それは狼煙のように
貧しい村、温かい人々の村。明確な日取りすら決まっていないが、半定期に来る隊商が訪れる日が近づいていたその時、俺は初めてそう言えば村の名前を聞いていない。そう気付いて顔を上げた。
「コウカ様?」
「んー、いや夫婦設定もこれまでかと思ってな」
「もう!」
樹槍をアンテナ代わりにしながら薬草を探す。ついでに金に変えられそうなものは全て拾う。できうる限りの恩を返すために今日はジネットを伴って、近くの長草が生い茂る丘へと来たのだ。
蔦が絡まったような外観の棒を釣り竿めいて前へと突き出して歩く。
あらゆる名もなき植物の代表者である樹槍グロダモルン。俺に植物学の心得など無くとも、コレに尋ねればいいと気付いたのは行商が来る予定が近づいてからだった。もっと早く気付いて入れば、村へと貢献できていただろうが後の祭りというものだ。
とはいえ、樹槍の知識は人間とはずいぶんと感覚が違うために慣れるまでには時間がかかりそうだった。
顔をしかめて解読しながらヤブを払っていると、樹槍の信号が色を変えた。
『……主よ。気付いているか?』
「何が?」
『気配が無いのでは気付けぬか。主が滞在している集落に人間が近付いてきている』
「おや、行商が思ったよりも早く来たのかな。こういうところでの商人の時間は当てにならないのも仕方がない」
「なにも見えませんけど?」
俺の発言を独り言と思ったのか、ジネットは手を額に当てて遠方へと目を眇める。近くの丘といっても、この長大な荒れ地のこと。片道で歩いて1時間ほどには離れている。
見えるわけが無いのに周囲を見渡そうとする仕草が可愛らしく、思わず微笑みが溢れる。だから理解が遅れた。樹槍がわざわざそんな警告を発するということがどういう意味なのか。
「……あれ?コウカ様、村の方で煙が……」
「んん?」
遠くの人影など見えないはずの距離。
それでもここは丘であり、少しばかり他の地面より高い。村の方を見れば、村の形ぐらいは見える。
「あれは……炊事の火を起こすにしては……おい、グロダモルン……」
『声が聞こえる。我らの同胞たる、か弱き群れが焼けて落ちていく。ああ……人とは本当に火が好きだな。なぜ、何かをしようとするときに決まって火を熾さねば気が済まないのか。そんなことをすれば灰しか残らぬだろうに』
瞬間、深まった接続が事態を幻視させた。
いや幻視というのは正確では無い。植物には目も耳もないのだから……樹槍が受け取っている信号は人間の感覚では奇妙なものとしか言いようが無いものだった。
だがそれでも判るものはある。それは死。
幾多の我々の死が積み重なり、そしてその死の上にはまた別の死が乗っていく……
時間にして一瞬だったのだろう。
現実へと立ち戻っても、周囲の景色に何ら変化は無かった。ジネットもまだ目を凝らしている最中のまま。
だがその一瞬で俺は汗で鎧下をぐっしょりと濡らし、顔面からは血の気が失せていた。
己の迂闊さを呪う。ジネットを追いかける聖騎士達ならかなりの距離から感知できると自惚れていた。だが……追跡に聖剣の力を用いなかったら? あるいは術か神器の特性によって隠蔽が可能ならばどうなる?
あの村にいるのはただの村人たちだ。
そう。
俺とジネットというお尋ね者になっているであろう者達のことを知っている、ただの村人だ。彼らを痛めつけるのに神器も聖剣も必要ない。
以前倒した刺客達の位置と、行商達の情報から我々があの村へと訪れるということを想像するのはさほど難しくない。
そして間抜けな俺はあろうことか未だにその村に留まっていたのだ。
全身に力を漲らせて、飛び出す。
「ジネット! どこか目立たない場所に隠れていてくれ! 俺は様子を見てくる!」
これから目にするだろう凄惨な光景を、この子には見せたくはない。その善意が新たな軽挙となることも知らずに、俺はただ駆けていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます