忘れているような気がする。でも、それが何なのか、どうしても思い出せない。定期券なんかより、ずっと大事なことだったはずなんだけど……。

 夜になり、お父さんが帰ってきた。定期券のことをきかれたので、「今日はこわくて買えなかった」と答えた。うそではない。お父さんは「じゃあ明日こそちゃんと買えるといいな」と言うだけで、それ以上何も聞かなかった。──第三日。


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