対等の勝負

 一見すれば男が優勢の闘いだ。巨漢の筋肉は盛り上がり、ビンのような張りを見せている。


「流石はガランクス。行けるぜ!酒代は頂きだぁ!」


 横の赤ら顔の男が叫ぶ。

 …いいや、違うな。

 コウカは内心で考えた。女はギリギリのところで耐えているように見えるが、筋肉の動きと重心に随分と余裕を残している。


「いいじゃないか!中々楽しめたよっとぉ!!」


 逆転劇は一瞬だった。叩きつけられた巨漢の腕が木机にめり込む。

 辺り一帯が一瞬、静まり返った後に叫びが起こった。


「だぁぁあ!?マジかよ!この見掛け倒し!」

「晩飯返せ!クソ野郎!」

「いぃやったぁ!バカ勝ちだぁぁぁ!」


 悲喜交交。大半の予想外の決着に、観客たちは魅せられていた。コウカも熱に当てられていたのだろう、見物人が増えていることにも今更に気付いた。


「さぁ!次だ次!」

「正気かこの新入りの女ぁ!まさかの十連戦だぁ!」


 …何か、実況役みたいな輩まで現れている。


「儂はこの二十年ここで腕相撲を見ているが、こんな娘は初めてじゃ!」


 誰だこのジジィ。

 …しかし、盛り上がる周囲に反して挑戦者は一向に現れない。当然だろう。あんな豪傑じみた巨漢ですら敗れれば、挑戦する気は失せる。


「どうした!賭金は初回と同じで良いぜぇ~?」


 餌を吊り下げられても、騒いでいるのは見物人だけだ。勝てる気がしない上に、増えすぎた観客に恥をさらしかねないとあれば尚更腰が引ける。


「…ちっ!つまんね…」


 女が席を外そうとした時、コウカは気がつけば前に出ていた。


「おっ!兄ちゃんが相手してくれんのかい!」


 女の顔が喜色に輝く。どうやら賭け事というより勝負事に熱が入る性質のようだ。

 コウカを見た観衆は期待半分、失望半分といったところか。


「なんだ、普通のあんちゃんじゃねぇか」

「ひょおぉお~!大穴狙いだぁ!」

「いや、勝負の世界ってのは何が起こるか分からねぇ…!あの女も疲労が溜まってきているだろう…」


 熟練者みたいな雰囲気を醸し出す観客まで現れ始めた。…が、自分は参加しないらしい。


「おっし!来な!」


 女が再び、右肘を机に打ち付けた。会場は女の快進撃を見守る空気に包まれた。誰もが次の瞬間始まる勝負に目を吸い寄せられた。



 コウカの声に辺りは静まり返る。

 まさか、ここに来て場を濁すだけのやつか?


/


。左利きだろアンタ」

「へぇ…」

 

 女は目をすぅっと細めた。美しい肉食獣のようだった。

 コウカの言葉に観客は隣人と顔を見合わせる。先程までは本気じゃなかった?そんな女が世界にいるのか?彼らの常識が奇妙な場で打ち壊されつつある。

 

「良いのかい?アンタは右利きだろう?」

「飛び入り参加だ。それぐらいは払わなきゃな」


 コウカは左腕を机に乗せた。

 ガッシと女の手と組み合い、相手の実力を互いに再確認する。


「…やるねアンタ」


 これは上等な獲物だと言わんばかりに、女が舌で唇を舐めた。


「…しまった」

「今更後悔?がっかりさせてくれるねぇ」

「自分に賭けておくのを忘れた」


 予想外の言葉だったのだろう。女傑は少しだけ吹き出した。


「では…ハジメぇ!」


 だから、誰だよコイツ。

 ともあれ二人の静かな勝負は幕を開けた。


//


 そこは先程までのような、騒がしい熱気ではなく息を呑むような緊迫した空気に変わっていた。

 見物人たちも裏で生きる者たちだ。争い合う二人が只者ではないと今更に意見が一致したのだった。


「ふんっっっっう!」

「ぎぎぎ…!」


 勝負は未だ水平のまま。開始位置から動いていない。

 だが誰もがそれが激しい闘いの最中だということを疑いもしない。


 …コウカは〈半端者〉だ。つまり半端に戦士なのだ。

 だから、全力を出すように仕向けたし。連戦の相手に有利を譲ったのもそこから来ている。

 公平な闘いを求める心がコウカにもあったということだが…既にちょっと後悔しはじめていた。


///


 本気か。え?こんな人間本当にいるの?死に絶えた異種族だったりしない?…それが正直な内心である。


 声に出す余裕はない。自分は魔女の弟子であり、作られた英雄だ。普通の戦士相手では力比べなど成立しない。

 素の状態でも肉体強化型の聖騎士と五分だった。


 …そりゃ強いとは分かっていた。だが、理解と実感は似ているようで違う。顔を歪めて、全力を振り絞っても現状維持が手一杯。


 こちとら負けるかもしれない勝負などゴメン蒙りたいのだ。良い感じに健闘する相手に、少しだけ余裕を保ちながら勝利。相手も強いから後悔無しで金が貰える。それが理想。


「うごごご…!」


 勝負を侮った男に対する罰のように、闘神のような筋力が襲いかかる。

 というか、握られている手がすごく痛いです。


 ごめんなさい、やっぱり右腕使わせてくださいと言ってしまいたいが時既に遅し。もう口を開く余裕はない。徐々に腕が左に傾いてきている。


 感嘆と後悔の念が交互に現れる。

 〈半端者〉である俺は魔女の弟子6人の中で、全分野において常に真ん中だった。筋力で言えば〈完璧なる者〉と〈才ある者〉に次ぐ…と言った風に。


 それが押されている。完全に生身の人間が、魔女の弟子と互角の筋力を誇っていた。そうだ、何を思い上がっていたのか。俺は“作られた英雄”…ということは世界には“生まれながらの英雄”が存在するということである。


 このままじゃ負ける…そう思ったから腹の底から超越者ではできない方法で力をひねり出す。


 …金!戸籍!…金!戸籍!うまい飯!…金!戸籍!うまい飯!美人!…


 粘る欲望を糧に、萎えかけた闘志を復活させる。

 わずかな傾きが再び中央に戻る。


 女が歯を食いしばった顔のまま、わずかに口角を釣り上げる。怖い。


////


 …世界は広い!まさかこのあたしに、ここまで食い下がれる男がいるとは!

 

 世の中を侮っていたことを認める。いや、さらに修正だ。食い下がれる?それ自体が相手を舐めている。

 故郷でもあたしに適う者はいなかった。外の世界へと出てみたが、落胆の連続だった。


 ならば現実を味わってみようと、冒険者という者にもなってみた。しかし技術だの魔法だのを使う連中に負けても、すっきりとしなかった。


 あたしはただの野蛮人なのだろう。分かりやすい力にしか共感できない。だから、こんな場所に来てまで力比べなどしていたのだが…望外の相手に恵まれた。


 利き腕が違うことが惜しい。そうすればもっと分かりやすく勝負できた。だが、コイツはわざと不利に望んでいる男だ。少しばかりこちらを舐めていたのだろうが、それも納得の強さ。

 これではこの男も相手に不足していたに違いない。分かるよ、あたしにもそういう時期があった。


 多大な共感と敬意を込めて、残った力を絞り出す。加減はない。そちらが出した条件だ!勝たせてもらおう!


/////


 もはやコウカの頭の中には「やばい」の3文字しかない。

 そこでわざと負けるという発想が出てこないあたりが、〈半端者〉たる所以なのだが…ここではソレが良い方向に働いたと言える。


 狭すぎる視野が余分な思考を払い除け、好勝負に持っていけた。しかし、敗北を遠ざけるには決め手が足りない。不利とはそういうものだ。


 故にコウカが負けないためにはあとひと押しが必要だった。幸運の女神が微笑んだ。


「…コウカ!」


 叱りつけるような、心配するような声。相棒の声だ。

 静まり返った観衆の中で、ただ一人純粋にコウカを応援するものが現れた。余裕が生まれる。


「悪…いが…!うちの子に無様は見せらんないんでねっ!」


 底の底まで力を出し切り、机が砕けた。

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